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第278話 伯方兄弟の話し合い

 伯方広夢が自宅に帰ってきた。


 その気配を感じた伯方歩夢は、少しだけ迷った。


 違う高校の人間に相談してもいいのか。


 桜桜花高校の投手である兄に、東鶴間高校の投手である自分が悩みを話していいのか。


 けれど、広夢は兄だった。


 双子の兄。


 自分のことを、誰よりも昔から知っている人だった。


 歩夢は意を決して、広夢に相談することにした。


 城南ヶ丘学園高校戦で、2イニング3失点をしたこと。


 七回コールド負けになった時、最後にマウンドに立っていたのが自分だったこと。


 高速スライダーとスローカーブだけで、このまま投げ続けていいのか悩んでいること。


 歩夢の話を、広夢は真剣に聞いていた。


 途中で口を挟むことはしなかった。


 ただ、歩夢の言葉を一つずつ受け止めるように、黙って聞いていた。


 やがて、歩夢が話し終えると、広夢は静かに頷いた。


「そうか……それで、僕に相談することにしたのか」


 歩夢は小さく頷く。


「うん……」


 そして、自分の右手を見る。


「このまま、高速スライダーとスローカーブの二種類でいいのか……悩んでしまいました」


 広夢は少し考える。


「そうだね……雪夜さんには言えなかったの?」


 雪夜の名前が出て、歩夢は少し視線を落とした。


「雪夜さんは……他の部員の練習を見たり、自分の練習もしているから……」


 そして、言葉を続ける。


「それに、キャプテンでもあるから、負担はかけたくなかったの」


「なら、天宮さんや他の投手には言えなかったの?」


「みんな……自分の練習をしているのに……迷惑はかけられないよ」


 歩夢の声は小さかった。


 広夢はそんな歩夢を見て、少しだけ苦笑する。


「でも、僕には相談しているよね」


 歩夢は言葉に詰まった。


「それは……」


 そして、少し恥ずかしそうに言う。


「兄さんだから、話を聞いてくれると思ったの」


 広夢はその言葉を聞いて、表情を和らげた。


「そうか」


 それから、少しだけ真面目な顔になる。


「なあ、歩夢」


「なんだい、兄さん」


「そんなに悩むなら……あの時、僕と一緒に桜桜花高校に行こうって誘ったのに」


 広夢は、歩夢を見る。


「歩夢は断ったよね」


 歩夢はすぐに答えた。


「だって……雪夜さんと野球がしたかったから……」


 その答えに迷いはなかった。


 広夢は少しだけ笑う。


「まあ、僕も斉藤秀一さんに憧れたから、強くは言えないけどね」


 斉藤秀一。


 去年の県大会を制し、全国大会決勝では完全試合を成し遂げた、桜桜花高校の伝説となった投手。


 そして、プロ野球選手になった者。


 広夢は、そんな斉藤秀一に憧れて、桜桜花高校に入学した。


 歩夢が雪夜と野球をしたいと思ったように。


 広夢にも、桜桜花へ行きたい理由があった。


「まあ、今はその話ではなくて……」


 広夢は話を戻す。


「歩夢が何をしたいのか、だったね」


「うん……」


 歩夢は頷く。


「もう一つ、変化球を習得するのか、迷っています」


 広夢は腕を組んだ。


「うーん……僕はスライダー、カーブ、フォーク、シンカーの四つで組み立てていたからなぁ」


 そして、歩夢を見る。


「歩夢は高速スライダーとスローカーブの二つを極めるスタイルだから、僕とは違うよね」


「でも、このままだと……チームの力になれないと思うんです」


 歩夢の声には、悔しさがにじんでいた。


 城南ヶ丘戦。


 2イニング3失点。


 最後の投手。


 その記憶が、まだ歩夢の中に残っていた。


 広夢は静かに尋ねる。


「歩夢は、変化球を増やしたいの?」


「……うん」


「なんのために?」


 その問いに、歩夢はすぐには答えられなかった。


 ただ球種を増やしたい。


 打たれたくない。


 強くなりたい。


 いろいろな思いがあった。


 けれど、広夢が聞いているのは、もっとはっきりした理由だった。


 歩夢は少し考える。


 自分の武器は何か。


 自分が投手として何を軸にしたいのか。


 その答えを探す。


 そして、静かに言った。


「……高速スライダーを生かすために……」


 広夢はその答えを聞いて、ゆっくり頷いた。


「そうか」


 それから、少しだけ笑う。


「それなら、変化球を教えてもいいよ」


 歩夢は顔を上げた。


「本当に?」


「うん」


 広夢は頷く。


「新しい決め球を作るより、高速スライダーを生かすためなら、協力はする」


 そして、すぐに表情を引き締める。


「けど、変化球の習得は大変だよ」


 歩夢はまっすぐに広夢を見た。


「覚悟は、できています」


「ならいいけど……」


 広夢は少し考える。


「歩夢には高速スライダーとスローカーブがある。だから、僕が教えられるとしたら、フォークかシンカーになるけど……どうする?」


 歩夢は小さく呟いた。


「フォークかシンカー……」


 フォーク。


 落ちる球。


 空振りを取れる可能性がある。


 天宮真十郎も、夏目海も投げられる球。


 シンカー。


 右打者の内側、左打者の外へ沈んでいく球。


 高速スライダーとは反対方向の変化になるかもしれない球。


 歩夢は悩んだ。


 広夢は補足する。


「もちろん、両方の習得を目指す選択もある」


 だが、すぐに首を横に振った。


「でも、腕の負担と、今ある変化球や球速が落ちる可能性が高いから、おすすめはしないけどね」


 歩夢は黙って考えた。


 自分には、すでに高速スライダーがある。


 スローカーブもある。


 その二つを捨てるつもりはない。


 新しい球を覚えるのは、その二つを生かすため。


 特に、高速スライダーをもっと生かすため。


 ならば、どちらを選ぶべきか。


 しばらくして、歩夢は答えを出した。


「……シンカーを習得したいです」


 広夢は、歩夢の目を見る。


 迷いがないわけではない。


 けれど、覚悟はある。


 そう感じた。


「分かった」


 広夢は頷いた。


「ならまずは、シンカーの特徴を教えるから、投げるのはその後にしよう」


「はい」


 歩夢は頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 こうして、伯方歩夢は広夢からシンカーを教わることになった。


 だが、それが決して簡単なことではないのは、二人とも分かっていた。


 変化球を覚えるには時間がかかる。


 腕への負担もある。


 投げ方を間違えれば、今ある球にも影響が出るかもしれない。


 それでも、歩夢は前に進もうとしていた。


 城南ヶ丘戦の悔しさを、ただの後悔で終わらせないために。


 高速スライダーをもっと生かせる投手になるために。


 そして、東鶴間高校の力になるために。


 伯方歩夢の新しい挑戦が、静かに始まろうとしていた。

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