第296話 桐原礼里の想い
高橋雪夜との電話を終えた桐原礼里は、携帯電話を見つめたまま、しばらく動けずにいた。
通話は終わった。
雪夜の声は、最後には少し落ち着いていた。
それを聞いて、礼里は少し安心していた。
(よかった……雪夜が告白したんじゃなくて……)
そう思った瞬間、礼里は自分の胸に引っかかるものを覚えた。
なぜ、自分は安心しているのだろう。
雪夜が誰かに告白したわけではない。
それを聞いて、胸の奥が軽くなった。
そのこと自体が、礼里には分からなかった。
(……何を思っているんだ……)
礼里は携帯電話を机に置く。
(私の好きな人は……新井元気のはずなのに……)
中学二年生の冬。
新井元気が小山唯に告白した。
元気は唯を選んだ。
礼里は、告白する前に失恋した。
それは今でも、礼里の中に残っている。
元気が好きだった。
元気と唯が恋人になったことが、悲しかった。
その気持ちは嘘ではない。
そして、雪夜もまた、唯に失恋していた。
好きな人に告白できなかった者同士。
それが、今の雪夜と礼里を少しだけ近づけたのかもしれない。
礼里は目を閉じる。
思い出すのは、中学時代のことだった。
中学二年生の冬。
元気と唯が恋人になったあと。
部室で、雪夜と二人きりになったことがあった。
礼里は無意識に泣いていた。
その涙を、雪夜に見られた。
あの時の気まずさ。
恥ずかしさ。
惨めさ。
そして、自分の弱さを見られたような痛み。
それから、礼里は雪夜との勝負から逃げた。
選手であることをやめ、マネージャーになった。
雪夜との仲は悪くなった。
顔を合わせれば、どこか刺々しい言葉になった。
互いに幼馴染だったはずなのに。
昔は、もっと普通に話せていたはずなのに。
それでも今は、また話ができるようになっている。
電話をする。
野球の話をする。
悩んでいる雪夜の声に気づく。
雪夜も、礼里の言葉を聞いてくれる。
関係は、少しずつ戻っている。
いや、戻っているだけではないのかもしれない。
(……雪夜に彼女ができたら……私は……どう思うのだろうか……)
礼里は、その考えに胸がざわついた。
雪夜が誰かに告白する。
雪夜が誰かを好きになる。
雪夜の隣に、自分ではない誰かがいる。
それを想像した時、礼里は素直に祝福できるのか分からなかった。
(悩んでも仕方がない……)
そう思う。
けれど、考えてしまう。
雪夜のことを。
電話越しの声を。
少し元気がなさそうだったことを。
自分がそれに気づいたことを。
そして、雪夜が告白したわけではないと知って、安心してしまった自分のことを。
(雪夜は、私を幼馴染として見ている……)
礼里は布団の上に腰を下ろした。
(私も雪夜を幼馴染として見ている……そのはずなのに……)
そのはずだった。
元気が好きだった。
雪夜は、同じように失恋した幼馴染。
少しずつ話せるようになった相手。
敵校の選手であり、昔を知る相手。
それだけのはずだった。
なのに、雪夜のことを気にしている。
雪夜が誰かに告白したのではないかと思って、動揺した。
違うと分かって、安心した。
その気持ちに、礼里自身が戸惑っていた。
「……私は、どうしてしまったのだろう……」
小さく呟いても、答えは出なかった。
考えても仕方がない。
今すぐ名前をつけられる気持ちではない。
元気への想いが消えたのか。
雪夜への想いが生まれたのか。
それとも、失恋した者同士だから、ただ気になっているだけなのか。
礼里には分からなかった。
分からないまま、礼里は布団に入った。
部屋の明かりを消す。
暗くなった天井を見つめながら、礼里は目を閉じようとする。
(とりあえず……雪夜が告白したのではないなら、それでよかった……)
そう思ってしまう自分に、また少し困る。
けれど、その気持ちは確かにあった。
雪夜が誰かのものになったわけではない。
それだけで、少し安心している自分がいる。
礼里は胸の中のざわめきを抱えたまま、静かに目を閉じた。
答えは、まだ出ない。
けれど、雪夜のことを考えてしまう夜だった。
こうして、桐原礼里の一日が終わろうとしていた。




