↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
282/320

第282話 投げられない時間

 伯方歩夢の悩みを知ってから、高橋雪夜は歩夢の練習を見る時間を増やした。


 とはいえ、今の歩夢に無理な投球練習はさせられない。


 シンカー習得練習を続けたことで、歩夢の指には負担が出ていた。


 ここで焦って投げ続ければ、シンカーどころか、今までの球まで崩れてしまうかもしれない。


 だから雪夜は、練習内容を変えることにした。


 スタミナ作りの走り込み。


 理想のフォームを身体に覚えさせるためのシャドーピッチング。


 今の歩夢の持ち球で、どう配球を組み立てるかの確認。


 そして、シンカーの握りの確認。


 投げる量を減らしても、できることはあった。


 雪夜は、それを一つずつ歩夢と一緒に考えていた。


「今の歩夢とできる配球を考えるのが、僕の役目だから」


 雪夜は、ミットを持ちながら言った。


「そこは任せてほしい」


 歩夢は少し驚いたように雪夜を見た。


 そして、ゆっくり頷く。


「はい、雪夜さん……」


 その声には、少し安心が混じっていた。


「それと、シンカーの握りまで教えてくれて、ありがとうございます」


 雪夜は苦笑した。


「まあ、僕もシンカーを投げられるから、なんとか教えられるけど……」


 雪夜は高校生になる前、投手としても練習していた。


 スライダー。


 シンカー。


 シュート。


 そして、白石広志が投げる、途中までカーブに見える謎の変化球。


 それらを投げることはできた。


 だが、雪夜は投手を続けなかった。


 歩夢は、ふと疑問に思った。


「でも、なんでそんなに変化球が投げられるのに、投手をやめたんですか?」


 聞いてから、歩夢は少しだけしまったと思った。


 けれど、雪夜は怒らなかった。


 ただ、いつものように静かに答えた。


「簡単な話だよ」


 そして、自分の右肩に少しだけ触れる。


「肩が弱くて、球が遅いからだよ」


 歩夢はすぐに頭を下げた。


「……すいません……」


「気にしなくていいよ」


 雪夜は穏やかに言った。


「それに、秋一郎や京次郎を見ていたら……僕には届かない才能なんだと、思い知らされたよ」


 佐藤秋一郎。


 中学時代に145キロを投げた、本物の天才。


 一ノ瀬京次郎。


 中学時代に140キロを投げ、今では世代ナンバー2と呼ばれる投手。


 そんな二人を間近で見ていれば、自分が投手としてどれほど劣っているのか、思い知らされるのも無理はなかった。


 歩夢は、雪夜の横顔を見た。


 雪夜は淡々と言っている。


 だが、その言葉の奥に、諦めきれなかったものがあるようにも思えた。


 歩夢は、静かに口を開く。


「でも、雪夜さんには捕手として、素晴らしい能力があるじゃないですか」


 雪夜が歩夢を見る。


 歩夢は、まっすぐに続けた。


「私は雪夜さんとバッテリーを組んでみて、そう思います」


 雪夜は少しだけ目を丸くした。


 そして、困ったように笑う。


「まあ、肩が弱いからね……」


 雪夜はミットを見る。


「他の能力を伸ばすしか、生き残る道がなかったんだよ」


「それでも」


 歩夢は言った。


「雪夜さんはすごい捕手だと、私は思っています」


 その言葉に、雪夜は少しだけ黙った。


 自分では、そう簡単に思えない。


 肩が弱い。


 捕手として致命的な弱点を持っている。


 だから、配球を学んだ。


 リードを磨いた。


 読みを鍛えた。


 守備を練習した。


 必死に、足りないものを埋めようとしてきた。


 その結果を、歩夢は見てくれていた。


 雪夜は小さく息を吐き、優しく言う。


「ありがとう、歩夢」


 歩夢は少し照れたように視線を逸らした。


「……そういえば、こうやって二人きりで話すのは、あまりなかったですね」


「そうだね」


 雪夜は頷く。


「僕も練習があるし、キャプテンとして、みんなの練習も見ないといけないからね」


「なんか……」


 歩夢は少し申し訳なさそうに言った。


「雪夜さんを独占しているようで、みんなに悪いと思っています」


 雪夜はすぐに首を横に振った。


「気にしなくていいよ」


「でも……」


「副キャプテンの遊人と広志が支えてくれているから、なんとかなっているよ」


 六条遊人。


 白石広志。


 二人の副キャプテンがいるからこそ、雪夜は歩夢の練習を見る時間を作れていた。


 自分一人で全部を背負っているわけではない。


 今の東鶴間高校野球部は、そういうチームになりつつあった。


 歩夢は、少しだけ安心したように頷いた。


「ありがとうございます。雪夜さん」


 雪夜は不思議そうに聞き返す。


「何がだい?」


「こうして、一緒に練習をしてくれたり、話をしてくれたりして……感謝しています」


 歩夢は、少し照れながらもはっきりと言った。


 雪夜は静かに歩夢を見た。


 そして、穏やかに答える。


「それは……歩夢が大切な仲間だからだよ」


 歩夢の胸が、少し熱くなった。


 雪夜は続ける。


「悩んでいるなら、一緒になって考える。それがキャプテンの役割だと思っているから」


「雪夜さん……」


 歩夢は、その一言が嬉しかった。


 自分は、迷惑をかけているのではないか。


 自分の悩みで、雪夜の時間を奪っているのではないか。


 そう思っていた。


 けれど、雪夜はそうは言わなかった。


 大切な仲間だから。


 一緒に考える。


 そう言ってくれた。


 それだけで、歩夢は少しだけ救われた気がした。


 投球練習は、まだ思うようにはできない。


 シンカーも、まだ試合で使えるほどではない。


 それでも、前に進む方法はある。


 走り込みで身体を作る。


 フォームを確認する。


 配球を学ぶ。


 握りを見直す。


 投げられない時間だからこそ、できる練習がある。


 雪夜は、歩夢と並んでグラウンドを見る。


 歩夢が投げられない今だからこそ、この時間には意味がある。


 焦らず、壊れず、少しずつ強くなる。


 それを一緒に支えることも、捕手の役目なのだと思った。


 伯方歩夢は一人ではない。


 兄の広夢がいる。


 そして、東鶴間には雪夜がいる。


 だから歩夢は、もう少しだけ前を向ける。


 シンカーを完成させるために。


 高速スライダーをもっと生かすために。


 そして、次こそ城南ヶ丘に通用する投手になるために。


 歩夢と雪夜の練習は、静かに続いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。