第284話 進藤、中山、田中の言葉
野球部のグラウンドに、三人の卒業生が姿を見せた。
進藤竜也。
中山太郎。
田中三郎。
東鶴間高校野球部で共に戦った三年生たちだった。
一年生と二年生は、自然と姿勢を正した。
九条咲も、静かに三人を見つめている。
三人は野球部の面々の前に立った。
そして、元キャプテンである進藤が一歩前に出る。
少しだけグラウンドを見渡してから、進藤はゆっくりと口を開いた。
「みんな……今日で僕たち三年生は……この学校を卒業します」
一年生と二年生は、何も言わずに聞いていた。
分かっていたことだった。
卒業式は今日だ。
三人が卒業することも、前から分かっていた。
それでも、本人たちの口からその言葉を聞くと、本当に別れなのだと実感してしまう。
進藤は続けた。
「思えば……僕たちが一年生の頃まで、東鶴間高校野球部は万年一回戦負けでした」
進藤の声は穏やかだった。
けれど、その中には確かな重みがあった。
「それが、僕たちが二年生の時には県大会四回戦まで進み、今回は準々決勝まで進んだ」
進藤は少しだけ笑った。
「それだけでも、幸せな高校野球人生だったと思っています」
その言葉を聞いて、一年生と二年生は少し悲しくなった。
幸せだった。
そう言ってくれることは嬉しい。
だが、その言葉が過去形であることが寂しかった。
進藤たちの高校野球は、もう終わっている。
そして今日、東鶴間高校の生徒としての日々も終わろうとしていた。
「僕たちは、東鶴間高校に入学して、野球部で過ごせたことを……誇りに思っています」
進藤の言葉に、中山と田中も静かに頷いた。
そして、三年生たちは九条咲の方を向いた。
進藤が代表して言う。
「監督」
「……うん」
「三年間、一緒に戦ってくれたこと……ありがとうございました」
進藤が頭を下げる。
中山と田中も、それに続いて深く頭を下げた。
咲は少しだけ目を細めた。
泣きそうになるのを、必死にこらえているようだった。
「私のほうこそ……」
咲は静かに言った。
「こんな私について来てくれたこと……感謝しかないよ」
三年生たちは顔を上げる。
咲の言葉を聞いて、進藤は穏やかに笑った。
それから、三人は一年生と二年生の方へ向き直った。
進藤の視線が、高橋雪夜へ向かう。
「雪夜」
「はい」
「君が、野球部の新しいキャプテンになったんだね」
雪夜はまっすぐに進藤を見る。
「はい」
そして、少しだけ胸を張った。
「みんなが選んでくれたこと、そして進藤キャプテンと中山先輩と田中先輩が僕を選んだことを……誇りに思っています」
進藤は、その言葉を聞いて少し驚いたように目を開いた。
そして、嬉しそうに笑う。
「そうか……そう言ってもらえると、雪夜をキャプテンに選んだことは正しかったんだね」
「はい」
雪夜は力強く頷く。
「僕を選んだことを、後悔させないように頑張ります」
進藤は満足そうに頷いた。
「なら、この野球部は大丈夫だね」
そして、静かに言う。
「東鶴間高校野球部を、頼むよ」
雪夜はすぐに返事をした。
「はいっ!」
その声は、グラウンドにしっかりと響いた。
次に、中山が雪夜を見る。
「雪夜」
「はい」
「お前が、正捕手になったんだな」
雪夜は少しだけ表情を引き締めた。
「はい……誰も入部しなかったら……僕が正捕手として頑張ります」
中山は、雪夜をじっと見た。
自分が守ってきた場所。
苦しみながらも、最後までマスクを被った場所。
そこに立つかもしれない後輩。
それが高橋雪夜だった。
「そうか」
中山は小さく頷く。
「俺は、雪夜に負けないように頑張ってきた」
「中山先輩……」
「だから、これからはお前が正捕手だ」
その言葉に、雪夜は胸が熱くなった。
中山は続ける。
「俺たちの分まで、頑張ってくれ」
雪夜は深く頷いた。
「はい。頑張ります」
最後に、田中が雪夜へ声をかけた。
「雪夜」
「はい」
「俺は、お前とバッテリーを組んだことはなかったな」
雪夜は少しだけ寂しそうに頷く。
「はい……田中先輩とは、組んだことはありません」
「そうだよな」
田中は少し笑った。
そして、真剣な顔になる。
「俺が言うのもなんだけど……天宮と雪夜のバッテリーは、東鶴間高校の最強バッテリーだと思っている」
天宮真十郎が、少しだけ目を見開いた。
雪夜も、田中の言葉を静かに受け止める。
「だから……いいところまで行ってくれよな」
田中の声には、先輩としての期待が込められていた。
自分たちが届かなかった場所。
城南ヶ丘に敗れ、桜桜花に挑むこともできなかった場所。
その先へ行ってほしい。
そんな願いがあった。
雪夜は、はっきりと言った。
「はい。みんなと一緒に、頑張ります」
進藤は、もう一度部員全員を見る。
「みんな」
一年生と二年生は、進藤を見た。
「僕たちは卒業するけど……東鶴間高校野球部を……頼みます」
その言葉に、全員が返事をした。
「はいっ!」
声が重なった。
進藤は嬉しそうに頷いた。
「では、僕たちはこれで帰るけど……元気でね」
少しだけ、いつもの進藤らしい優しい顔になる。
「怪我しないように、気をつけてね」
その言葉に、何人かが小さく笑った。
最後まで進藤は進藤だった。
後輩たちを心配し、野球部のことを気にかけてくれる元キャプテンだった。
そして、進藤竜也、中山太郎、田中三郎の三人は、ゆっくりと校門の方へ歩いていった。
雪夜たちは、その後ろ姿を見ていた。
三人の背中が、少しずつ遠くなっていく。
もう、三人はこのグラウンドで練習しない。
もう、同じユニフォームを着て試合には出ない。
それでも、三人が残したものは、確かに東鶴間高校野球部に残っていた。
進藤の言葉。
中山の想い。
田中の期待。
そのすべてを、雪夜は受け取った。
雪夜は小さく息を吐く。
そして、部員たちへ言った。
「みんな……僕たちも来年は、進藤キャプテンたちみたいな卒業をしてみたいね」
すると、高柳龍二郎がすぐに言った。
「何言ってんだよ」
「え?」
「今はお前がキャプテンだろ」
雪夜は一瞬きょとんとした。
そして、すぐに気づく。
「あっ……そうだった」
龍二郎は呆れたように笑った。
「おいおい、しっかりしろよ、キャプテン」
その言葉に、周りの部員たちから小さな笑いが起こった。
寂しさの残るグラウンドに、少しだけ明るい空気が戻る。
雪夜は苦笑しながらも、もう一度三人が歩いていった方を見る。
こうして、三年生の卒業式が終わった。
進藤竜也。
中山太郎。
田中三郎。
三人は東鶴間高校を去っていった。
そして、高橋雪夜、高柳龍二郎、天宮真十郎、六条遊人、新井元気、夏目真衣、小山唯の七人は思った。
来年、自分たちも三年生になる。
今日の進藤たちのように、後輩たちに見送られる日が来る。
その時、自分たちは何を残せるのだろうか。
後悔なく卒業できるのだろうか。
胸を張って、東鶴間高校野球部を去ることができるのだろうか。
その答えは、まだ分からない。
けれど、やるべきことは分かっている。
練習すること。
強くなること。
城南ヶ丘に勝つこと。
桜桜花に勝つこと。
そして、進藤たちの願いを叶えること。
春は、もうすぐそこまで来ていた。
東鶴間高校野球部は、三年生の想いを受け継ぎながら、次の季節へ進んでいく。




