第38話 イケメンは辛い!?
クロが成人し、完璧な美貌を持つ竜人族の青年へと成長してから数日。
ウェーノ村は――
今日も平和で、そして相変わらずとんでもなく騒がしかった。
人型になったクロは、黙って立っていれば絵画のように完璧なイケメンなのだが――中身はまだ、四本足で駆け回っていた無邪気な子竜のままである。
「……あれ? 二本足で歩くのって、どうやるんだっけ……? 手って……どう振るのが正解だ……?」
右手と右足が同時に出る不自然な歩き方で、一歩一歩を真剣な顔で踏み出すクロ。
少し油断すると、すぐにバランスを崩して前のめりに倒れそうになる。
「うわっ……!」
「おっと。」
通りかかったソーヤが、慌ててクロの腕を掴んで支えた。
「おい、クロ。重心が前に行きすぎだって。人間は尻尾でバランスとれないんだから、もっと背筋を伸ばして歩かないと。」
「む、難しい……人間って、こんな不安定な姿勢でどうやってスイスイ歩いてるんだ……?」
クロが本気で悩んでいる横で、ユーヤが腹をかかえてゲラゲラと笑う。
「あははは! クロ、歩き方が完全に生まれたての赤ちゃんみたいだよ!」
「う、うるさいなぁ……! 慣れてないだけだよ!」
◆
そして、クロにとって現在最大の難関となっているのが――『食事』であった。
アインが作ってくれた湯気の立つシチューを前に、クロはスプーンを握りしめ、まるで親の仇でも見るかのような鋭い眼差しで器を睨みつけていた。
「えっと……こう、すくって……口まで運ぶ……。」
スプーンに乗ったシチューが、クロの震える手に合わせて小刻みに揺れる。
ぷるぷる……。
ぷるぷる……。
ぽちゃん。
口に入る直前で、シチューは見事にこぼれ落ち、器に戻ってしまった。
「……なんで……? どうしてまっすぐ口に入らないんだ……?」
アインは向かいの席で頬杖をつき、優しく微笑んでいる。
「クロちゃん、焦らなくていいのよ〜。人間のお手々は難しいわよねぇ、ゆっくり練習しましょうね〜。」
家族だけの空間なら、これでものどかな特訓風景で済んだのだが――
今のクロを取り巻く環境は、それを許さなかった。
窓の外から、キラキラとした視線を送る村の女性陣が、雪崩を打って家の中に押し寄せてきたのだ。
「クロくん! スプーン使えないの!? 私が食べさせてあげる!」
「いやいや、私が! 私のスプーンで食べて!」
「クロくん、はい、あーんして♡」
「ちょっと抜け駆けしないでよ! 順番よ、並んで!!」
エルフの美女、獣人のお姉さん、ドワーフの看板娘たちが、我先にとスプーンを持ってクロの周りをぐるりと囲い込む。
クロは顔を限界まで真っ赤にして、椅子の背もたれにへばりつくように後ずさった。
「ちょ、ちょっと待って!? 僕、自分で練習すれば食べられるから! だからそんなに顔を近づけないで……!」
ソーヤは群がる女性たちの熱気に当てられ、遠くから呆れたようにため息をついた。
「……こりゃダメだ。アイドル気取りの熱狂的ファンクラブが結成されちゃってるな。」
一方でユーヤは、スプーンの山に埋もれるクロを羨望の眼差しで睨みつけていた。
「いいなぁぁぁぁぁ! 代わってよ! 僕も綺麗なお姉さんたちに『あーん』されたいぃぃ!」
◆
その日の夕方。
騒ぎがようやく落ち着き、アインが夕食の片付けをしながらぽつりと漏らした。
「そういえばクロちゃん、まだ人間の手でお風呂での洗い方が分からないみたいで、背中とかうまく洗えないみたいなのよ〜。」
その一言が、静寂を取り戻しかけていた村の空気を一変させた。
ピクッ、と窓の外の茂みから、いくつもの女性陣の耳が動く音がした。
「えっ……?」
「自分で洗えない……?」
「それって……つまり。」
「私たちの出番じゃない!!」
「クロくん、一緒にお風呂に入って洗ってあげる!」
「私が優しく背中を流してあげるわ!」
「いや、全身くまなく洗うわ!」
ドカドカと風呂場へ向かおうとする暴徒化した女性たちを前に、クロは顔から火が出るほど真っ赤になり、絶叫した。
「む、無理無理無理無理無理!! 僕ひとりで気合で入るから大丈夫! 絶対に入ってこないでぇぇ!」
ソーヤは深く深く頭を抱えた。
「……クロがイケメンすぎて、村の風紀が滅ぶぞこれ。」
ユーヤはリビングの床に突っ伏して、悔し涙で床を濡らしていた。
「羨ましすぎて死ぬ……僕も洗われたい……。」
◆
その夜。
全てから逃げ出したクロは、家の縁側でひとり、膝を抱えてしょんぼりと座っていた。
「……人型って、すっごく疲れる……。」
アインが温かいお茶を持って隣に座る。
「ふふ、今日は一日、本当に大変だったわね〜。」
クロはお茶を両手で包み込むように持ち、ため息をついた。
「歩くのも難しいし、スプーンも使えないし……何より、みんなが変な目ですごく近づいてくるし……。竜の姿の時は、みんなもっと普通に頭を撫でてくれたのに。」
背後から、エルが静かに歩み寄り、クロの美しい黒髪を優しく撫でた。
「人型になったからって、無理に人間のように振る舞わなくていいのよ。あなたはあなたのペースで慣れていけばいいの。」
クロは母の温かい手に触れ、少しだけ考え――
そして、決意したようにポンと手を打った。
「……うん。僕、しばらく、竜の姿に戻る。」
「キュイッ!」
ポンッ! と軽い音がして、青年だったクロは一瞬にして、いつもの愛らしい小さな黒竜の姿へと戻った。
「キュイ……あ、人間の言葉はそのまま話せるみたいだ。」
ソーヤが縁側に出てきて、苦笑しながらクロの頭を撫でた。
「ははっ、今のところは、その姿の方がクロらしいな。歩く練習は少しずつ俺が付き合ってやるよ。」
ユーヤも飛び出してきて、悔しそうに叫ぶ。
「でもイケメン姿も捨てがたい!! もっと僕に見せびらかして、モテる方法を研究させてよ!」
こうして――
クロの波乱に満ちた“人型生活”は、疲労により一旦終了し、村はようやく元の平和を取り戻した……ように見えた。




