表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/138

第29話 東鶴間、五回裏

 五回裏。


 マウンドでは、佐藤秋一郎がボールを受け取っていた。


 その前で、捕手の小野冬誠が声を落とす。


「佐藤、本気で投げるなよ。

 本気のお前の球、誰も捕れないからな」


「ああ……分かってるよ」


 佐藤は軽くうなずいた。


「本気は、出さない」


「それならいいが……」


 小野が構えに戻ろうとした、その時。


「……雪夜以外にはね」


 佐藤の小さな声。


「ん? 今、何か言ったか?」


「いや、何も言ってないよ」


 佐藤は、何事もなかったように笑った。


 一番、高柳龍二郎。


 左打席。


 佐藤の初球。


 ――真ん中。


 ストレート。


 高柳が振る。


 だが、

 バットは空を切った。


 ワンストライク。


(速い……

 145は超えてるだろ……)


 復帰したばかりの身体が、悲鳴を上げる。


(勘弁してくれよ……)


 二球目。


 高めのストレート。


 高柳は必死に当てる。


 打球は、センターへ。


 アウト。


 ベンチへ戻る途中、高柳は高橋雪夜に言った。


「あいつの球、速いぞ……

 さすが“本物の天才”だな」


「そうかい」


 雪夜は、静かに笑った。


「じゃあ、ちょっくら打ってくるよ」


「……打てるのか、あの球を」


「まあ……なんとかしてみるさ」


 二番、高橋雪夜。


 左打席。


 佐藤は、マウンドで小さく呟いた。


「……この時がきたね、雪夜」


 観客席が、ざわめく。


 だが、二人の世界には、

 誰も入り込めない。


 かつて――

 中学最強バッテリーと呼ばれた二人。


 捕る者と、投げる者。


 今は、

 打つ者と、投げる者。


 こうして――

 真剣勝負が、始まろうとしていた。


 佐藤秋一郎は、心の底から喜んでいた。


(雪夜との勝負か……

 初球は、決まってるよね)


 マウンドで、自然と口角が上がる。


 一方、打席の高橋雪夜も、同じ結論に辿り着いていた。


(秋一郎なら……

 球種も、コースも、決まっている)


 二人の思考が、重なる。


 初球。


 ――真ん中。


 ストレート。


 雪夜は、迷わず振った。


 カンッ。


 乾いた音。


 打球は、ファール。


 捕手・小野冬誠は、息をのむ。


(佐藤……

 絶対、本気で投げただろ)


 スピード表示はない。


 だが、誰の目にも分かる。


 150キロは出ている。


「今の球……速すぎるだろ……」


 東鶴間ナインが、呆然と呟く。


「……あれを当てるなんて」


「高橋って……何者なんだ?」


 高柳も、思わず声を落とした。


「おいおい……

 俺の時より速いだろ……」


 東栄ナインも、ざわつく。


「……当てた?」


「マジかよ……」


 そのすべてを、

 佐藤は心地よく感じていた。


(そうだよね……

 それでこそ、雪夜だ)


(僕が唯一認めた……

 最高の選手)


 一方、雪夜は歯を食いしばる。


(速い……

 あの頃より、確実に速くなってるな……秋一郎)


 二球目。


 再び、真ん中。


 だが――

 さらに速い。


 雪夜は、振り抜いた。


 芯で捉えた。


 打球は、センター前へ。


 ヒット。


 マウンドで、佐藤は笑った。


(あれを打つか……

 さすがだよ、雪夜)


 打たれたはずなのに、

 喜びが込み上げる。


 こうして――


 中学時代、

 “最強バッテリー”と呼ばれた二人の真剣勝負は、


 雪夜の一打で、幕を下ろした。


 ワンアウト、一塁。


 続く打者は、

 三番――新井元気。


 三番・新井元気の打席に入る前。


 捕手の小野冬誠は、マウンドの佐藤に歩み寄った。


「佐藤……今の、本気で投げただろ」


 低い声。


 佐藤は、あっさりと答えた。


「仕方ないだろ。

 本気で投げていなかったら……

 ホームランにされてた可能性があるからね」


「ホームラン?

 あの選手が?」


 小野が言い終わる前に――


「……雪夜を、侮辱するなよ」


 佐藤の声が、氷のように冷たくなった。


 小野は、その視線に一瞬、背筋が凍る。


「……っ。

 とにかく、これ以上は本気を出すなよ」


 そう言い残し、小野は構えに戻った。


 三番、新井元気。


 初球。

 真ん中のストレート。


 ――空振り。


 二球目。

 低めのスプリット。


 見逃して、ワンストライク・ワンボール


 三球目。

 低めの高速スライダー。


 見逃し――ツーストライク。


 四球目。

 高めのストレート。


 元気は振る。


 だが、バットは空を切った。


 ツーアウト。


 四番、天宮真十郎。


 初球。

 真ん中のストレート。


 ――空振り。


 二球目。

 内角の高速シュート。


 見逃し。


 ツーストライク。


 佐藤は、心の中で呟く。


(これで……終わりか)


 三球目。


 低めのストレート。


 天宮は、振った。


 ――空振り。


 スリーアウト。


 その瞬間、

 ゲームセットのコールが響いた。


 13対3


 結果だけを見れば、

 一方的な試合だった。


 だが――


 東鶴間は、東栄から3点を奪った。


 そして、

 天宮真十郎は、無失点でマウンドを降りた。


 その事実は、

 どんな結果でも、覆らない。


 こうして――


 東鶴間高校と東栄高校の練習試合は、

 静かに幕を下ろした。


 だが、

 本当に終わったのは、

 過去だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ