第268話 決着、一ノ瀬京次郎対高柳龍二郎
一ノ瀬京次郎のストレートを、高柳龍二郎は二球目でホームランにした。
冬のグラウンドに、しばらく沈黙が流れていた。
全国ベスト4の投手。
世代ナンバー2。
スライダーマンと呼ばれる一ノ瀬京次郎。
その京次郎の球を、龍二郎はあっさりとスタンドまで運んだ。
高橋雪夜は、ミットを構えながら小さく息を吐いた。
もう、小手調べは終わった。
本気で龍二郎を抑えにいかなければならない。
マウンドの京次郎も、同じことを思っていたのだろう。
さっきまでの余裕のある表情は消えていた。
打席の龍二郎は、静かにバットを構えている。
その目は、少しも緩んでいなかった。
雪夜はサインを出した。
三球目。
内角への高速スライダー。
京次郎が頷く。
そして、腕を振った。
白球は鋭く内角へ食い込んでいく。
龍二郎はスライダーだと見極めていた。
迷いなくスイングする。
だが――。
バットは空を切った。
「ストライク!」
東鶴間の部員たちが、思わず息を呑む。
龍二郎が空振りした。
それだけで、京次郎の高速スライダーがどれほどの球なのかが分かった。
龍二郎はバットを戻しながら、京次郎を見た。
(この高速スライダー……切れ味が他と違うな……)
ただ速いだけではない。
手元で鋭く曲がる。
分かっていても、バットが届かない。
龍二郎は、京次郎の球を改めて警戒した。
雪夜はすぐに次のサインを出す。
四球目。
もう一度、内角への高速スライダー。
京次郎は頷いた。
同じ球。
同じ内角。
だが、今度は龍二郎も読んでいた。
京次郎が投げる。
高速スライダーが鋭く曲がる。
龍二郎は踏み込み、バットを出した。
芯ではない。
だが、当てた。
打球は三塁側へ切れていく。
ファウル。
京次郎は少しだけ目を細めた。
(へぇ……二球で当ててくるか……)
初見で空振りした球を、次の一球で当てる。
簡単にできることではない。
やはり、高柳龍二郎は普通の打者ではなかった。
雪夜も、その反応を見逃さなかった。
龍二郎は、もう高速スライダーを完全に警戒している。
ならば、次は別の変化で崩す。
五球目。
低めに落ちる縦のスライダー。
京次郎が腕を振る。
球は途中まで高速スライダーに見えた。
だが、そこから鋭く落ちる。
龍二郎の読みは外れた。
それでも、バットは止まらない。
体勢を崩しながらも、なんとか当てる。
打球はバックネット方向へ飛んだ。
ファウル。
雪夜はミットを下ろしながら、心の中で呟いた。
(高速スライダーを警戒しても、縦のスライダーを当てるのか……)
さすが龍二郎。
そう思わずにはいられなかった。
京次郎の三種類のスライダー。
そのすべてを初見で見極めるのは難しい。
だが、龍二郎は読みが外れても、最低限ファウルにしている。
打者としての対応力が高すぎる。
雪夜はサインを変えた。
六球目。
内角低めへのスラーブ。
京次郎が頷く。
横へ逃げながら、斜めに曲がる球。
打者のタイミングを外すには十分な球だった。
だが、龍二郎は踏み込んだ。
身体を開かず、しっかり引きつける。
そして、引っ張った。
打球は一、二塁間を抜ける。
ライト前ヒット。
東鶴間の部員たちがざわついた。
「初見のスラーブを……」
「今の、ヒットにするのか……」
雪夜は立ち上がりかけた身体を戻し、マウンドの京次郎を見た。
(初見のスラーブをヒットにするのか……)
龍二郎なら打つかもしれない。
そう思っていた。
だが、本当に打ってしまう。
(これは、本気でリードしないといけないな……)
雪夜は、改めて気を引き締めた。
ここまで六球。
龍二郎はホームラン一本、ヒット一本。
十球勝負としては、十分すぎる結果を出している。
だが、勝負はまだ終わっていない。
ここからどれだけ抑えられるか。
それは、雪夜のリードにもかかっていた。
七球目。
雪夜は外角低めにミットを構えた。
京次郎のストレート。
龍二郎は手を出さない。
ボールになるかと思われた球は、ぎりぎりストライクゾーンをかすめた。
「ストライク!」
龍二郎は少しだけ眉を動かす。
八球目。
今度は外から内へ入るスラーブ。
龍二郎は追いかけなかった。
ストライク。
雪夜は頷く。
無理に振らせるのではなく、龍二郎の意識を散らす。
九球目。
縦のスライダー。
低めへ落とす。
龍二郎はスイングした。
だが、バットの先に当たり、打球は一塁側へ転がった。
凡打性のファウル。
雪夜はミットを握り直す。
九球目まで終わった。
龍二郎の安打は二本。
うち一本はホームラン。
それでも、本気のリードに切り替えてからは、なんとか抑えている。
マウンドの京次郎は、雪夜を見ていた。
(さすが、雪夜といったところかのう……)
中学時代、京次郎は雪夜とバッテリーを組んでいた。
だから知っている。
雪夜の配球。
相手打者を見る力。
投手の球をどう使うかを考える力。
そのリード能力が、異常なほど高いことを。
京次郎はこの勝負を楽しんでいた。
懐かしさもあった。
嬉しさもあった。
そして何より、龍二郎という打者と、雪夜という捕手を相手にしているこの時間が、たまらなく面白かった。
そして、十球目。
最後の一球。
雪夜は考えた。
ここで逃げる球は投げられない。
京次郎も、おそらく同じことを考えている。
ならば、最後は一番の球。
内角低め。
高速スライダー。
雪夜はサインを出した。
京次郎は、すぐに頷いた。
打席の龍二郎も、京次郎を見ていた。
(最後は……高速スライダーだよな)
龍二郎は、そう読んでいた。
ここまで京次郎の高速スライダーは、もっとも切れ味があった。
最後に来るなら、この球。
そう思っていた。
京次郎が振りかぶる。
腕を振る。
白球が内角低めへ走る。
高速スライダー。
鋭く曲がる球。
龍二郎は踏み込んだ。
バットを振り抜く。
打球音が響いた。
打球は右中間へ飛んでいく。
外野手はいない。
だが、誰が見てもヒット性の当たりだった。
十球目。
高柳龍二郎は、京次郎の高速スライダーを捉えた。
十球勝負、終了。
結果は、龍二郎のヒット三本。
そのうち一本はホームラン。
グラウンドには、しばらく熱の残る沈黙が流れていた。
京次郎はマウンド上で息を吐く。
そして、少しだけ笑った。
「やるのう……高柳龍二郎」
龍二郎はバットを下ろす。
「そっちこそ。さすが、世代ナンバー2と呼ばれるだけはある」
雪夜はマスクを外し、二人を見た。
京次郎の球は、やはりすごかった。
龍二郎の打撃も、やはりすごかった。
そして、その二人の勝負を受け止めながら、雪夜は改めて思った。
このレベルの相手と戦うためには、東鶴間高校野球部はもっと強くならなければならない。
十球勝負は終わった。
だが、その勝負は、東鶴間高校野球部にとって大きな刺激となった。




