第306話 一回戦、一回表
一回戦が始まった。
一回表。
相手高校の攻撃から試合は始まる。
東鶴間高校の先発マウンドに上がったのは、伯方歩夢だった。
天宮真十郎ではない。
エースを温存し、初戦は歩夢に任せる。
それが監督の九条咲の判断だった。
歩夢はマウンドで軽く深呼吸をする。
その表情は、いつもより少し硬い。
県大会一回戦。
それも、自分が先発投手。
緊張しないはずがなかった。
捕手の高橋雪夜は、マスクを被る前にマウンドへ向かった。
「歩夢」
「はい、雪夜さん」
雪夜は歩夢の顔を見る。
「あまり無理はしないでね。投げたくないサインだったら、首を振っていいから」
歩夢は、少しだけ驚いたように雪夜を見た。
だが、すぐに首を横に振る。
「雪夜さんのサインに、首は振りません」
歩夢の声は、はっきりしていた。
「雪夜さんを信頼していますから」
その言葉に、雪夜は一瞬だけ目を丸くした。
そして、静かに頷く。
「なら、歩夢が勝てるように、リードするね」
「はい」
こうして、伯方歩夢と高橋雪夜のバッテリーの勝負が始まった。
一回表。
相手高校の一番打者が打席に入る。
歩夢はセットポジションに入った。
雪夜がサインを出す。
初球。
外角へのストレート。
球速は130キロを少し超えていた。
打者は見送る。
ストライク。
歩夢は小さく息を吐いた。
初球が決まった。
それだけで、少しだけ体の力が抜ける。
雪夜はすぐに次のサインを出す。
高速スライダー。
打者は振りにいくが、バットの先に当てるのが精一杯だった。
ファウル。
ツーストライク。
三球目。
雪夜はスローカーブを要求した。
歩夢の腕が振られる。
ゆっくりとした球が、打者のタイミングを外す。
打者は待ち切れずに体が前に出た。
空振り三振。
先頭打者を三球で抑えた。
ベンチから小さく声が上がる。
「いいぞ、歩夢!」
歩夢は大きく喜ぶことはしなかった。
だが、表情は少しだけ落ち着いていた。
二番打者。
今度は雪夜が、シンカーのサインを出した。
歩夢は頷く。
まだ完全な決め球とは言えない。
けれど、高速スライダーと逆方向に沈む球。
それがあるだけで、相手打者の意識は変わる。
歩夢が投げた球は、外角低めへ沈んでいった。
打者は引っかける。
打球はセカンドへ。
高柳龍二郎が軽やかに処理し、一塁へ送球。
ツーアウト。
三番打者には、ストレート、高速スライダー、スローカーブを混ぜた。
最後は外角の高速スライダーで詰まらせる。
打球はショートへ。
六条遊人が正面で捕球し、落ち着いて一塁へ投げた。
スリーアウト。
一回表。
伯方歩夢は、相手高校の攻撃を無失点に抑えた。
ベンチへ戻ってきた歩夢に、雪夜は声をかける。
「いい立ち上がりだったよ」
「雪夜さんのリードのおかげです」
「歩夢の球がよかったからだよ」
歩夢は少しだけ照れたように頷いた。
高速スライダー。
スローカーブ。
その二つを生かすためのシンカー。
そして、最速133キロまで上がったストレート。
歩夢の緩急をつけた投球と、雪夜の巧みな配球。
このバッテリーは、初回から機能していた。
そして、一回裏。
東鶴間高校の攻撃が始まる。




