第51話 みんなでピクニック
朝のウェーノ家は、いつもより少しだけ浮き立った空気に包まれていた。
それもそのはず、今日はウェーノ家の面々と、リル、ミラ、そして新しく仲間になった元NPCのリィナの全員で、“光の丘へピクニックに行く日”だったからである。
「よし、お弁当の準備はバッチリよ〜! みんなの分、たーっぷり作ったからね!」
キッチンからは、アインの弾んだ声と、信じられないほど良い匂いが漂ってくる。
バスケットの中には、山盛りの特製サンドイッチや、ジューシーな唐揚げ、色鮮やかなサラダがこれでもかと詰め込まれていた。
「俺は周囲に展開する虫除けと温度調節の簡易結界を術式化しておいたよ。これで現地でも快適に過ごせるはずだ。」
トーヤが魔導書を閉じながら、相変わらず手際よく完璧なサポート魔法を準備する。
「じゃあ、俺は現地で使う用の特製折りたたみテーブルとチェアを作っておくよ。軽くて持ち運びしやすくて、座り心地が最高のやつね!」
ソーヤがパチンッと指を鳴らすと、職人のこだわりが詰まった美しい木製の家具一式がその場に具現化した。
「よし! 僕はピクニックに最高な伝説級のゲームアイテムを――」
「おいユーヤ、待て! お前は何を召喚しようとしてるんだ!」
怪しい光を放つ魔法陣を展開しようとしたユーヤの首根っこを、ソーヤが素早く掴む。
「え? いや、周囲の敵を自動で索敵して殲滅する『ピクニック用迎撃ゴーレム』とか、炭酸が無限に湧き出る『終わらない聖杯(コーラ味)』とか……。」
「過剰防衛だし、聖杯にコーラを入れるな! 普通に水筒で持っていけ!」
「チェーッ、せっかくのチート能力なのに!」
ユーヤが頬を膨らませる横で、クロとハクはピクニックという響きだけで大興奮だ。
「わーい! お外でご飯! お外でご飯!」
「楽しみ!楽しみ〜!」
人間の姿になったクロがリビングを走り回り、小さな白竜の姿のハクがその頭の上で嬉しそうに翼をパタパタと羽ばたかせていた。
そんな中、リルとミラは窓の外の青空を見上げながら、少しだけ寂しそうに眉を寄せていた。
「……セルティも、一緒に来られたらよかったのに……。」
「……うん。お外で食べたら、元気出たかもしれないのに……。」
いつもなら、こうした楽しい行事ごとには声をかけずともどこからか聞きつけて「私も行くわーーー!」と高速魔導馬車で乱入してくるセレスティア王女だったが、ここ最近はどこか元気がなく、ウェーノ村に顔を出す頻度も目に見えて減っていた。
毎日スマホに送られてきていた賑やかなメッセージも、今では一週間に一、二回、短い返信が来る程度になってしまっている。
(一緒にピクニックに行けば、少しは気分転換になって元気になるかも!)
そう思い、数日前にユーヤがスマホで誘いのメッセージを送ってみたのだが、返ってきたのは『ごめんね。今はちょっと忙しいから、やめておくわ……』という、彼女らしくない酷く静かな一言だけだった。
これにはトーヤもアインも深く心配しており、「近々、みんなで一度アトレイアの王宮へ様子を見に行こう」と話し合っているところだった。
みんながいそいそと荷物をまとめ、出かける準備を進める中――
一人だけ、リビングの隅でフリルのついたエプロンをきゅっと握りしめ、不思議そうに首をかしげている少女がいた。
「……マスター。質問があります」
リィナが、その澄んだ青い瞳をユーヤに向けた。
「“ピクニック”とは、具体的にどのような効率化を目的とした行事なのでしょうか? 私は生活支援NPCとして、現地でどのような作業を実行すればよいですか?」
あまりにも大真面目で機械的な質問に、アインがたまらずクスリと笑って、リィナの元へ歩み寄った。その柔らかな手でリィナの頭を優しく撫でる。
「リィナちゃん、ピクニックはね、何かをするための行事じゃないのよ〜。ただみんなで美味しいご飯を食べて、綺麗な景色を見て、のんびり“楽しむ”だけでいいの」
「楽しむ……ただ、それだけでよいのですか……?」
リィナは思考回路を巡らせるようにパチパチと瞬きを繰り返した。
その様子すら、どこか愛らしくて微笑ましかった。
◆
一行が目指した目的地は、リルが以前教えてくれた“光の丘”と呼ばれる場所だった。
ウェーノ村の裏手から少し離れた場所に広がるその丘は、かつてリルとミラがいた『隙間の庭』によく似た、静かで優しく、清らかな魔力が満ちている美しい場所だ。
丘へ続く緩やかな坂道を歩きながら、リィナは周囲の景色をじっと見つめていた。
ウェーノ村の中だけでは見られなかった広大な自然、情報量の多い世界の景色に、彼女は何度も小さく息を呑み、深い感動をその瞳に宿していた。
「……やはり、風の流れも、光のまばゆさも……私がいたゲーム世界のデータベースとは全く異なります。」
リィナは立ち止まり、そっと手のひらを空にかざした。
「こちらの世界の風や光には、決まったプログラムがありません。とても……“自由”です。」
その言葉に、隣を歩いていたリルがふんわりと微笑みかける。
「……そうだよ。この世界は、誰かがシステムで作ったものじゃないから。」
ミラも静かに頷き、リィナの顔を見上げた。
「……だから、風も、光も……全部、自分で生きてるの。」
「……生きて、いる……。」
リィナは胸元にそっと手を当てた。その言葉を、まるで世界で一番大切な宝物を受け取るかのように、口の中で優しく繰り返した。
◆
丘の頂上に辿り着いた瞬間、全員の顔がパァッと明るくなった。
視界一面に広がる鮮やかな緑の絨毯。優しい太陽の光を浴びた名もなき草花たちが、まるでそれ自体が微かに発光しているかのように、キラキラと幻想的な輝きを放っている。
「うわあぁ、綺麗……!」
リルとミラ、そしてリィナがその美しい情景に目を奪われている。
……が、ウェーノ家の子供たちはというと、そんなロマンチックな情景などそっちのけだった。
「よーし! かけっこ勝負だ!」
「望むところだ、ユーヤ!」
広い草原を目にした途端、野生のスイッチが入ったユーヤとソーヤが全力で走り出し、それを追ってクロとハクも大はしゃぎで駆け出していく。
「あはは! 待ってよ二人とも〜!」
「待て〜!」
その賑やかな様子を、トーヤとアインが並んで微笑ましく見守り、リルとミラも楽しそうにクスクスと笑い声を上げた。
ただ一人、リィナだけが、
(マスターが速度を出しすぎて転倒し、裂傷を負う確率……約23%。いつでも回復に動けるよう待機します。)
と、凄まじい生真面目さでユーヤの後ろ姿をハラハラしながら見つめていた。
◆
小一時間ほど広い丘を全力で走り回り、すっかりお腹を空かせた子供たちが、汗をかきながら戻ってきた。
待ってましたとばかりに、アインがソーヤが作ったキャンプテーブルの上に特製のお弁当を広げる。
「わぁ……! すごい、美味そう!」
ソーヤが目を輝かせ、ユーヤも身を乗り出した。
「母さん、今日もクオリティが限界突破してるよ!」
「美味しそう! お肉、お肉ある!?」
「お肉!お肉〜!」
お腹を鳴らす子供たちのために、トーヤが魔法で指先から綺麗な水を生み出し、みんなの手を優しく洗ってやる。
「よし、それじゃあみんなで、いただきます!」
トーヤの合図と共に、それぞれがお目当ての料理に手を伸ばす。みんなが賑やかにサンドイッチを頬張る中、リィナも勧められるまま、そっと小さなサンドイッチを両手で手に取った。
「……これが、“食べる”というリソース摂取の行為……。」
「リィナ! 難しいことは抜きにして、がぶって食べてみて!」
ユーヤが満面の笑みで背中を押す。
リィナは意を決したように、小さな口でサンドイッチを小さくかじった。
モグ、モグ、と咀嚼する。
――その瞬間。
リィナの胸の奥深くに、ふわりと温かく、言葉では表現できないほど幸せな“何か”が広がっていった。
「……これは……。データ上の数値ではありません……。」
リィナの青い瞳が、驚きで大きく見開かれる。
「胸の奥が、とても満たされるような感覚……これが、“美味しい”……ですか?」
アインが本当に嬉しそうに、目を細めて微笑んだ。
「そうよ〜、リィナちゃん。それが“美味しい”っていう気持ち。作った人の愛情が、心に届いた証拠なのよ。」
リィナはもう一度胸に手を当て、そっと目を閉じた。
「……心が……とても温かいです……。これが……“味”というものなのですね……。」
◆
食後は、大人たちも混ざって全員で思いっきり遊ぶ時間となった。
ユーヤが「これなら絶対に安全だから!」とゲーム管理画面から召喚した、当たっても全く痛くない不思議な『安全ボールゲーム』で全員で白熱したり、ソーヤがその場で創造した、風の魔力を受けてどこまでも遠くへ飛んでいく『永久滑空の紙飛行機』をみんなで競って飛ばした。
クロは嬉しさのあまり、人間の姿で走ったかと思えば、次の瞬間には小さな黒竜に戻って空を舞うなど、大忙しだった。
リィナは最初、その輪から一歩引いた場所で、ただじっとみんなの姿を見ていた。
「……私は、どのように動けば全体の効率を高められるでしょうか……?」
そんな彼女の前に、ミラがトコトコと歩み寄り、小さな手をそっと差し出した。
「……効率は、お休み。……一緒に、遊ぼ。」
リルも隣で優しく微笑む。
「……“楽しい”っていうのはね、頭で計算するものじゃないの。心で体験するものだよ。」
リィナは二人の温かい手を見つめ、少しだけ戸惑いながらも、その手をしっかりと握り返した。
そして、リィナはソーヤから手渡された紙飛行機を、見よう見まねで大空へと投げ放った。
ひゅううううっ!
リィナの手から放たれた紙飛行機は、丘を吹き抜ける自由な風に乗り、光の粒子を浴びながら、どこまでも、どこまでも高く、滑るように美しく飛んでいった。
それを見上げたリィナの瞳が、まるで星を埋め込んだかのように輝きだす。
「……すごいです……! 私が投げたものが、あんなに遠くまで……!」
「……っ、これが……“楽しい”……!」
その横で、ユーヤが我が事のようにニカッと笑う。
「でしょ!? 計算なんかできなくても、最高に気持ちいいでしょ!」
ソーヤも感心したように頷いた。
「リィナ、初めてなのに風を掴むのがすごく上手だよ!」
リィナはまた、自分の胸にそっと手を当てた。
「……不思議です。胸の奥が、とても軽くて……。勝手に口元が緩んでしまいます。これが……“笑う”という感情のアルゴリズムなのですか……?」
そんなリィナを、アインが後ろから優しくぎゅっと抱きしめた。
「そうよ〜、リィナちゃん。アルゴリズムなんかじゃなくてね、あなた、今とっても可愛くて素敵な顔をしてるわよ。」
◆
楽しい時間はあっという間に過ぎ、夕暮れ時。
光の丘全体が、燃えるような美しい金色に染まる中、リィナは沈みゆく太陽を見つめながら、ぽつりと静かに呟いた。
「……私、この世界が……とても好きです。プログラムされたデータではなく……すべてに命がある世界。肌を撫でる風があって、まばゆい光があって……。そして――」
リィナは、隣で楽しそうに笑っているユーヤを真っ直ぐに見つめた。
「……“あなたたち”が、私を家族として迎えてくれる世界だからです。」
不意打ちで真っ直ぐな言葉をぶつけられ、ユーヤは耳まで真っ赤にして慌てふためいた。
「ぼ、僕たち……!? う、うん、まあ、家族なんだから当然っていうか……!」
そんなユーヤの反応を見て、リィナは悪戯っぽく、しかし心からの穏やかな笑みを浮かべた。
「はい。私はこの素晴らしい世界で、皆様から“私自身”を学んでいます。あなたたちと一緒にいると……いつも、心が温かくなるのです。」
アインは我が子の成長を見るように涙ぐみ、
トーヤは父親らしい優しい眼差しで深く頷き、
リルとミラは嬉しそうにリィナの両隣に寄り添った。
クロとハクは「僕たちもリィナが大好き!」と尻尾をちぎれんばかりに振り、
ソーヤは照れる弟を見ながらリィナに親指を立てて見せた。
ユーヤは赤くなった顔を隠しながら、それでも嬉しそうにニカッと笑った。
こうして――
元NPCの少女リィナは、また一つ、大切な“人間らしさ”をその心に手に入れた。
ウェーノ村の、優しく平和な一日は、ゆっくりと、幸せな余韻を残しながら暮れていくのだった。




