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第293話 告白

 六条遊人と小山唯のもとへ、新井元気が一直線に走ってきた。


 いつもの明るい表情ではない。


 息を切らしながら、元気は遊人と唯の前で足を止める。


 そして、遊人を見た。


「六条、唯ちゃんと何をしていたの?」


 その声は、普段の元気とは少し違っていた。


 怒っているようにも見える。


 けれど、それ以上に心配しているようにも見えた。


 遊人は少し驚きながら答える。


「何って、小山さんに打撃練習を見てもらっていたんだよ」


 元気はすぐに唯を見る。


「本当なの、唯ちゃん」


 唯は少し困ったように笑いながら頷いた。


「本当だよ、元ちゃん……六条君にお願いされて、指導していたの」


 元気は、そこでようやく少しだけ肩の力を抜いた。


「なら、いいんだけど……」


 だが、まだ完全には納得していないようだった。


「なんか、六条が唯ちゃんを口説いているように見えたから、心配になって……」


 その言葉に、遊人は思わず声を上げた。


「いや、どこを見たら、口説いているように見えるんだよ」


「だって……」


 元気は少し気まずそうに言う。


「打撃なら、高柳か浮田か雪夜かオイラに聞けばいいのに、唯ちゃんに聞いているから、そう思って……」


 遊人は少し呆れたように息を吐いた。


「それは……小山さんが中学時代、打てるショートって聞いたから、話を聞いてみたかったんだよ」


 唯も元気へ向き直る。


「ごめんね、元ちゃん……心配させて」


 元気は唯にそう言われると、少しだけ目を逸らした。


「まあ……オイラの勘違いならいいんだけど」


 その時だった。


 遠くから見ていた野球部の面々が、遊人と元気が言い争いをしているように見えたのか、三人のもとへ集まってきた。


 高橋雪夜も、その中にいた。


 雪夜は状況を見て、小さく息を吐く。


「元気、遊人は打てるショートになりたいから、唯に指導をお願いしただけだろう」


 元気は頷いた。


「それは分かったけど……」


 そして、少し言いづらそうに続ける。


「遠くから見ていたら、六条が唯ちゃんのことを……好きなのかと思って……」


 その一言で、遊人の表情が変わった。


「えっ……」


 遊人は動揺していた。


 理由は一つだった。


 目の前に、夏目真衣がいたからだ。


 真衣は、何が起こっているのか分からないように、遊人を見ていた。


 その視線に気づいた瞬間、遊人の胸が跳ねる。


 違う。


 違うのだ。


 自分は小山唯を口説いていたわけではない。


 好きなのは小山唯ではない。


 誤解されたくない。


 よりにもよって、真衣にだけは。


「ち……違うよ」


 遊人は慌てて首を横に振った。


「僕には他に好きな人がいるんだ」


 その言葉で、場の空気がさらに変わった。


 元気も、唯も、雪夜も、龍二郎も、他の部員たちも、遊人を見る。


 真衣も、遊人を見つめたままだった。


 遊人は、自分で言ってしまった言葉に気づき、ますます焦った。


(このままだと、真衣ちゃんに勘違いされる……)


 小山唯のことが好きだと思われる。


 それだけは嫌だった。


(どうしよう……)


 遊人の頭の中は混乱していた。


 言うべきなのか。


 言わないべきなのか。


 ここで言ってしまえば、もう戻れない。


 今まで通りにはいかないかもしれない。


 けれど、真衣に誤解されたまま終わるのは、どうしても嫌だった。


 遊人は拳を握った。


「僕が好きなのは……」


 言葉が喉で止まる。


(だめだ……言ったら、もう戻れない……)


 それでも、真衣の顔を見た。


 真衣にだけは、誤解されたくなかった。


(でも、真衣ちゃんに勘違いされるのは、いやだ……)


 そして、遊人は勢いのまま叫んだ。


「好きなのは、真衣ちゃんだけだもんっ!」


 その瞬間、グラウンドの空気が止まった。


 誰も動かなかった。


 誰も声を出せなかった。


 数秒の沈黙。


 それから、部員たちの声が重なった。


「……えっ?」


 言った本人である遊人も、そこでようやく自分が何を言ったのか理解した。


「……あっ……」


 顔が一気に熱くなる。


 逃げたい。


 今すぐこの場から消えたい。


 遊人はそう思った。


 真衣は、遊人を見つめていた。


「……遊人君……」


 その頬は赤くなっていた。


 いつものように明るく突っ込むこともできない。


 照れて、戸惑って、それでも遊人から目を逸らせずにいた。


 唯は口元に手を当てて、驚いたように遊人と真衣を見ている。


 元気は自分の一言がとんでもない方向に転がったことに気づき、固まっていた。


 雪夜は軽く目を閉じた。


 高柳龍二郎は、無言で状況を見ていた。


 この空気に耐えられなくなった遊人は、突然バットを置いた。


「僕……外に走ってくる」


 そう言うと、遊人は逃げるように走り出した。


 誰も止められなかった。


 野球部の面々は、しばらくその場で固まっていた。


 何が起こったのか。


 誰もすぐには理解できなかった。


 いや、理解はしている。


 理解はしているが、あまりに突然すぎて、思考が追いついていなかった。


 沈黙の中、雪夜がぽつりと言った。


「……なんだか、若いねぇ……」


 その言葉に、高柳龍二郎が即座に突っ込む。


「いや、雪夜も若いだろう」


 その一言で、少しだけ空気が緩んだ。


 だが、真衣はまだ頬を赤くしたまま、遊人が走っていった方を見ていた。


 元気は唯の隣で、小さく呟いた。


「……オイラ、なんか悪いことしたでやんすかね」


 唯は苦笑しながら答える。


「うーん……元ちゃんが悪いっていうより……きっかけを作っちゃった感じかな」


 元気はますます困った顔をした。


 こうして、六条遊人の打撃練習は、思いもよらない結末を迎えた。


 打てるショートになるための練習だったはずなのに。


 小山唯から打撃のヒントをもらうだけだったはずなのに。


 気づけば、遊人は夏目真衣への想いを、野球部全員の前で叫んでいた。


 グラウンドには、春の風が吹いていた。


 そして、東鶴間高校野球部の空気は、しばらくいつもとは違うものになっていた。

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