第10話 “隙間の庭”の掃除
初めて“隙間の庭”を訪れてから、数日が経過したある日のこと。
ダイニングテーブルを囲んで、家族みんなでいつものように賑やかに朝食を食べていると、トーストを口に運んだユーヤが、おかしなことに気付いてピタリと手を止めた。
「あれ? 母さん、このパン、なんだか妙に冷たくない? 味がしないっていうか、時間が止ってるみたいな不思議な感じがする……。」
「え? そんなはずないわよ〜。さっきオーブンから出したばかりの焼きたてなのに……。」
アインが首をかしげながらトーストに触れてみるが、確かにアインの手の中でも、パンは焼きたての熱を持っているのに、どこか『存在そのものが冷え切っている』ような、奇妙な違和感があった。
そのやり取りを横でじっと見ていたソーヤが、フォークを顎に当てて腕を組んだ。
「……これ、もしかして数日前のあの“隙間の庭”の影響じゃないかな?」
「やっぱりそう思うか、ソーヤ。こちらの現実世界にも、何かしらの空間的な歪みの干渉が始まっているのかもしれないな……。」
トーヤも深刻に頷く。
バランスが崩れ始めているのだろうか。リルに事情を聞くために、今日もこちらからあのゲートを開いて“隙間の庭”に行くべきかどうか悩んでいると――まさにその瞬間、目の前のリビングの空間が、ゆるっとスライムのように歪み、見覚えのある漆黒のゲートが開いた。
「……おはよう。」
そこから、白い髪を揺らしたリルが、ひょこっと可愛らしく顔を出したのだ。
「「うわぁっ!? びっくりした!!」」
ソーヤとユーヤが椅子からひっくり返りそうになって驚く。
一方でトーヤは、渡りに船とばかりに笑顔を浮かべた。
「おお、リル。ちょうどいいところに!」
実は、この間トーヤが「世界のバランスの維持に全面的に協力する」とリルに宣言し、魔力を同調させたことにより、リルとトーヤは互いに共同管理者として認識され、二人の間であれば、いつでもどこでも自由にこのゲートを開閉できるようになっていたのだ。
「リルちゃん、いらっしゃい。立ち話もなんだから、こちらに座って、お茶でも飲んで。」
アインがすぐにリルの分の椅子を引き、彼女の前に淹れたての温かいアールグレイの紅茶を差し出す。
リルは少し緊張しながらも、上品に椅子に腰掛けた。
改めて、トーヤが本題を切り出す。
「実は、今朝からうちの家の中で、ちょっと奇妙な空間のバグみたいな現象が起こり始めてるんだ。これって、もしかして“庭”の方で何か異変が起きている影響だったりする?」
それを聴いた瞬間、リルは「あー……。」と言いたげに、もの凄く申し訳なさそうな、気まずい顔をして紅茶のカップを見つめた。
「やっぱり、こちら側にも影響が出始めていたのね……。」
「え? やっぱりって、一体どういうことだ?」
全員が身を乗り出して聞き返す。
リルは意を決して、恥ずかしそうに白状した。
「あのね……最近、“庭”がちょっと、その……物理的に汚れてきてしまっているの……。」
「……汚れてる?」
トーヤがオウム返しに尋ねる。
「うん。もともと“隙間の庭”はね、あらゆる世界の境界線にあるから、いろんな世界で生み出されて消え損ねた『世界の余りもの』が自然と流れ込んで溜まっちゃう場所なの。例えば、誰かが使い残した中途半端な魔力の塊とか、途中で作るのを失敗して形にならなかった不完全な概念とか……。あとは、世界の人々から完全に忘れ去られた古い物とかね。」
それを聞いた瞬間、ユーヤのゲーマー脳がビンビンに反応し、目をランランと輝かせた。
「ええっ!? 世界の余りもの!? それって裏を返せば、超古代のロストテクノロジーとか、激レアな裏設定の合成レア素材の山なんじゃ――」
「いや。ただのゴミだから。何の役にも立たないわ。」
ユーヤのロマン溢れる発言は、リルによって一瞬で無慈悲に即却下された。
ユーヤはガビーンとショックを受けている。
トーヤは大きな溜め息をつきながら、話を整理した。
「なるほどね。つまり、その“隙間の庭”に流れ込んできたゴミの量が多すぎて、庭の許容量を超えて汚れてしまっている。それが原因で、隣接している俺たちの世界にも、空間的なバグの影響が出始めている、ということか。」
「そうなの……。」
リルは小さく頷き、上品に組んだ手をモジモジとさせながら、非常に言いにくそうに声を絞り出した。
「それで……その……本当に申し訳ないのだけれど……。もしよかったら、私と一緒に、“庭”の【お掃除】を手伝ってはくれないかしら……?」
そのお願いを聞いた瞬間、ウェーノ家一同の間に、何とも言えない沈黙が流れた。
「……はぁ。異世界に転生して最強になっても、結局やることはお家の掃除かぁ〜。」
「なんか、地味だし凄くめんどくさそうだなぁ……。」
ソーヤとユーヤの男子兄弟は、いかにも子供らしく露骨に気乗りしない様子で肩を落とす。
しかし、母のアインと相棒のクロは、完全にやる気満々の様子だった。
「何を言ってるの、二人とも。いつも一人ぼっちで頑張っているリルちゃんが、こんなに困っているのよ? 家族みんなで、楽しくお手伝いしてあげるのが当たり前でしょう?」
「キュイィィィーーーッ!!」
クロもアインの肩の上で、雑巾がけでもするかのようにつぶらな瞳を燃え上がらせている。
「そうだな。男に二言はない。世界のバランスを取るのに協力すると約束したばかりだし、朝食を食べ終えたら、みんなで“庭”の大掃除に行こうじゃないか!」
「……ありがとう、みんな……っ!」
トーヤが優しく微笑んで子供たちをなだめると、リルの表情にパッと救われたような喜びが広がった。
そのまま、リルもウェーノ家の朝食の輪に加わることになり、アインの美味しい手料理をみんなで囲む、少し遅めの賑やかな朝食会が開かれた。
◆
朝食をバッチリ終え、満を持して全員でゲートをくぐり、“隙間の庭”へと足を踏み入れたその瞬間――
「うわああああっ!? なんだこれ! めちゃくちゃじゃん!?」
目の前に広がっていたあり得ない光景に、ユーヤが思わず指を差した。
そこには、数日前までは美しかった光る地面と紫色の空の間に、おびただしい数の『謎の物体』が、重力を完全に無視してプカプカと無数に浮遊していたのだ。
『刀身が飴細工のようにグニャリと曲がった、途中まで作られた不完全な剣』
『毒々しい紫色に変色し、歪に肥大化したぐにゃぐにゃのリンゴ』
『顔のパーツが半分溶けて消えかけている、半透明の不気味なぬいぐるみ』
『ドロドロとしたヘドロのような質感で、意思を持たずに蠢くスライムのような魔力の残滓』
「ああ~……。これは確かに、僕の部屋の散らかり具合の比じゃないくらいひどいね……。」
浮遊する世界のゴミの群れを見上げながら、ユーヤが苦笑いを浮かべる。
リルは恥ずかしそうに、小さな身体を縮めて呟いた。
「普段ならね、数ヶ月くらい経てば、空間の自浄作用で自然に消えるはずなんだけれど……。最近、どういうわけかゴミが流れ込んでくる速度が異常に早くて、処理が追いつかなくなっちゃって……。」
(……まぁ、確実にうちのチート農場拡大のエネルギーのせいだな。本当に申し訳ない……。)
心の中でリルに盛大に謝罪したトーヤは、頼れる父親としての威厳を示すため、一歩前へ出た。
「よし、ウェーノ家の総力を挙げて、一気に片付けるぞ! リル、一応確認だが、この中に必要な物や、消しちゃダメな大切なものは混ざってないか?」
「ええ、一切ないわ。私にとっては、ただ空間を圧迫するだけの目障りなゴミでしかないわ。」
「よし、了解した。まずは――動きを止める。――《フリーズ》。」
トーヤが軽く指を鳴らすと、次の瞬間、不規則に不気味に浮遊し、蠢いていた何千、何万という大量のゴミオブジェクトたちが、まるで時間が完全に停止したかのようにピタリと空間に固定された。
「さぁ、みんな、それぞれのスキルを使って、一斉に効率よく処分していくんだ!」
父親の合図を受け、まずはソーヤが、職人の瞳をキラーンと輝かせて両手を広げた。
「了解! 俺の《クリエイター》を使って、あの物質たちの不完全な結合データを『再構築』して、空間の塵へと分解消滅させるね!」
ソーヤが手をかざすと、グニャグニャだった不完全な剣やリンゴたちが、次々と完璧な分子レベルにまで分解され、光の塵となってハラハラと消滅していく。
一方で、ユーヤはみんなに背を向け、何やら怪しげなぬいぐるみのゴミをこっそり背後のリュックに詰め込もうと、コソコソと動いていた。
「へへへ……この半透明のぬいぐるみ、上手くゲームスキルで属性を付与したら、隠しペットモンスターとして使えそうじゃん……。」
「コラァ! ユーヤ! 勝手にゴミを持ち帰ろうとするんじゃない! お前は掃除をしにきたんだろ!」
「いたっ!? げっ、父さんに速攻で見つかった!」
トーヤに背後から頭をゴツンと拳で小突かれ、ユーヤはまたしても叱られて涙目でゴミを戻していた。
一方、アインはというと、相変わらずのんびりとした様子で、
「大丈夫よ〜、怖くないわよ〜。」
と優しく微笑みながら、ドロドロとした魔力の残滓や、溶けかけたぬいぐるみの群れに向かって、ふわっと聖母のような温かい両手をかざした。
「みんな、居るべき場所が分からなくなっちゃったのね。大丈夫、もう元の場所に、お家に帰ってもいいのよ〜?」
すると信じられないことに、アインのその異常なレベルの母性と【魔獣の加護(多数)】の波動に包まれたゴミオブジェクトたちは、まるで自我を取り戻して救済されたかのように、嬉しそうにフワフワと美しい純白の光の粒子へと姿を変え、世界の彼方へと自ら昇天するように消え去っていったのだ。
そのあまりに道理を無視した光景を横で見ていたリルは、大きな目をこれ以上ないほど丸くして絶句した。
「……嘘……。それ、あり得ないわ……。概念の残滓に語りかけて『成仏』させるなんて、普通の世界の神様でも絶対に不可能なことよ……!?」
驚愕するリルの問いかけに、アインは「あらそう?」と不思議そうに小首を傾げるだけだった。
「そうかしら? なんだか、あの子たちがお話しできそうな気がしたから、優しくお話しして、お家に帰ってもらっただけよ〜?」
アインにとっては、近所の迷子の子どもを家に帰すのと同レベルの感覚のようだった。
そして最後、仕上げとばかりに、アインの肩から飛び立ったクロが、畑の守護神としてのプライドを胸に、大空へと羽ばたいた。
「キュアァァァァァァーーーーーーーン!!!!」
クロが天を仰いで神聖な咆哮を轟かせると、その口から放たれた全属性の浄化の波動が、庭の全域を一瞬にして駆け抜けた。
バキバキバキバキッ!!! と空間が鳴り響き、残っていた数万個の浮遊ゴミたちが、文字通り一瞬にして全消去され、跡形もなく完全に浄化されてしまったのだ。
さっきまであれほどおびただしい数のゴミで埋め尽くされていた“隙間の庭”は、ほんの数分足らずで、見違えるほどに美しく清らかな元の幻想空間へと戻っていた。
あまりの光景に、リルはもはや言葉を失い、魂が抜けたかのように茫然自失として立ち尽くしていた。
「……これでどうだい、リル。綺麗になったかな?」
トーヤが優しく声をかけると、リルは我に返り、ぐるりと周囲を何度も見回した。
「……うん……。信じられない……。私が何百年かけても終わらないはずの量が、一瞬で……。すごく、すごく綺麗で、素晴らしい状態よ……!」
リルは胸に手を当て、心の底から溢れ出たような、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべてウェーノ一家を見つめた。
「みんな、本当に本当にありがとう……! 私、こんなに嬉しいの、生まれて初めて……っ!」
少女の心からの感謝の言葉に、ウェーノ一家も「お役に立てて良かった!」と温かい笑顔を返した。
◆
大掃除も無事に終わり、我が家の空間バグもこれで収まるだろうと、一家がそろそろ現実世界への帰り支度を始めようとしていた、まさにその時だった。
綺麗になった紫色の空中から、ポトッ……と、何かがユーヤの目の前の地面に落ちてきた。
それは、手のひらサイズほどの、まるでダイヤモンドを液体にして固めたかのような、ほんのりと温かく七色に輝く小さな光の結晶だった。
「おや、これは何だ? ゴミの消し忘れかな?」
トーヤが覗き込むと、リルの目が驚きに輝いた。
「それは……“安定した欠片”……!」
「安定した欠片?」
ユーヤがそれを拾い上げながら尋ねる。
結晶は生き物のように柔らかく、触れているだけで心がぽかぽかと温かくなってくる。
「うん。この“隙間の庭”が、世界の不純物を100%完全にシャットアウトして、完璧に純粋な状態へ浄化された時にだけ、空間の奇跡として極稀に生み出される、超高純度の概念結晶よ。」
「へぇー! なんか凄そうだけど、これって何か意味や効果があるの?」
ユーヤのワクワクした問いに、リルは人差し指を顎に当てて少し考え、解説した。
「うーん……。私も長い歴史の中で数回しか見たことがないから詳しくは分からないけれど、古い伝承ではね、その欠片を強く握りしめた人の、胸の奥底にある最も純粋な望み――“理想”の形へと、万能に変形するって聞いたことがあるわ。」
「えええっ!? その人が本当に欲しい理想の形に変形するの!? それって最高のお宝じゃん! ハイパーレアアイテム確定!!」
リルのロマン溢れる解説に、ユーヤの目がこれ以上ないほどランランと輝き始めた。
リルは優しく微笑み、ユーヤの手元を指差した。
「もしよかったら、今日の素晴らしいお掃除のお礼に、持って帰って。」
「それじゃあ、リルのお言葉に甘えて、ありがたく頂戴していこうかな。」
トーヤの言葉に全員が頷き、お土産としてその“安定した欠片”を現実世界へと持ち帰ることにした。
◆
無事に我が家の平和なリビングへと帰宅した後。
さっそくユーヤは、リビングの床の真ん中に立ち、ワクワクとドキドキを両立させながら、七色に光る“安定した欠片”を両手でギュッと強く握りしめた。
「頼むぞ……! 僕の理想の、最強の、超カッコいいSSSランクの伝説の神剣になってくれ……っ!!」
ユーヤが全力で願いを込めると、欠片がブワッと強烈な黄金の光を放ち、リビング全体が眩い光に包まれた。
ソーヤやトーヤも「何が出来るんだ!?」と固唾を飲んで見守る。
――ポンッ♪
次の瞬間、小気味よい気の抜けた音が響き、光が収まったユーヤの手の中に残されていたのは――。
どこにでもある、至って普通の、少し大きめのチェック柄の「正方形の綿クッション」だった。
「…………え?」
ユーヤは、自分の手の中にある、あまりにも生活感の溢れるフカフカしたクッションを見つめ、完全にフリーズした。
それを見たソーヤが、お腹を抱えてリビングの床を転げ回りながら、涙を流して大爆笑し始めた。
「あははははははは!!! お腹痛い!!! いや、なんでクッションなんだよユーヤ!!! お前の心の中の一番の理想って、伝説の武器じゃなくて『お家でのんびりゴロゴロできるクッション』だったんだ!! あははははは!!」
「い、いや、違うんだってば!! 僕は絶対に神剣をイメージしてたのに、なんでクッションなんか――!?」
恥ずかしさと残念さで顔を真っ赤にするユーヤを、アインが優しく抱きしめてフォローした。
「あらまぁ〜、でも、見てユーヤ。このクッション、触り心地がとってもフカフカで、最高に気持ちいいわよ。素晴らしい理想じゃない〜。」
「うぅ、母さん……。」
「キュイッ♪」
そんなウェーノ家の爆笑と意気消沈のやり取りを横目に、一家の相棒であるクロは、その出来立てのクッションが大変お気に召したようで、ユーヤの手から奪い取るようにしてクッションの真ん中にドサリと陣取ると、恍惚の表情を浮かべて身体を預け、くつろぎ始めてしまった。
まるで最初から、自分のために作られたマイベッドだと言わんばかりに、リラックスしてパタパタと羽づくろいまで始めている。
「ははは、まぁ、クロが気に入ったなら、最高の理想の形だったってことだな。」
トーヤが苦笑しながらユーヤの肩を叩く。
「僕のレアアイテムが、クロのベッドになっちゃった……。」
ガックリと肩を落とすユーヤだったが、クロの可愛い寝顔を見て、最後はみんなで笑顔になっていた。
こうして、世界の危機をサラッと片付けたウェーノ家の、いつもと変わらない温かで平和な一日が、静かに優しく過ぎていくのであった。




