番外編 リルの記録——はじめての来訪者たち
私は、永劫とも思える果てしない時間の間、ずっと、ずっとこの場所にたった一人きりだった。
世界と世界の狭間に浮かぶ、“隙間の庭”。
どの次元の世界にも属さず、地図のどこにも存在しない、ただ静寂と不変だけが支配する場所。
時間の流れすら曖昧で、誰も訪れることのない寂しい箱庭。
それが私にとっての日常であり、当たり前の世界だった。
……少なくとも、あの日、あの不可解な家族が私の前に現れるまでは。
◆
最初に奇妙な違和感を感じたのは、彼らが現れる数日前のことだった。
いつもなら一定の広さを保ち、完璧な均衡を維持しているはずのこの庭の境界線が、どういうわけか、目に見える速度で“外側に向かって無理やり押し出される”ように、グングンと広がり始めてしまったのだ。
(……おかしいわ。一体何が起きているの……?)
原因を突き止めるため、私は庭の壁の向こう側――つまり、境界線が最も激しく揺れ動いている“現実の世界”の動向を探ってみた。
すると、そこから流れ込んでくる魔力の『質』と『濃度』が、あり得ないレベルで異常だったのだ。
(こんなデタラメな魔力濃度、神話の時代でもあり得ない……。しかも、ただ暴力的に強いだけじゃない。完璧な秩序があるようで、それでいて混沌としている。自然のエネルギーのようでありながら、極めて人工的に洗練されている……。あまりにも矛盾しすぎているわ。)
一体、外の世界でどんな恐ろしい魔王や神々が戦争を始めたというのだろう。
(何が起きているのか、ほんの少しだけ、外の世界の様子を覗いてみよう――)
そう思い、私が境界線に手を伸ばした、まさにその瞬間だった。
――グラリ。
目の前の空間が、まるでガラスが割れるかのように激しく揺れ動いた。
「……え?」
あまりの出来事に、思考回路が完全にフリーズした。
本来、この“隙間の庭”は、外の世界の住人が自力で見つけることも、ましてや生身の身体で侵入することも、世界の不可侵なルールとして絶対に『不可能』なはずなのだ。
なのに、“向こう側の現実”から、まるで近所の庭の柵をまたぐかのように、ごく普通に誰かが入ってきた。
現れたのは、四人の人間。
優しそうな大人の男性が一人、おっとりとした女性が一人、そして、賑やかな二人の男の子。
(……なんで!? なんで普通に歩いて入って来られてるの!? あり得ない、本当にあり得ないわ!!)
世界の前提そのものが根底から覆され、私がパニックになりかけていた。そして、気づいたときには、
「こんにちは。」
と、私が無意識のうちに声をかけていた。
本当は、物陰からじっくり様子を見るつもりだったのに、彼らが放つ独特の空気に、思わず引き寄せられてしまったのだ。
振り返った彼らの姿を間近で見て、私がまず最初に感じたのは、
(……なんだか、凄く温かい。温度がある……。)
この冷え切った静寂の庭では決して感じることのなかった、圧倒的な“生の気配”。
一人一人の放つオーラは、それこそ世界を数回滅ぼせるほどに異常で恐ろしいはずなのに、その気配はどこまでも強くて、やわらかくて、そして少しうるさいくらいに賑やかだった。
……不思議と、恐怖は全く感じなかった。
ただ、あまりにも眩しすぎる存在感に圧倒されながら、私は彼らに問いかけた。
「あなたたち……ここで一体、何かしたの……?」
すると、彼らは悪びれもせず、むしろ楽しそうに、次々と信じられない言葉を返してきた。
『ちょっと規格外の畑を作った』
『ゲームのスキルで色々召喚した』
『神業みたいな創作スキルで道具を作った』
『ドワーフたちと農場の完全自動化を進めた』
『エルフや人魚やロボットが集まってきた』
(……うん、間違いなく“庭”の異変の犯人は、この人たちだわ……。)
100%の確信を得た。
この人たちが、現実の世界の容量をその規格外の日常で押し広げているから、その余波がこの庭にまで影響しているのだ。
でも、本当に不思議なことに、私は彼らをこの場所から追い出そうとは全く思わなかった。
普通なら、世界を脅かす異常者として警戒するべきなのに。
「この“隙間の庭”を守るのを、手伝ってくれない?」
気づいたら、私は自分でも驚くほど素直に、そんなお願いを彼らに口にしていた。
ずっと一人で抱え込んできた秘密の場所なのに。
でも――
(もしかしたら、不思議で温かい人たちなら、大丈夫かもしれない……。)
直感的にそう思ってしまったのだ。
そして、私のその直感は、その直後にあまりにも衝撃的な形で証明されることとなった。
空間がザワつき、世界の不純物である漆黒の怪物“ズレた存在”が這い出てきた。
普通の世界の住人なら、あれを見ただけで恐怖で狂うか、必死に逃げ惑うはずだ。
なのに、その家族の父親は、
「――《ホーリー・レイ》。」
ただ、それだけ。
本当にそれだけの一言で、世界を蝕むはずの怪物を、跡形もなく消滅させてしまったのだ。
(は……? 何が起きたの……?)
強いとか、魔法が凄いとか、そういう次元の話ではない。
あの人は、完全に“世界のシステムそのもの”を上書きして干渉している。
それほどの圧倒的で暴力的な力を持ちながらも、この家族は、この世界を壊そうともしないし、何かを奪おうともしない。
ただ、遠足にきた子供のように楽しそうにしているだけ。
「うわぁ、景色が凄く綺麗だね〜。」
「ここに住めるのかなぁ?」
この家族は、危険なんかじゃない。むしろ、
(……本当に、変で、面白い人たち。)
そう思ったら、張り詰めていた心の緊張が解け、私は何百年ぶりか分からないほど自然に、クスッと笑ってしまっていた。
そして、彼らが帰っていく後ろ姿を見送りながら、胸の中に、ある一つの灯火が灯った。
(……また、絶対に遊びにきてね。)
それは、この孤独な庭で、私が生まれて初めて抱いた、他人への『愛おしさ』という名の温かい感情だった。




