表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/128

第68話 東鶴間野球部、引退式

 四回戦敗退から、数日後――


 その日は、静かに訪れた。


 東鶴間高校野球部、三年生の引退の日だった。


 グラウンドには、三年生、二年生、一年生、そして監督の九条咲が揃っていた。


 夏の熱気はすでに消え、どこか空気が軽くなっていた。


 だが――


 その場にいる全員の胸には、重いものが残っていた。


 キャプテンの渡辺貴明が、一歩前に出た。


 ゆっくりと、後輩たちを見渡す。


「みんな……」


 声は、落ち着いていた。


「今日で俺たち三年生は……引退することになった」


 二年生と一年生は、誰一人として声を出さなかった。


 ただ、渡辺を見ていた。


 渡辺は、少しだけ空を見上げてから、続けた。


「思えば……」


 自嘲気味に笑う。


「万年一回戦負けで、ずっと馬鹿にされてきた俺たちが……」


 拳を握る。


「なんとか、四回戦まで行けた」


 その言葉には、誇りがあった。


「それだけで――」


 静かに言う。


「幸せな高校野球生活だった」


 沈黙が流れる。


 そして渡辺は、振り返り、九条咲の前に立った。


「監督」


 深く、頭を下げる。


「万年一回戦負けに慣れて……監督のやる気を奪っていたこと……」


 声が震える。


「すいませんでした」


 三年生全員が、同時に頭を下げた。


 咲は、目を見開いた。


 そして、すぐに首を振った。


「謝らないでくれ……」


 声は、かすかに揺れていた。


「私のほうこそ……」


 一歩、前に出る。


「ろくに指導もしないで……すまなかった」


 渡辺は顔を上げた。


 そして、はっきりと言った。


「そんなことないです」


 その声には、迷いがなかった。


「俺たちは――」


 後ろの仲間を見る。


「監督と野球が出来て、幸せでした」


 三年生全員が、同時に言った。


「ありがとうございました!」


 深く、深く頭を下げる。


 咲の視界が、滲んだ。


「私のほうこそ……」


 声が詰まる。


「ありがとう」


 その言葉は、監督としてではなく――


 一人の人間としての言葉だった。


 渡辺は、後輩たちのほうへ向き直った。


「二年生、一年生」


 まっすぐに見据える。


「お前たちは来年――」


 力強く言う。


「俺たちより勝ってくれ。こんな負け方じゃなくてな」


 それは命令ではなかった。


 願いだった。


「この願いは……」


 胸に手を当てる。


「俺たち三年生の想いだ」


 二年生の何人かが、歯を食いしばった。


「キャプテン……」


 誰かが、小さく呟いた。


 渡辺は、最後に言った。


「俺たちは――」


 笑った。


「東鶴間高校野球部にいられて、幸せでした!」


 その瞬間。


 誰かが泣き始めた。


 それは三年生だったのか、二年生だったのか、


 それとも一年生だったのか――


 分からなかった。


 ただ、そこには確かに、


 涙と、感謝があった。


 こうして――


 東鶴間高校野球部、三年生の引退式は、


 静かに終わりを告げた。


 だが――


 誰も気づいていなかった。


 このチームには、もう一つ決めなければならないことが残っていることを。


 それは――


 次のキャプテン。


 このチームを、次に導く者を決めることだった。


 そして、その運命は――


 すぐそこまで来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ