番外編 リベルタス冒険者ギルド 受付ミレイアの苦悩
その日は、いつもと何も変わらない、どこにでもある退屈な朝のはずだった。
朝一番にカウンターへ入ってきたのは、顔馴染みのぶっきらぼうな常連の剣士。
次にやってきたのは、簡単な薬草採取の依頼を無事に終えてドヤ顔をしている見習い魔法使いの青年。
私はいつものように機械的に事務処理をこなし、特に大きな問題も起きない、平和で少し退屈な午前中が過ぎていくのだと、そう信じて疑っていなかった。
――そう、あの瞬間までは。
「……あれ?」
ギルドの重厚な正面扉が静かに開いた瞬間、肌を刺すような、だが信じられないほど澄んだ『何か』が流れ込み、ギルド内の空気が一瞬にしてガラリと変わった。
まず視界に飛び込んできたのは、非常に整った身なりをした、優しげで知性的な大人の男性。
次に、その隣で可憐に微笑む、おっとりとした美しい女性。
そして、その後ろを小走りでついてくる、元気そうな二人の男の子。
――……家族連れ……?
一瞬、我が目を疑った。
ここは血気盛んな若者や、酒臭い戦士たちが、明日の富とロマンを夢見て殺気立っている場所だ。
決して、休日に家族でピクニック気分で訪れるような場所ではない。
しかし、私の脳を本当の意味でフリーズさせる決定打となったのは――女性の肩の上にちょこんと乗っている『生き物』だった。
「…………っ!?」
小さな、漆黒の、コウモリのような翼を持った、爬虫類めいたトカゲのようなフォルム。
(……え? え? 嘘でしょ……? あれってどう見ても、おとぎ話に出てくる……本物の、ドラ、ゴン……!?)
一瞬、あまりの衝撃に脳が防衛本能を働かせ、目の前の現実を全力で拒否した。
しかし、ドラゴンは気まぐれに尻尾をパタパタと揺らしている。現実だ。
「え、え〜と……。よ、ようこそ冒険者ギルドへ。本日は、どのようなご用件でしょうか……?」
プロの意地として、声が裏返らなかったことだけは、後で自分を盛大に褒めてあげたいと思う。
「すみません、冒険者登録をお願いできますか?」
父親らしき男性が、ごくごく普通に、まるで近所の八百屋で野菜を注文するような軽いトーンで言った。しかも、後ろの小さな子どもたちも含めた『全員分』を登録したいと……。
――あ、無理。
これ絶対にただ者じゃない。
私の貧弱な情報処理能力が完全にキャパシティを超えて悲鳴を上げている。
だが、私はギルドの看板を背負う受付職員。職務を放棄して逃げ出すことなど許されない。
私は引きつった笑顔を張り付けたまま、測定用の水晶を差し出した。
◆
最初に測定を行うことになったのは、父親らしき男性だった。
(落ち着くのよミレイア。いつも通り、マニュアル通りにやればいいだけなんだから……。)
心の中でそう自分に言い聞かせ、彼が水晶にそっと手をかざした瞬間だった。
――ギィィイイィィィ…………ッ!!!
聞いたこともないような甲高い音を立てて、測定水晶が悲妙を上げながら、ギルド中を真っ白に染めるほどのまばゆい光を放ち始めたのだ。
(待って待って待って待って! 壊れる! 水晶が壊れる!!)
パニックになりながら、光が収まった後に浮かび上がったステータス文字を見た瞬間、脳の処理能力を超えた内容に、一瞬文字が読めなくなった。
【魔法適正:全属性SS 時空:SS】
(全属性がSSって何!? 一つだけでも国に数人しかいない国家魔導士級なのに、全部!? ていうか『時空』って何!? 神話の世界の魔法なんですけど!?)
「で、では、と、登録手続きを進めさせていただきますね……。」
私の声がガタガタと震えていたとしても、誰も私を責めることはできないはずだ。
◆
次は、母親であろうおっとりとした女性の番だった。
正直に言う。
私はもう、この時点で早々に心がバキバキに折れかけていた。
これ以上何を見せられても驚かないぞ、と心に決めて彼女が水晶に触れるのを見守る。
触れた瞬間、何かの文字列が浮かび上がったかと思うと、水晶が過負荷でパッと消え――代わりに、眩い聖なる光が走った。
【竜の加護】
【魔獣の加護(多数)】
(……多数って何!? カウントすら諦められてるじゃない!!)
「あの……失礼ですが、テイマー……、伝説の魔獣を従えるテイマーの方でしょうか……?」
消え入るような声で私が問いかけると、彼女はふんわりと首を傾げて答えた。
「はい。牛のベコちゃんと羊のメリーちゃんとニワトリたちと……。」
(家畜じゃねえぇぇぇぇぇ!!!!!)
名前だけは家畜っぽいが、おそらくはそんなレベルの魔獣ではないのだろう。
肩の上のドラゴンが「キュイ♪」と可愛らしく鳴いた瞬間、私は全てを悟った。
あ、これ、私たちとは生きている世界観や次元が根底から違う人たちだ、と。
◆
続いて、兄であろう少年の番。
ここでは、ただ事ではない気配を察知した奥の技術職員が「おい、なんだこの魔力の波形は!」と慌ててカウンターにやってきた。
そして、浮かび上がった結果を見て、ドワーフの鍛冶師たちが大声を上げる。
(創作SSS? 何それ都市伝説? この道何十年のエルフの私でも初めて見るわよ……。)
その後、少年は興奮したドワーフたちに「うちの工房へ来い!」、「いや俺の弟子になれ!」と揉みくちゃにされていたが、本人は「ただの趣味なんだけどな……。」と言わんばかりに困った顔をしていた。彼もまた、異常側の人間だった。
◆
そして最後の、一番小さくてやんちゃそうな男の子。
「ユニークスキル……ゲーマー?」
……ゲーマー?
私のエルフとしての長い人生の記憶を探っても、そんな職業も、趣味も、スキルも聞いたことがない。
少年から「ゲームの武器とかモンスターを現実に召喚できるんだよ!」と笑顔で解説されても、私の脳はもう一ミリも理解することを拒んでいた。
しかし、私の生存本能が耳元で激しく叫んでいたのだ。
(これは理解しようとしたら負けだ。理解しなくていいやつだ。)
そこで、私は考えるのを完全にやめた。
ただの木彫りの人形のように微笑み続けるマシーンと化した。
◆
事態を重く見た私が、奥の部屋で優雅にコーヒーを飲んでいたギルドマスターの胸ぐらを掴む勢いで状況を説明すると、裏の会議室で文字通り『緊急最高幹部協議』が始まった。
出された結論は、満場一致。
「あの一家を、普通の冒険者として世に放っては絶対にダメだ。世界が壊れる。」ということ。
そうして急遽、ギルドの長い歴史の中でも前例のない【非戦闘・特別冒険者枠】という超法規的措置が爆誕した。
ギルドマスターが冷や汗を流しながらその決定を家族に伝えると、彼らはこれ以上なくホッとした、心底嬉しそうな顔で言ったのだ。
「それでお願いします。討伐がなくて良かった。」
一番小さな男の子だけが、チッと舌打ちをしそうなほど残念そうな顔をしていたのは、きっと私の気のせいだと思いたい。
その温和な家族の反応を見て、私はようやく確信した。
――ああ、この人たち、これほどの暴力的かつ神話級の力を持っていながら、本当に、本気で、ただ平和にスローライフを送るつもりなんだ、と。
◆
無事に登録が終わり、出来立ての冒険者証を受け取って、仲良く手を繋ぎながら一家がギルドを出ていく。
去り際、母親の肩に乗った小さなドラゴンが、わざわざ私の方を振り返り、短いお手てをパタパタと小さく振ってくれた。
「……キュイ!」
(……うわ、めちゃくちゃ可愛い……。)
国家崩壊級の脅威を前にして、真っ先に「かわいい」という感情が湧き出てしまった自分自身が、今は少しだけ怖い。
静まり返ったギルドのカウンターで、私は深く椅子に座り込み、天井を見上げた。
「……はぁ。今日のギルド本部への報告書、一体全体どう書けばいいのよ……。」
書き出しすら思いつかない。
でも、一つだけ確かなことがある。
あの底知れない、けれど驚くほど優しい家族がこの街にいる限り、このリベルタスという街は、世界のどこよりも、たぶん、もの凄く安全だ。
私はそう自分に言い聞かせ、重いペンを握り直した。




