第90話 競合、斉藤秀一
季節は夏から秋になった。
東鶴間高校野球部は、いつも通り練習を終えていた。
日が傾き、グラウンドは薄い橙色に染まっている。
部室では、テレビがつけられていた。
今日は――
プロ野球ドラフト会議の日だった。
選手たちは、自然とテレビの前に集まっていた。
誰もが、同じ人物の名前を待っていた。
斉藤秀一。
桜桜花高校。
全国大会優勝投手。
完全試合達成者。
かつて、自分たちの前に立ちはだかった、絶対的な存在。
「……始まるね」
六条遊人が、小さく呟いた。
司会者の声が、静かに部室へ流れる。
『それでは、第一巡選択希望選手の発表です』
空気が張り詰めた。
『○○――』
『斉藤秀一、投手、桜桜花高校』
一瞬、部室の時間が止まった。
「……!」
誰もが、息を飲む。
だが、
それは始まりに過ぎなかった。
『△△――』
『斉藤秀一、投手、桜桜花高校』
『□□――』
『斉藤秀一、投手、桜桜花高校』
『◇◇――』
『斉藤秀一、投手、桜桜花高校』
『☆☆――』
『斉藤秀一、投手、桜桜花高校』
「……五球団……」
誰かが呟いた。
五球団競合。
それが意味するものは、
誰にでも分かった。
「すごいね……」
六条が、呆然としたまま言った。
「高柳君……よく、斉藤さんからホームランを打てたね……」
「僕は、三球三振だったのに……」
高柳龍二郎は、画面を見つめたまま答えた。
「……二球連続で、真ん中にストレートだったからな」
まるで、
当然のことのように言った。
(こいつ……)
(やっぱり天才かも……)
誰もが、同じことを思っていた。
やがて、画面が切り替わった。
記者会見場。
そこには、見慣れた顔があった。
斉藤秀一。
フラッシュの嵐の中、
椅子に座っている。
「……斉藤さん、緊張しているみたいだね」
高橋雪夜が言った。
「そりゃあな」
高柳が答える。
「知らない奴に囲まれたら、誰だって緊張するさ」
画面の中の斉藤は、
少しだけ硬い表情をしていた。
だが――
その姿は、
もう高校球児ではなかった。
プロになる男の顔だった。
「……オイラも」
新井元気が、小さく呟いた。
「……いつか、プロ野球選手になりたいなぁ……」
その声は、
決して大きくはなかった。
だが、確かな願いだった。
雪夜は、元気を見た。
そして、静かに言った。
「よし」
「じゃあ、元気の練習を――」
「もっと厳しくしよう」
「ははっ……」
元気は笑った。
「お手柔らかに頼むよ」
部室に、小さな笑いが広がった。
だが、誰もが分かっていた。
斉藤秀一は、もう――
自分たちのいる場所には、
いない存在になったのだと。
やがて、帰る時間になった。
選手たちは、
それぞれの荷物を手に取った。
誰も言葉にはしなかったが、心の中では、同じことを思っていた。
――いつか、あの場所へ。
そう願いながら、東鶴間高校野球部の選手たちは、静かに帰路についた。




