第86話 余韻
斉藤秀一たち――
桜桜花高校野球部の面々が帰ったあと。
グラウンドには、静かな風だけが残っていた。
高柳龍二郎が、ぽつりと呟いた。
「……高橋」
「俺たち、とんでもない人と勝負していたんだな」
高橋雪夜は、斉藤の去っていった校門の方を見たまま、答えた。
「うん……」
「本気の斉藤さん……すごかったね」
あの球。
あの威圧感。
あの完成度。
同じ高校生とは思えなかった。
高柳が続けた。
「俺たち……もう斉藤さんと戦うことは、ないんだろうな」
雪夜は、小さく頷いた。
「そうだね……」
「斉藤さんは三年生だから……卒業だよね」
沈黙。
だが――
高柳の目には、迷いはなかった。
「俺のやるべきことは、決まった」
雪夜が見る。
「やるべきこと……?」
高柳は、迷わず言った。
「俺は――」
「誰にも負けない、一番の打者になる」
その言葉には、決意があった。
雪夜は、少し笑った。
「今でも……すごいけどね」
だが、高柳は首を振った。
「今以上だ」
「俺の目標は――な」
雪夜は、少し考えた。
「そうかい……」
「僕は……」
「とりあえず、打てる選手になる……かな」
高柳は、即座に否定した。
「違う」
「まず――正捕手になることだろう」
雪夜は、自嘲気味に笑った。
「無理だよ……」
「肩が弱いから」
高柳は、真っ直ぐ言った。
「そんなことない」
「お前の時代が――いつか来る」
雪夜は、言葉を失った。
「……高柳……」
高柳は、バットを手に取った。
「そうと決まれば――」
「さっそく、素振りだな」
雪夜も、バットを握った。
「そうだね」
「僕も……負けたから」
「素振りがしたくなったよ」
――ブンッ
――ブンッ
二人の素振りの音が、
夕暮れのグラウンドに響く。
それを見た監督の九条咲が、
呆れたように笑った。
「おいおい……」
「勝負の後に、すぐ素振りか」
そして、振り返った。
「お前たち」
「二人に続け」
一瞬の沈黙。
そして――
誰かが、バットを握った。
また一人。
また一人。
――ブンッ
――ブンッ
気づけば、野球部の全員が、素振りをしていた。
誰も、言葉を発さない。
だが、全員の心は同じだった。
斉藤秀一。
あの絶対的な存在を、
見たからこそ――
止まるわけにはいかなかった。
東鶴間高校野球部は、
素振りを続ける。
今より強くなるために。
あの日の背中に、追いつくために。
そして――
いつか、越えるために。




