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第266話 京次郎の球

 一ノ瀬京次郎の投球をうけることになった高橋雪夜。


 雪夜は捕手の準備を終え、ホームベースの後ろに座った。


 京次郎はマウンドに立つ。


 その姿だけで、グラウンドの空気が変わった。


 高柳龍二郎は腕を組み、じっと京次郎を見ていた。


 天宮真十郎は、同じ投手として目を離せなかった。


 六条遊人も、新井元気も、一年生たちも、息を呑んでいた。


 全国ベスト4。


 世代ナンバー2。


 その投球を、間近で見られる。


 こんな機会は、そうあるものではなかった。


 京次郎はマウンドから雪夜へ声をかける。


「準備はいいかのう、雪夜」


 雪夜はミットを構えた。


「いつでもいいよ」


 京次郎が頷く。


 そして、初球。


 京次郎の右腕から、白球が放たれた。


 ストレート。


 球は一直線に雪夜のミットへ向かう。


 乾いた音が響いた。


 どう見ても、145キロは軽く超えていた。


 部員たちの空気が揺れる。


 だが、雪夜は平然と捕球していた。


「ナイスボール、京次郎」


 雪夜の声は落ち着いていた。


 京次郎は少し嬉しそうに笑う。


 二球目。


 スラーブ。


 横へ、そして斜めに曲がる独特の軌道。


 普通なら捕手でも初見では反応が遅れる。


 だが、雪夜はしっかり捕った。


「スラーブもいいよ、京次郎」


 三球目。


 縦のスライダー。


 速さがありながら、鋭く落ちる球。


 落差も大きい。


 捕る側からしても難しい球だった。


 それでも、雪夜はミットを下げ、しっかりと受け止めた。


「縦のスライダー、落差があるねぇ」


 部員たちは、言葉を失っていた。


 そして、四球目。


 高速スライダー。


 京次郎の代名詞とも言える球。


 キレ。


 スピード。


 変化量。


 どれを取っても、普通のスライダーではない。


 白球は鋭く横へ走った。


 だが――。


 雪夜は、それも捕球した。


 ミットの音が、グラウンドに響く。


 東鶴間高校野球部の面々は、心の中で同じことを思っていた。


(なんで、初見なのに、あのスライダーを捕れるんだ……)


 京次郎の球がすごいのは分かる。


 それは見れば分かる。


 だが、その球を何事もないように捕っている雪夜も、やはり普通ではなかった。


 雪夜は立ち上がり、マウンドの京次郎のもとへ向かった。


「ナイスボールだったよ、京次郎」


 京次郎は感心したように雪夜を見る。


「さすがじゃよ、雪夜……」


 そして、少しだけ笑う。


「ワシのスライダーを簡単に捕るなんて……うちの捕手は初見では捕れなかったぞ」


 雪夜は穏やかに返す。


「でも、練習をしたら捕れたんだろう?」


「まあ……それはそうだけど」


 京次郎は苦笑した。


 雪夜は昔からそうだった。


 相手を無意味に持ち上げることはしない。


 けれど、ちゃんと認めるところは認める。


 京次郎は少し考えたあと、表情を変えた。


「雪夜、勝負をしてみないか」


「勝負?」


 雪夜は首を傾げる。


「いいけど……うちで捕手をできるのは、広志しかいないけど……」


 白石広志の名前が出て、広志は思わず背筋を伸ばした。


 だが、京次郎は首を横に振る。


「雪夜は、捕手をしてくれ」


 雪夜の表情が少し変わる。


「……どういうことだい」


 京次郎は答える代わりに、ゆっくりと指を差した。


「勝負したい相手は……奴じゃよ」


 その指の先。


 そこにいたのは、高柳龍二郎だった。


 部員たちの視線が、一斉に龍二郎へ向かう。


 高柳龍二郎。


 東鶴間高校最強打者。


 孤高の天才打者。


 雪夜の親友。


 龍二郎は腕を組んだまま、京次郎を見ていた。


 雪夜は、京次郎の意図に気づき始める。


「まさか、今日来た目的は……」


 京次郎は笑った。


「奴と……高柳龍二郎と勝負しに来た」


 そして、雪夜を見る。


「これも、理由の一つじゃよ」


 東鶴間の部員たちがざわめく。


 全国ベスト4の投手。


 世代ナンバー2の一ノ瀬京次郎。


 その京次郎が、高柳龍二郎と勝負するために来た。


 雪夜は龍二郎のもとへ歩いていく。


「龍二郎……どうするかい」


 龍二郎は、京次郎を見たまま静かに答えた。


「……せっかくのご指名だ」


 そして、バットを手に取る。


「相手になろう」


 京次郎は楽しそうに笑った。


「いいねぇ……そうこなくては」


 冬のグラウンドに、緊張が走る。


 高柳龍二郎対一ノ瀬京次郎。


 東鶴間の天才打者と、呉稲見のスライダーマン。


 そして、その球を受けるのは高橋雪夜。


 思いがけない形で、特別な勝負が始まろうとしていた。

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