第261話 真十郎と雪夜
ドラフト会議も終わり、東鶴間高校野球部の面々は今日も練習をしていた。
季節は秋。
日が落ちるのも、少しずつ早くなっている。
それでも、グラウンドには選手たちの声が響いていた。
打倒、城南ヶ丘。
打倒、桜桜花。
そして、来年の夏に悔いを残さないために。
東鶴間高校野球部は、今日も前に進もうとしていた。
全体練習を終えたあと、天宮真十郎と高橋雪夜はブルペンにいた。
雪夜は捕手の防具をつけ、天宮の球を受けていた。
天宮が振りかぶる。
そして、腕を振る。
白球が雪夜のミットへ吸い込まれる。
乾いた音が響いた。
「ナイスボール、天宮」
雪夜はミットを軽く叩く。
「今日は一段と球のキレがいいよ」
天宮は少しだけ息を吐いた。
「そうかな……それならいいけど……」
言葉とは裏腹に、その表情は晴れていなかった。
雪夜は天宮を見つめる。
「なにか……悩みがあるのかな?」
天宮はボールを受け取り、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……僕たち、来年が最後なんだよね」
雪夜は少しだけ目を伏せる。
「……うん、そうだね」
進藤竜也たち三年生が引退したように。
来年の夏が終われば、雪夜たち二年生も引退する。
もう、自分たちに残された時間は無限ではなかった。
天宮は手の中のボールを見る。
「全国大会を見て……佐藤秋一郎や、一ノ瀬京次郎、鈴木草助のような投手を見ていたら、僕はどうなのかな……と思ってさ」
佐藤秋一郎。
世代ナンバー1。
本物の天才。
155キロの速球と、完璧に近い投球を見せた投手。
一ノ瀬京次郎。
世代ナンバー2。
三種類のスライダーを操る、スライダーマン。
鈴木草助。
世代ナンバー3。
左のサイドハンドから、数字以上に伸びるストレートを投げる投手。
全国の舞台で投げていた彼らは、あまりにも大きく見えた。
天宮が自分と比べてしまうのも、無理はなかった。
雪夜は静かに言う。
「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
だが、天宮は首を横に振った。
「僕は……佐藤のような剛速球もない」
天宮は苦笑する。
「一ノ瀬みたいな変化球もないし、鈴木みたいな伸びのある速球もない」
そして、少しだけ目を伏せた。
「どうしたものかと思って……」
天宮真十郎は、東鶴間高校のエースだった。
大王高校戦では、最後まで投げ抜いた。
疲労で城南ヶ丘戦では投げられなかったが、それでもチームの中心投手であることに変わりはない。
だが、全国の怪物たちを見たあとでは、自分の力が足りないように思えてしまう。
雪夜には、その気持ちも分かった。
だからこそ、雪夜は真っ直ぐに天宮を見た。
「……天宮、一つだけ言えることがあるよ」
天宮が顔を上げる。
「一つだけ……?」
雪夜はミットを胸の前に置き、静かに言った。
「天宮には……僕がいるだろう」
天宮の目が、少しだけ大きくなった。
「……雪夜……」
「確かに、あの三人はすごい投手だと思う」
雪夜は続ける。
「秋一郎も、京次郎も、草助も……全国の頂点に近い場所で投げるだけの力がある」
その名前を出しても、雪夜の声は揺れなかった。
「だけど、天宮もすごい投手だと、僕は思っているから」
天宮は何も言えなかった。
雪夜はさらに言う。
「速球の速さだけで勝負しなくてもいい。変化球の種類だけで勝負しなくてもいい。球の伸びだけで勝負しなくてもいい」
雪夜は自分のミットを見た。
「天宮が投げて、僕が受ける。僕がリードして、天宮の良さを引き出す。そうやって勝てばいい」
天宮は、雪夜の言葉を静かに聞いていた。
「一人であの三人みたいにならなくてもいいんだよ」
雪夜は微笑む。
「僕たちは、バッテリーなんだから」
その言葉は、天宮の胸に深く届いた。
自分一人で、佐藤秋一郎にならなくてもいい。
一ノ瀬京次郎にならなくてもいい。
鈴木草助にならなくてもいい。
自分は、天宮真十郎として投げればいい。
そして、その球を受ける捕手がいる。
高橋雪夜がいる。
天宮は少しだけ表情を和らげた。
「……そう言ってくれるなら、一つ……頼みたいことがあるんだ」
雪夜は首を傾げる。
「頼みって……なんだい?」
天宮は少しだけ照れたように視線を逸らした。
「僕のこと……名前で呼んでくれないかな」
「名前かい?」
「うん」
天宮は雪夜を見る。
「雪夜は、あの三人を名前で呼んでいるだろう」
秋一郎。
京次郎。
草助。
雪夜は、かつてのチームメイトである三人を名前で呼んでいる。
天宮はそれが、少しだけ羨ましかった。
「だから、羨ましくて」
雪夜は一瞬、驚いたような顔をした。
だが、すぐに穏やかに笑った。
「……分かった」
そして、はっきりと言った。
「真十郎」
その名前を呼ばれた瞬間、天宮の表情が少し変わった。
照れくさそうで、それでも嬉しそうだった。
「……ありがとう、雪夜」
雪夜はミットを構える。
「じゃあ、続けようか。真十郎」
「ああ」
真十郎はボールを握った。
先ほどよりも、少しだけ迷いのない表情になっていた。
マウンドから、雪夜のミットを見る。
そこには、自分の球を受けてくれる捕手がいる。
自分を信じてくれるキャプテンがいる。
真十郎は大きく息を吸い、腕を振った。
白球が、雪夜のミットへ力強く収まる。
乾いた音が、秋のグラウンドに響いた。
こうして、天宮真十郎と高橋雪夜のバッテリーは、また一つ上へ向かっていく。
エースと正捕手として。
どこまでも行くために。




