第304話 高橋雪夜の想い
いよいよ県大会前日となった。
東鶴間高校野球部の面々は、いつもより少し早めに練習を終え、それぞれ帰路についた。
明日は一回戦。
高橋雪夜たち三年生にとって、最後の県大会が始まる。
高橋雪夜も自宅へ帰った。
風呂に入り、夕飯を食べ、自室へ戻る。
机に向かい、いつものように日記を開いた。
ペンを持つ。
けれど、すぐには書けなかった。
しばらく白いページを見つめたまま、雪夜は小さく呟いた。
「とうとう、県大会か……」
気づけば、高校三年生になっていた。
ここまで、夢中で走ってきた気がする。
中学三年生で野球をやめた。
高校一年生になっても、最初は野球部に入らなかった。
自分には野球をする場所など、もうないと思っていた。
肩が弱い。
捕手として致命的な弱点を抱えている。
才能には限界がある。
佐藤秋一郎。
一ノ瀬京次郎。
鈴木草助。
自分よりもはるか先にいる選手たちを見て、雪夜は自分の限界を思い知らされた。
野球から身を引いた。
そうするしかないと思った。
けれど、そんな自分が今は、東鶴間高校野球部のキャプテンになっている。
正捕手として、県大会を迎えようとしている。
雪夜は日記に視線を落とした。
「あの時の選択は、間違っていなかったんだね……」
夏目真衣が、自分を野球部に勧誘してくれた。
たとえどんなことを言われてきたとしても、自分が必要だと言ってくれた。
その言葉があったから、雪夜はもう一度野球を始めることができた。
東鶴間高校野球部に入った。
高柳龍二郎と出会った。
天宮真十郎とバッテリーを組んだ。
進藤竜也たち三年生と戦った。
城南ヶ丘学園高校に負けた。
その悔しさを背負いながら、ここまで来た。
雪夜はペンを置き、天井を見上げる。
「……これで、本当に最後になるのか……」
明日から始まる県大会。
負ければ、そこで終わる。
三年生にとって、次はない。
高柳龍二郎。
天宮真十郎。
六条遊人。
新井元気。
夏目真衣。
小山唯。
そして、自分。
この七人で野球部として過ごせる時間は、もう長くない。
もちろん、勝ち進めば続く。
だが、いつ終わってもおかしくない。
それが最後の夏だった。
雪夜は日記に少しだけ書いた。
明日、一回戦。
それだけ書いて、ペンを置く。
早く寝なければならない。
明日は試合だ。
体調を整えなければならない。
雪夜は部屋の明かりを消し、布団に入った。
暗い部屋の中で、目を閉じる。
けれど、すぐには眠れなかった。
「……僕たち、どこまで行けるのかな……」
小さく呟く。
不安がないわけではなかった。
自分が正捕手になる。
肩の弱い自分が、マスクを被る。
相手は必ずそこを突いてくる。
二盗。
三盗。
揺さぶり。
強豪校なら、容赦なく仕掛けてくるだろう。
それでも、雪夜は逃げないと決めていた。
中学時代、野球から逃げたのは事実だった。
傷ついて、限界を感じて、自分には無理だと思って、野球から離れた。
それをなかったことにはできない。
だが、だからこそ今は逃げたくなかった。
肩が弱いなら、配球で補う。
送球に不安があるなら、投手や野手と連携する。
打たれるなら、打ち返す方法を考える。
自分にできることを、すべてやる。
キャプテンとして。
正捕手として。
この仲間たちと、最後まで戦うために。
雪夜は布団の中で、そっと右手を握った。
城南ヶ丘に勝つ。
桜桜花に勝つ。
進藤キャプテンたちの願いを叶える。
そのための戦いが、明日から始まる。
やがて、考え続けていた雪夜の意識は、少しずつ沈んでいった。
不安も、覚悟も、願いも抱えたまま。
高橋雪夜は眠りについた。
そして、翌日。
高橋雪夜たち三年生の、最後の戦いが始まろうとしていた。




