第19話 “家族”を知る日
”ウェーノ村(仮)”の日常は、今日も恐ろしいほどに賑やかだった。
エルフの子どもたちが木の上からアクロバティックに手を振り、
獣人の子どもたちが土煙を上げて駆け回り、
ドワーフが工房で花火のような火花を散らし、
マーメル族が池で美しい合唱を響かせ、
オートマト族が静かに観測塔のレンズをキュイィンと調整し、
トレント族が巨大な葉を揺らして森の風を整えている。
そんな、世界中の神話がごちゃ混ぜになったような異常な光景の中心に、ウェーノ家はどっしりと(半ば諦め気味に)構えていた。
そして——
そのウェーノ家の縁側で、リルはぽつんと、少し所在なさげに座っていた。
「リルちゃん、温かいお茶が入ったわよ〜。」
アインが、湯気の立つ可愛らしいティーカップを差し出す。
「ありがとう。」
リルはそっと両手で受け取り、立ちのぼる芳醇なハーブの香りの湯気を見つめた。
(……あったかい。)
“庭”の冷たい空気の中には、こんな温かさはどこにもなかった。
「よっ。」と、ソーヤが縁側の隣に座り、ピカピカに磨かれた真っ赤なリンゴを差し出した。
「これ、さっき畑で収穫したばかりのリンゴ。めちゃくちゃ甘くておいしいから、食べてみなよ。」
「……うん。ありがとう。」
反対側からは、ユーヤが携帯ゲーム機のような謎のデバイスを叩きながら割り込んでくる。
「ねぇ、リル姉ちゃん! 僕がさっき召喚したこのスライムナイト、すっごくカッコ可愛いくない!?」
「うん。すごくかわいいね。」
子どもたちのそんな騒がしい様子を見ながら、トーヤは縁側の柱によりかかり、穏やかに笑った。
「リル。もう遠慮なんていらないぞ。ここはもう、君の家みたいなものなんだから。」
「いつでも、毎日でもおいで。」
「……家!?」
その言葉が、リルの胸の奥に深く、深く響いた。
(……家……。私に……帰る場所が……そんな場所が、あるの……?)
温かいお茶の熱とは違う、胸の奥がじんわりと熱を帯びていくのを感じた。
◆
夕方、村のあちこちから夕飯のいい匂いが漂い始めた頃、アインがキッチンから顔を出した。
「リルちゃん、今日は晩ごはん、一緒に食べていく?」
「えっ……いいの……?」
「もちろんよ〜。あなたはもう、私たちの大切な家族だもの。」
「家族……。」
その単語に戸惑うリルに、ソーヤがニコリと笑いかける。
「そうそう。リルはもう、俺の可愛い妹みたいなもんだよ。」
ユーヤも負けじと胸を張る。
「僕の優しいお姉ちゃんになってよ!」
クロもユーヤの頭の上に飛び乗り、誇らしげに鳴いた。
「キュイッ!」
リルは、溢れそうになる感情に胸がいっぱいになった。
(こんな気持ち……本当に、初めて……。“庭”では、何百年もずっと一人で、冷たい光を見てるだけだったのに……。家族って……こんなに、あったかいんだ……。)
リビングの大きな食卓には、ウェーノ農場で採れた新鮮な野菜をたっぷり煮込んだ特製シチュー、ドワーフの窯で焼き上げた外はカリカリ・中はフワフワのパン、エルフの森で採れた瑞々しい果物の盛り合わせが、所狭しと並べられていた。
アインが笑顔で湯気の立つ皿を並べる。
「さぁ、たくさん食べてね〜。」
「……うん。」
リルはスプーンを握り、シチューを一口、口に運んだ。
(……おいしい。こんな優しい味……知らなかった。)
ソーヤが焼きたてのパンを渡してくれる。
「これもシチューにつけて食べなよ。最高だから。」
「ありがとう……。」
ユーヤが真っ赤なイチゴを差し出してくる。
「食後のデザートは早い者勝ちだよ! これすごく甘いから!」
「……うん。」
トーヤが、自分のグラスに水を注ぎながら優しく言う。
「リル。うちでは本当に遠慮しなくていいんだ。お腹いっぱいになるまで食べなさい。」
「……うん……。」
胸が、あたたかくて、苦しくて、幸せで。
気づけば、リルの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ち、シチューの皿に波紋を立てていた。
「リルちゃん!? どうしたの、熱かった!?」
アインが慌てて駆け寄る。
「ごめん……、ごめんね……。」
リルは首を激しく振り、袖で涙を拭った。
「違うの……。悲しくないの……。こんな気持ち……生まれて初めてで……。みんなと一緒にいると……優しくされると……胸が……あったかくて、涙が止まらなくなるの……。」
アインはほっと微笑み、そっとリルを抱きしめ、その背中を撫でた。
「それはね、リルちゃんが私たちとの繋がり——“家族”を感じてくれてる証拠よ。」
「……家族……。」
その言葉を心の中で何度も反芻しながら、リルはアインの温かい胸に顔を埋め、声を出して泣いた。
(家族って……こういうものなんだ……。こんなに……優しくて……あったかくて……絶対に手放したくないものなんだ……。)
◆
賑やかで温かい夕食を終え、涼しい夜風に当たりながら、“庭”への帰り道を歩く。
リビングの隅に設置されたゲートの前に立った時、リルはふと胸に手を当てた。
(……あれ……?)
胸の奥で、かすかな光が揺れたような気がした。
ちり……ん。
ソーヤが作ってくれた腕輪の鈴が、風もないのに、澄んだ音を立てて鳴った。
「……?」
リルは驚いて腕輪を見つめる。
(誰かが……呼んでる……?)
胸の奥深く、《ツイン・メモリー》として宿ったもうひとつの声が、微かに、けれど確かな意思を持って響いた。
——リル……。
——あったかい……ね……。
——もっと……感じたい……。
リルは息を呑んだ。
(この声……知ってる……。でも……あの時、消えたはず……。)
影の少女——
リルの“もう一人の自分”。
ツインメモリーの中に溶け込んだはずの存在。
その気配が、確かにリルの心と共鳴して揺れたのだ。
「……もしかして……。」
リルは胸に両手を当て、そっと、自分の中のもう一人に語りかけるように呟いた。
「あなたも……このあったかさを、一緒に感じてるの……?」
腕輪の鈴が、再び優しく鳴った。
ちりん……。
それはまるで、“うん、すごく温かいよ”と答えているようだった。
「……そっか。」
リルの目から、また一筋の涙がこぼれ落ち、しかしその口元は優しく微笑んでいた。
「じゃあ……これからも一緒に感じようね。」
「みんなのあったかさを……二人分にして。」
リルはゲートへと歩き出した。その小さな背中を、村の夜風が優しく包み込む。
そして——
“庭”の奥深くで、完全に消滅したはずの黒い影が、ほんのわずかに揺れた。
まるで、温かな毛布の中で、ゆっくりと目を覚まそうとしているかのように。




