第48話 桜桜花の斉藤秀一
三回戦を制した帰り道、
東鶴間高校野球部の面々は、久しぶりの勝利に沸いていた。
「やったな、本当に勝ったんだ」
「強豪に勝つって、こんな気分なんだな」
バスの車内は、浮き立つ声で満ちていた。
中には、すでに次の試合のことなど頭にない者もいる。
――だが。
その喧騒から、少し離れた座席に、ひとりだけ静かな背中があった。
天宮真十郎。
窓の外を見つめたまま、ほとんど言葉を発しない。
高橋雪夜は、その様子に気づき、そっと声をかけた。
「天宮。お疲れさま……今日は、ゆっくり休んでくれ」
天宮は一瞬こちらを見てから、力なく頷いた。
「うん……そうするよ」
その声は、勝利の余韻とは、どこか噛み合っていなかった。
それから数日。
強豪校を倒したという事実に、少なからず自信を得た東鶴間野球部は、
いつも通りの練習に戻っていた。
だが、そのグラウンドを――
校舎の影から、じっと見つめる人物がいた。
「……いたな」
高橋雪夜が、ぽつりと呟く。
高柳龍二郎、天宮真十郎、六条遊人の三人も、同時に視線を向けた。
フェンスの向こうに立っていたのは、
見覚えのない――しかし、ただ者ではない雰囲気をまとった男だった。
その人物は、彼らに気づくと、軽く手を挙げて微笑んだ。
「やあ」
名を名乗るまでもなかった。
桜桜花高校野球部。
そして――斉藤秀一。
昨年、桜桜花を四回戦まで導いた三年生。
“世代ナンバーワン”と評される男。
そんな存在が、なぜわざわざ、
万年一回戦負けだった東鶴間高校を偵察しているのか。
その理由を、
この時の彼らは、まだ知らなかった。
高橋雪夜、六条遊人、高柳龍二郎、天宮真十郎。
四人はフェンスの外に立つ男の前まで歩み寄った。
その男は、こちらを見てにこやかに微笑む。
「どうも。桜桜花高校野球部――斉藤秀一です」
軽い調子でそう名乗ったあと、肩をすくめる。
「まあ、他の人は僕のことを“世代ナンバーワン”なんて言う人もいるけどね」
その空気に、まず反応したのは雪夜だった。
「知っていますよ。中学時代、怪我で投手をやめた……
最強のショート、斉藤秀一さん」
斉藤は目を丸くし、少しだけ嬉しそうに笑った。
「あれ、僕ってそんなに有名だったのかな。照れるなぁ」
そのやり取りを遮るように、高柳が一歩前に出る。
「……で。うちに何の用だよ」
斉藤はあっさりと答えた。
「偵察だよ。次の対戦相手を見るのは、当たり前だろう?」
そして、わざとらしいほど丁寧に視線を高柳へ向ける。
「天才打者・高柳龍二郎君」
その呼び方に、高柳の胸の奥で苛立ちが弾けた。
斉藤はさらに続ける。
「それから――
守備と肩だけなら、僕より上の六条遊人君」
六条が一瞬、眉をひそめる。
「天才投手たちの球を捕り続けた捕手、高橋雪夜君」
雪夜は黙って受け止める。
「そして――
あの東林高校を完封した、強心臓の投手。天宮真十郎君」
天宮は何も言わず、斉藤を見返していた。
「……よく調べてますね」
雪夜がそう言うと、斉藤は肩をすくめた。
「まあね。うちのマネージャーが優秀なんだ」
その時、背後から女性の声がした。
「秀一君、そろそろ帰ろう。
東鶴間のデータも、だいたい取れたから」
桜桜花高校野球部マネージャー――若林京子だった。
「ああ、分かったよ。京子ちゃん」
斉藤はそう言って踵を返しかけ――
ふと立ち止まり、天宮へ振り返った。
「天宮君」
その声に、空気が一瞬張り詰める。
「……次の試合、投げられないだろう」
天宮の視線が鋭くなる。
斉藤は、まるで心配しているかのような口調で言った。
「そんな怖い顔しないでよ。君のために言っているんだから」
そして、軽く手を挙げる。
「それじゃあ、東鶴間のみなさん。
次は――試合で会いましょう」
斉藤と若林は、そのまま去っていった。
沈黙。
最初に口を開いたのは高柳だった。
「天宮……何があったんだ」
天宮はしばらく俯いたまま、低く答えた。
「……みんなの前で話すから」
それだけ言い残し、グラウンドへ戻っていく。
その背中を見送りながら、
雪夜、高柳、六条の三人は言葉を失っていた。
――あまりにも、天宮の表情が重かったからだ。




