番外編 リルの記録——“掃除”と不可解な家族
あの日、あの不可解で温かいウェーノ家の人たちが私の前に現れてから、私のモノクロだった日常は、少しずつ鮮やかな色を帯びて変わっていった。
現実の世界との境界線は相変わらず不安定だけれど、私の心は、以前に比べて驚くほど軽くなっている。
理由は言うまでもない。あの人たちが「また来るね。」と言ってくれたからだ。
でも、その代わりに、少しだけ困った問題が発生してしまった。
庭に流れ込んでくる不純物――つまり“世界のゴミ”の量が、異常な速度で増えすぎてしまったのだ。
本来なら、空間の自浄作用で自然消滅するはずの、未完成のオブジェクトや忘れられた存在の残滓。
それらが、彼らの規格外の力に刺激されたせいか、数え切れないほどの量になって空間を埋め尽くし始めてしまったのだ。
(……どうしよう。私一人の力じゃ、処理が全く追いつかないわ……。)
正直、お手上げだった。
一つを消去するだけでも莫大な精神力と時間がかかるのに、今や空中はゴミだらけ。
本来ならここまで酷くなることはないのに、やはり彼らの世界の押し広がり現象のせいだろう。
(……よし、覚悟を決めよう。あの人たちを、呼んでみよう。)
一瞬だけ、迷惑をかけてしまうかもしれないと躊躇したけれど、私は意を決して、彼らのリビングへと繋がるゲートを開いた。
「……おはよう。」
声をかけた瞬間、
「「うわぁっ!? びっくりした!!」」
と、二人の男の子が期待通りのリアクションで飛び上がって驚いてくれた。
(ふふ、この子たちの反応、相変わらずいちいち可愛くて癒されるわね。)
そんな彼らの姿を見ているだけで、胸の奥が少しだけ嬉しさでくすぐったくなる。
リビングの椅子に座らせてもらい、美味しいお茶をいただきながら、勇気を出して事情を説明してみた。
「あの……もしよかったら、お掃除を、手伝ってくれないかしら……?」
その瞬間、リビングの空気がピタリと止まった。
(あ、やっぱり……。これ、凄く面倒くさいやつだって思われてるよね……。)
申し訳なさで身を縮めていると、父親のトーヤさんが困ったように笑い、母親のアインさんが優しく微笑んだ。
「みんなでやろうじゃないか。リルが困っているんだから。」
あっさりと、本当に当たり前のことのように、私の無茶なお願いが受け入れられた。
(本当に、こんな私のために来てくれるんだ……。)
胸の奥がジーンと熱くなるのを感じながら、私は彼らを連れて“庭”へと戻った。
庭の惨状を見た、弟のユーヤくんの第一声。
「うわああああっ!?」
(うん、普通の人間ならそうなるわよね。大正解のリアクションよ。)
宙を漂う、歪んだ失敗作のゴミの山。しかし、彼らはそんな不気味な光景を前にしても、一ミリも怯むどころか、ピクニックの後の片付けでも始めるかのように、
「よし、一気にやるか。」
父親のその一言で、ウェーノ家による前代未聞の『大掃除』がスタートした。
まず、父親のトーヤさん。
「――《フリーズ》。」
それだけで、空間にある何万個ものゴミの動きが完璧に停止した。
(え……? 何それ、時空属性の停止魔術をそんな広範囲に、一瞬で……?)
次に、お兄ちゃんのソーヤくん。
「――【再構築】」
彼が手をかざすたび、不完全だった剣やオブジェクトが、次々と完璧な分子分解を起こして光となって消えていく。
(え、えええっ!? 神の領域の分解スキルをそんなカジュアルに使ってるの!?)
ユーヤくんに至っては、
「これ、隠しペットモンスターとしてゲームに使えそう……。」
と、不気味なゴミをこっそりバッグに入れて持ち帰ろうとして、お父さんに速攻で頭を叩かれて叱られていた。
(ちょっと! 世界の不純物を拾って帰ろうとしないで!?)
思わず心の中でツッコミを入れてしまったけれど、一番意味が分からなかったのは、母親のアインさんだった。
「みんな、お家に帰れる?」
彼女が優しく微笑んで手をかざすだけで、自我を持たないはずの魔力のゴミたちが、まるで救済されたかのように嬉しそうに光り輝き、自ら昇天して消えていくのだ。
(……嘘でしょ? 存在の概念そのものと『対話』して浄化してるの……? そんなこと、世界の創造主でも不可能なはずなのに……。)
そして最後。
仕上げと言わんばかりに、彼らの相棒の小さなドラゴンが、大空で一鳴きした。
「キュアァァァァァァーーーーーーーン!!!!」
その咆哮が放った神聖な波動が庭全体を駆け抜けた瞬間、残っていた全てのゴミオブジェクトが、本当に、ただの一つの例外もなく、跡形もなく完全に全消去されてしまったのだ。
(……何なの、この人たち。本当に何者なの……?)
あたり一面を埋め尽くしていた絶望的な量のゴミが、彼らが『大掃除』を始めて、ほんの数分足らずで完璧に綺麗になってしまった。
私はただ、その圧倒的な光景の前に、木彫りの人形のように呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「……ありがとう。」
あまりの衝撃に、私の口からは、それだけのシンプルな言葉しか絞り出せなかった。
そして、完璧に浄化された美しい空間の天から、ポトリと一つの結晶が落ちてきた。
“安定した欠片”。
(……わぁ、何百年ぶりかしら。久しぶりに見たわ……。)
この庭が完全に純粋な状態へ浄化された時にだけ、空間の奇跡として生まれる、超希少なお宝。
手渡すとき、これほど価値のあるものを渡していいのかと一瞬だけ躊躇したけれど、
(……ふふ、この大好きな人たちなら、むしろ喜んでプレゼントしたいわ。)
そう思って、お礼としてユーヤくんに手渡した。
そして、その結果。
現実世界での彼らの様子をゲート越しにこっそり覗き見ていた私は、盛大にズッコケそうになってしまった。
「……クッション?」
(なんで!? なんで世界の奇跡の結晶を使って、出来上がったのがただのフカフカのクッションなの!?)
握りしめた人の一番純粋な“理想”の形になるはずの結晶。
まさか、あの恐ろしい力を秘めた男の子の胸の奥の一番の理想が『お家でゴロゴロするためのクッション』だったなんて、面白すぎる。
でも、その直後、小さなドラゴンがそのクッションの真ん中で、本当に気持ち良さそうに丸くなって熟睡している微笑ましい姿を見て、私は胸が温かいものでいっぱいになった。
(……ふふ。そっか。彼らにとって一番大切なのは、最強の武器なんかじゃなくて、家族みんなで暖かく、平和にのんびり過ごすことなのね。だとしたら……あれは、これ以上ないほどの『大正解』なのかもしれないわ。)
遠くからゲート越しにウェーノ家の仲良しな様子を眺めながら、気づけば私は、声を上げて楽しそうに笑っていた。
ずっと、ずっと一人きりで、笑うことすら忘れていたこの寂しかった“隙間の庭”に、今、私がこうして笑う理由ができた。
(……また、明日も来てくれるかしら。)
うん、絶対にきっと来てくれる。
あの人たちは、そういう温かくて、お節介で、最高に素敵で不思議な人たちだから。
私は、生まれて初めて思った。
この、何もないはずだった孤独な“庭”の管理人の仕事が、今、彼らのおかげで、ほんの少しだけ『楽しい』と。




