第92話 高橋雪夜の後輩
高柳龍二郎と天宮真十郎を除いた七人は、それぞれ勧誘活動を始めることになった。
とはいえ、何から始めればいいのか、誰も分かっていなかった。
グラウンドで白球を追うことには慣れていても、誰かを「誘う」ことには慣れていなかった。
その日の夜。
高橋雪夜は、自室の机の前に座っていた。
机の上には、携帯電話が置かれていた。
画面は暗いまま、何も映していない。
雪夜は、その小さな機械を、ただ見つめていた。
中学時代の後輩たちの顔が、次々と浮かんでは消えていく。
浮田総二。
白石広志。
竹田栄司。
六本遊希。
四人とも、実力のある選手だった。
そして――雪夜にとって、大切な後輩たちだった。
だが、すぐには電話をかけられなかった。
広志と遊希は、自分を尊敬していた。
それは嬉しいことだったが、その分、雪夜は迷ってしまう。
自分の言葉一つで、彼らの進路を縛ってしまうのではないか――そんな思いがあった。
栄司は、野球馬鹿だった。
野球の話を始めれば止まらない。
本題に入るまでに、どれだけ時間がかかるか分からなかった。
そして――浮田総二。
雪夜は、ゆっくりと携帯電話を手に取った。
迷いはあった。
だが、それでも。
指は、自然と総二の番号を選んでいた。
発信ボタンを押す。
呼び出し音が、耳に響く。
一度。
二度。
――三度目の音が鳴る前に、電話は繋がった。
「はい、もしもし」
聞き慣れた声だった。
雪夜は、小さく息を吸った。
「もしもし……高橋雪夜です」
少しだけ、声が硬くなる。
だが、その次の瞬間。
「なんじゃ、先輩じゃないか。久しぶりじゃのう」
変わらない口調が、そこにあった。
その言葉を聞いた瞬間、雪夜の肩から、少しだけ力が抜けた。
「ああ……久しぶりだね、総二」
そう言うと、電話の向こうで、総二が小さく笑った気がした。
「でっ、話ってなんじゃ」
単刀直入だった。
総二らしいと思った。
雪夜は、一瞬だけ言葉を探した。
「ああ……実は、聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいことって、なにかのう」
雪夜は、少しだけ視線を落とした。
携帯電話を握る手に、わずかに力が入る。
「実は……高校はどこに行くか、決まっているかなぁ……って思ってさ」
言葉を選びながら、ゆっくりと話した。
しばらくの沈黙。
だが、それは重いものではなかった。
そして――
「ああ……先輩と同じとこじゃけぇのう」
雪夜は、一瞬、意味を理解できなかった。
「えっ……本当かい」
思わず、聞き返していた。
「ワシだけじゃなくて、広志と栄司も同じじゃぞ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥にあった何かが、静かにほどけていくのを感じた。
「そうなんだ……よかった」
それは、心から出た言葉だった。
無意識のうちに、安堵していた。
勧誘しなければならない――そう思っていた。
だが、彼らはもう、自分と同じ道を選んでいた。
「だから、ワシらが入学するまで、待っといてくだせぇ、先輩」
総二の声は、どこまでも自然だった。
そこに迷いはなかった。
雪夜は、目を閉じた。
「ああ……待っているよ」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
その後は、他愛もない話をした。
中学のこと。
最近のこと。
野球のこと。
やがて、電話を切る時が来た。
「それじゃあ、先輩。またのう」
「ああ。またね、総二」
通話が終わる。
携帯電話の画面が、暗くなる。
部屋の中は、静かだった。
だが――
その静けさは、先ほどまでとは違っていた。
雪夜は、ゆっくりとベッドに横になった。
天井を見つめる。
野球部は、終わらない。
まだ、続いていく。
そう思うと、不思議と心が落ち着いていた。
雪夜は、目を閉じた。
その夜は、久しぶりに、何も考えずに眠ることが出来た。




