第269話 十球勝負、その後
十球勝負が終わった。
一ノ瀬京次郎と高柳龍二郎。
全国ベスト4の投手と、東鶴間高校最強打者の勝負。
その結果は、高柳龍二郎の三安打。
そのうち一本はホームラン。
だが、京次郎もまた、世代ナンバー2と呼ばれるだけの球を見せた。
高速スライダー。
スラーブ。
縦のスライダー。
三種類のスライダーを操る投球は、東鶴間の部員たちに大きな衝撃を与えていた。
勝負を終えた京次郎、龍二郎、雪夜は、マウンド付近で話をしていた。
京次郎は満足そうに笑う。
「今日……来たかいがあったのう」
そして、龍二郎を見る。
「こんな強打者、なかなかお目にかかれないからのう」
龍二郎は静かに頷いた。
「俺も、世代ナンバー2と戦えて……よかったよ」
その言葉に、京次郎は少し嬉しそうに目を細めた。
雪夜も、二人を見ながら穏やかに言う。
「僕も、二人の勝負に立ち会えて、よかったよ」
すると、龍二郎が雪夜を見る。
「それはそうと、雪夜」
「うん?」
「本気を出しすぎだろう」
雪夜は少し不思議そうに首を傾げた。
「だって、龍二郎を本気で抑えないと、意味はないだろう」
「それは、そうだけど……」
龍二郎は少しだけ苦笑した。
京次郎の球を受ける雪夜は、本気だった。
龍二郎を抑えるために、迷いなく配球を組み立てていた。
親友だから手を抜く。
そんな考えは、雪夜にはなかった。
だからこそ、龍二郎も本気で打ちにいけた。
京次郎は二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。
「まあ……ワシも雪夜とバッテリーを組めて、楽しかったよ」
雪夜は京次郎を見る。
「僕も、京次郎の球を捕れて、よかったよ」
中学時代、二人はバッテリーを組んでいた。
だが、卒業してからは別々の道を歩いた。
京次郎は呉稲見高校へ。
雪夜は一度、野球から離れ、そして東鶴間高校で再び野球を始めた。
最後に会ったのは、中学の卒業式。
それから時間が経っていた。
それでも、久しぶりに組んだバッテリーには、不思議なほど違和感がなかった。
京次郎が投げる。
雪夜が受ける。
その呼吸は、完全に昔のままではない。
けれど、確かに残っていた。
二人が同じ時間を過ごしていた証のように。
京次郎は空を見上げた。
冬の空は、少しずつ夕方の色に近づいている。
「さて……勝負も終わったことだし、帰るとするかのう」
雪夜は少し寂しそうに京次郎を見る。
「京次郎……いつまでこっちにいるのかな」
「そうじゃのう……もう少しの間、親戚の家にいると思うぞ」
「そっか……」
雪夜は小さく頷いた。
京次郎は、そんな雪夜を見て笑う。
「ワシはこれで帰るけど……電話はするから」
「うん……いつでもいいよ」
雪夜の言葉に、京次郎は満足そうに頷いた。
そして、東鶴間高校の部員たちへ軽く手を上げる。
「邪魔したのう」
部員たちは慌てて頭を下げたり、返事をしたりした。
一ノ瀬京次郎。
世代ナンバー2。
全国ベスト4の投手。
その存在は、最後まで東鶴間のグラウンドに大きな刺激を残していた。
こうして、京次郎は東鶴間高校を後にした。
京次郎の姿が見えなくなったあと、龍二郎が静かに口を開いた。
「雪夜」
「うん?」
「あの一ノ瀬とやら、すごいな」
雪夜は素直に頷いた。
「うん……世代ナンバー2だから、すごいよ」
そして、少しだけ目を伏せる。
「僕が届かなかった、天才の領域にいるから……」
その言葉に、龍二郎は雪夜を見た。
雪夜は本気でそう思っているようだった。
佐藤秋一郎。
一ノ瀬京次郎。
鈴木草助。
桜川守。
全国の舞台で戦う者たち。
その中でも京次郎は、世代ナンバー2と呼ばれる投手だった。
雪夜にとっては、届かなかった場所にいる存在。
そう感じるのも無理はなかった。
だが、龍二郎は少し違うことを思っていた。
「俺は、雪夜もすごいと思ったけど」
雪夜は不思議そうに龍二郎を見る。
「……そうかな」
「ああ」
龍二郎は迷わず言った。
「一ノ瀬のスライダーを、初見で捕れるところは、すごいと思ったぞ」
雪夜は少し困ったように笑う。
「練習をすれば、捕れるようになるよ」
龍二郎は呆れたように息を吐いた。
「俺は、初見で捕れる奴って言ったんだけど」
「え?」
「練習すれば捕れる奴はいるだろう。でも、今日の雪夜は二年ぶりにあいつの球を受けて、普通に捕っていた」
龍二郎は、京次郎が去っていった方向を見る。
「しかも、あいつのスライダーは中学の頃より進化しているんだろう」
雪夜は何も言えなかった。
確かに、京次郎の球は進化していた。
ストレートも速くなっていた。
スラーブも、縦のスライダーも、高速スライダーも、中学時代とは別物に近かった。
それでも雪夜は、自然に捕っていた。
捕らなければならないと思ったから。
京次郎の球を受ける捕手として、当然のように。
だが、それが普通ではないことを、雪夜はあまり理解していなかった。
龍二郎は静かに言う。
「雪夜は、自分のことを低く見すぎだ」
「そんなつもりは……」
「あるだろう」
龍二郎は即答した。
雪夜は少しだけ黙る。
その様子を見て、龍二郎は小さく笑った。
「まあ、今すぐ分かれとは言わないけどな」
雪夜は困ったように微笑む。
「龍二郎は、たまに厳しいね」
「親友だからな」
その言葉に、雪夜は少しだけ表情を和らげた。
「……ありがとう」
「ああ」
二人はしばらく、京次郎が投げていたマウンドを見ていた。
一ノ瀬京次郎対高柳龍二郎。
その十球勝負は終わった。
だが、東鶴間高校野球部に残したものは大きかった。
全国レベルの投手の球。
それを打ち返した龍二郎。
それを受け止めた雪夜。
そして、世代ナンバー2と呼ばれる京次郎の存在。
冬のグラウンドで行われた突然の勝負は、東鶴間の選手たちに新しい刺激を与えていた。
もっと強くならなければならない。
このレベルの相手と戦うために。
城南ヶ丘と桜桜花を倒し、その先の世界へ進むために。
東鶴間高校野球部の冬は、まだ続いていく。




