第49話 NPC
ユーヤは自室の机に広げた空中のホログラム――〈ゲーム管理画面〉を、食い入るように眺めていた。
昨日の大規模な召喚練習で魔力を使いすぎたせいか、画面はしばらく沈黙を保っていた。
だが、今日開いてみると、ひとつだけ以前とは違う明らかな変化があった。
「NPC召喚(β版)」
その見慣れない文字の横に、小さく点滅する青いアイコンが表示されている。
「……β版って!? 僕のスキル、まだアップデートの余地があったの!?」
ユーヤが好奇心に勝てず、その青いアイコンにそっと指で触れた瞬間――
空気が、ビリッと鋭く震えた。
部屋の温度がふっと一度だけ下がり、ユーヤの視界いっぱいに、無機質な青白い光が幾何学模様を描きながら広がっていく。
床に浮かび上がった魔法陣は、父であるトーヤが使うような伝統的な魔術陣とは全く異なっていた。
それはまるで電子基板の回路のように細かく、流れているのは魔力ではなく、発光するデジタルデータの粒子のようだった。
『NPCの人格テンプレートを選択してください。』
脳内に直接響く、感情の一切こもっていない淡々としたシステム音声。
ユーヤは思わず息を呑んだ。
目の前に提示されたテンプレートは三つ。
・サポート型NPC — 回復・補助・後方支援に特化
・生活型NPC — 家事・管理・拠点雑務に特化
・戦闘型NPC — 近接・遠距離・タンクなど前線戦闘に特化
「う〜ん……。どれがいいかなぁ〜?」
どれも“ゲーム世界の住人”として自然すぎるラインナップだ。
ユーヤは少し悩んだ末、真ん中の項目をタップした。
「いきなり戦闘型を出して、村を壊しちゃったら父さんに怒られるし……。まずは、家の中で安全に扱えそうな生活型からだよな。」
選択した瞬間、魔法陣がひときわ強く輝き、データの粒子が下から上へと人の形を構築し始めた。
足先の輪郭から始まり、服の質感、髪の毛の一本一本、そして表情――
まるで高度な3Dモデルが現実空間にレンダリングされていくように、ひとりの少女が立ち上がる。
見た目の年齢は、高校生くらいだろうか。
月光のように淡く透き通った銀髪に、静かな湖面を思わせる柔らかな青い瞳。
そして、その服装はフリルのついた可愛らしいエプロン姿で、手にはなぜか小さなメモ帳をしっかりと握りしめていた。
「……初期装備がエプロンって、どういう世界観のゲームなんだよ……。」
少女はゆっくりと長いまつげを震わせて目を開け、ユーヤを真っ直ぐに見つめた。
『初めまして、マスター。私は生活支援NPC、リィナと申します。』
声は鈴のように澄んでいたが、どこかAIアシスタントのような機械的な響きが混じっていた。
だが、その表情や瞬きの動作は、驚くほど自然で人間にしか見えない。
リィナはユーヤの部屋をぐるりと見回し、数秒の沈黙の後、迷うことなくユーヤの机に散乱していたプリントやゲームソフトの山をテキパキと整頓し始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 勝手に片付けなくていいから!」
ユーヤが慌てて止めに入るが、リィナは手を休めずに淡々と答える。
『マスターの生活効率を最適化するために必要な行動です。』
「効率って……僕の部屋、そんなにひどく散らかってるか?」
『はい。ゲーム世界の基準データと照合した結果、現在の状況は“混沌”に分類されます。』
「混沌って言うな!」
ユーヤは思わず吹き出して笑ってしまった。
NPCのくせに、返しが的確で自然すぎる。
片付けの手を止めたリィナは、ふと窓際へと歩み寄り、外の世界を静かに見つめた。
『……この世界は、風の流れが違います。』
「え?」
『私がいたゲーム世界の風は、もっと……プログラムされた通りに、規則的でした。ここは……とても自由です。』
その言葉を聞いて、ユーヤの背筋がゾクッと震えた。
NPCが、プログラムされていないはずの“世界の違い”を肌で感じ取っている。
これは、ただデータを立体映像として呼び出す召喚ではない。
彼女という“ゲーム世界の住人”が、この複雑な現実世界に適応し、感じ、生きようとしているのだ。
リィナはユーヤの前に戻ると、両手を前で揃え、深く丁寧にお辞儀をした。
『マスター。私はこの世界で、何をすればよいのでしょうか。指示をお願いします。』
ユーヤは少し戸惑った。
ゲームの中なら、ボタン一つでNPCに命令を下すのは簡単だ。
でも、目の前で静かに指示を待つリィナは――どう見ても、心を持った人間の女の子のように見えた。
「……じゃあ、まずは……僕の部屋の掃除を、一緒に手伝ってくれる?」
『了解しました。マスターの生活効率を、全力で向上させます。』
リィナは顔を上げ、小さく微笑んだ。
その笑顔は、とてもプログラムの産物とは思えないほど、温かく自然なものだった。




