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305/306

第305話 一回戦、当日

 県大会一回戦当日。


 東鶴間高校野球部の面々は、球場まで来ていた。


 いよいよ、最後の県大会が始まる。


 高橋雪夜たち三年生にとっては、負ければ終わりの大会だった。


 球場に入ると、空気がいつもとは違って感じられた。


 練習試合の時とは違う。


 ただの部活動ではない。


 県大会。


 その響きだけで、胸の奥が少し重くなる。


 初戦ということもあり、緊張している者もいた。


 浮田総二は落ち着いているように見えるが、いつもより口数が少ない。


 竹田栄司はグラブを握りしめている。


 早田士郎も、何度も深呼吸をしていた。


 伯方歩夢は、今日の先発投手として静かに座っている。


 その表情は真剣だった。


 ベンチに入った東鶴間高校野球部の面々は、監督の九条咲の前に集まった。


 咲は、全員の顔を見渡す。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「みんな……これから県大会が始まる」


 部員たちは静かに聞いていた。


「初戦だから、緊張する者もいると思う。だが、それは相手も同じだ。あまり気負いをしないでほしい」


 咲の声は落ち着いていた。


 その声を聞くだけで、少しずつ心が整っていくようだった。


 咲は続ける。


「私は、みんなの練習と努力を見てきた」


 誰も口を挟まない。


 ただ、咲の言葉を聞いていた。


「だから言えることがある」


 咲は、はっきりと言った。


「このチームは強い」


 その言葉に、部員たちは少し驚いた。


 東鶴間高校野球部は、ずっと弱小と呼ばれてきた。


 一昨年までは、一回戦負けが当たり前のようなチームだった。


 去年は準々決勝まで進んだ。


 それでも、周囲からはまだ弱小として見られている。


 新入部員も入らなかった。


 それなのに、監督は言った。


 このチームは強い、と。


 その言葉は、部員たちの胸に静かに響いた。


 咲はさらに言う。


「いつも通りやれば、勝てる」


 その言葉に、部員たちの表情が少し引き締まる。


「みんな、練習の成果を見せる時だ」


 部員たちは声をそろえた。


「はいっ!」


 咲は頷き、今度は雪夜を見る。


「雪夜。お前からも一言あるだろう」


 高橋雪夜は少し驚いたように顔を上げた。


 だが、すぐに立ち上がる。


 キャプテンとして。


 正捕手として。


 このチームを背負う者として。


 雪夜は、仲間たちの前に立った。


「みんな……これから県大会が始まる」


 雪夜の声は、少しだけ緊張していた。


 それでも、言葉はまっすぐだった。


「一昨年は四回戦で負けた。去年は準々決勝で負けた」


 その記憶は、誰の中にも残っている。


 桜桜花高校に敗れた悔しさ。


 城南ヶ丘学園高校にコールド負けした悔しさ。


 届かなかった場所。


 勝てなかった相手。


 それでも、東鶴間高校野球部はここまで来た。


「今年は、どこまで行けるか分からない」


 雪夜は正直に言った。


 簡単に優勝できるとは言えない。


 城南ヶ丘も、桜桜花も、強い。


 他にも強豪校はいる。


 東鶴間は選手十一人。


 余裕のあるチームではない。


 けれど、雪夜は続けた。


「でも、やれるだけのことはしよう」


 部員たちが雪夜を見る。


「僕たちは練習をしてきた。悩んだ選手もいた。不安がないわけじゃない。それでも、ここまでみんなで前に進んできた」


 雪夜は一人一人の顔を見た。


 高柳龍二郎。


 天宮真十郎。


 新井元気。


 六条遊人。


 浮田総二。


 白石広志。


 竹田栄司。


 夏目海。


 伯方歩夢。


 早田士郎。


 そして、夏目真衣、小山唯、高柳冬美。


 この十四人で戦う。


 雪夜は、静かに拳を握った。


「みんな、後悔のないようにしよう」


 その言葉は、大きな叫びではなかった。


 けれど、確かに届いた。


 部員たちは一斉に声を上げた。


「おうっ!」


 ベンチの空気が変わる。


 緊張は消えない。


 不安も消えない。


 だが、それでも前を向ける。


 監督が言ってくれた。


 このチームは強い。


 キャプテンが言った。


 後悔のないようにしよう。


 それだけで、十分だった。


 東鶴間高校野球部の一回戦が、まもなく始まる。


 高橋雪夜たち三年生の、最後の県大会。


 その最初の試合が、今、始まろうとしていた。

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