第61話 絶望
魔王城の最奥、不気味に静まり返る玉座の間。
その空間が激しく歪んだかと思うと、リル、ミラ、ハク、リィナが現れた。
そしてなぜか、その後ろからモフが転がり出た。
「みんな! 大丈夫!?」
リル、ミラ、リィナが、みんなのところに必死で駆け寄る。
ルシファーの強力な一撃に誰もが身構えたが、トーヤが間一髪で3重に展開した《バリア》がその衝撃のすべてを完璧に吸収していた。
幸いなことに、全員かすり傷程度で済んでいる。
「よかった……本当に、本当によかった……!」
ミラは大きな瞳に涙を浮かべ、胸をなでおろした。
「危なかったな。《バリア》の展開がほんの一瞬でも遅れていたら、今頃全員バラバラになってたところだな……。」
トーヤが冷や汗を拭いながら苦笑いすると、リルもまた自分の胸をぎゅっと押さえ、深く息を吐き出した。
◆
「ガウッーー!!」
地を震わせるような咆哮。
ハクが怒りに全身の毛を逆立て、口元に凄まじい魔力を収束させる。
放たれたのは、絶対零度をも超える『ブリザードブレス』だった。
轟音と共に、広大な玉座の間が一瞬にして白銀の世界へと染まり、あらゆるものを凍てつかせる氷の嵐が、傲然と立ち尽くすルシファーを完全に包み込んだ。
誰もが固唾を呑んでその光景を見つめる。
しかし――。
「ふぅーーーっ。」
ルシファーが、退屈そうに軽く息を吹きかけた。ただそれだけで、玉座の間を埋め尽くしていた猛烈な氷嵐は霧散し、凍りついていた空気すら何事もなかったかのように元の温度へと戻っていく。
「……嘘だろ」
ソーヤが乾いた声を漏らし、その身体を小刻みに震わせる。
「全然、かすり傷一つ効いてないじゃん……。これ、マジでヤバくない?」
いつもは軽口を叩くユーヤすらも顔から完全に血の気が引き、絶望に目を見開いていた。
(やれやれ。結局、頭数が増えただけで、状況は何一つ変わらんようだな。)
ルシファーは深いため息をつき、これ以上時間を費やすのも無駄だと、この戦いを終わらせることに決めた。
彼は冷酷な視線をウェーノ家一同に向け、嘲笑を浮かべる。
「くっくっくっ……。冥土の土産にお前たちに良いことを教えてやろう。」
「我ら悪魔は、実体を持たない『精神生命体』だ。」
「故に、まずお前たちが誇る物理攻撃などでは、我が本体に塵ほどのダメージを与えることもできん。そして魔法においても、世界の理を覆すほどの余程の魔力がなければ、傷すらつけることは不可能なのだ。……そういう意味では、そなたの先ほどの魔法はなかなか見事であったぞ?」
トーヤを鋭い眼光で見つめ、ニヤリと嗤うルシファー。
「まぁ、仮に依代であるオルディナスの肉体が傷ついたところで、我が魔力が底を突かぬ限りは、自動で超高速修復されるのだがな。つまり、お前たちに勝ち目など万に一つもないということだ。」
その冷徹な宣言は、全員の胸に鉛のように重く鋭い絶望となって突き刺さった。
「もう満足しただろう?消え失せろ、人間ども。」
ルシファーが冷酷に右手を天へと掲げる。
その手を中心に、禍々しい黒紫のエネルギーが凄まじい勢いで渦を巻き、空間を侵食しながら巨大な球体を形成していった。
玉座の間全体がミシミシと悲鳴を上げて震え、大気が恐怖に怯えるように鳴動する。
圧倒的な格の違い。
本物の神話級の力を前に、誰も動けなかった。
あまりの恐怖と絶望に、身体が床へ縫い付けられたかのように一歩も動かすことができない。
まさに万事休す。全員が死を覚悟したその瞬間だった。
「もふっ。」
緊張感の欠片もない抜けた声と共に、モフが、ぽてり、とルシファーの目の前へと転がり出た。
「モフ!? ダメだ、戻れ!」
「モフ! どうしてそんなところに!?危ないから戻って!」
トーヤとアインが同時に、張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
しかし、ルシファーは狂気に満ちた薄笑いを浮かべただけだった。
「ほう……真っ先に自分から殺されに志願するとはな。健気な家畜だ。いいだろう――貴様から死ね。」
掲げられていた巨大な黒いエネルギー球が、容赦なく、一直線にモフへと向かって放たれた。
凄まじい轟音。
大地を爆裂させるほどの爆風。
立ち込める濃密な黒煙が、またたく間に玉座の間のすべてを覆い尽くしていく。
視界は完全に真っ黒に染まり、耳の奥で不快な耳鳴りだけが響く。
「モフーーーーーー!」
最愛の家族の名を呼ぶ全員の絶叫が、崩れ落ちていく玉座の間にいつまでも響き渡っていた。




