第253話 春日野対中月
高橋雪夜と夏目真衣がグラウンドにいる間、東鶴間高校野球部の面々は、部室のテレビで全国大会準決勝を見ていた。
春日野学園高校対中月大学付属高校。
世代ナンバー3、鈴木草助。
世代ナンバー4、桜川守。
二人の投手が、全国大会決勝への切符をかけてぶつかる一戦だった。
試合は、序盤から投手戦となった。
春日野学園高校のマウンドに立つ鈴木草助。
球速は135キロ。
数字だけを見れば、全国大会準決勝の舞台に立つ投手としては、特別速いわけではない。
だが、その球は数字以上に速く見えた。
左のサイドハンド。
独特の角度から繰り出されるストレートは、打者の手元で伸びてくる。
そこに、カーブとスクリューが混ざる。
外へ逃げる球。
内へ食い込む球。
緩く曲がる球。
中月大学付属高校の打者たちは、その組み合わせに苦しめられていた。
桜川守を擁する中月大学付属高校。
城南ヶ丘学園高校を破った強豪。
その打線ですら、草助の投球を打ち崩せなかった。
「球速はそこまでじゃないのに……」
六条遊人が呟く。
「なんで、あんなに打ちづらそうなんだ……」
高柳龍二郎は黙ったまま、テレビに映る草助の投球フォームを見ていた。
球速だけではない。
角度。
伸び。
タイミングの取りづらさ。
そして、左右に揺さぶる変化球。
鈴木草助は、速球派ではない。
だが、間違いなく打ちにくい投手だった。
一方、中月大学付属高校の桜川守も負けていなかった。
145キロの速球。
高速スライダー。
高速シュート。
そして、変化量とキレを兼ね備えた高速シンカー。
その球は、春日野学園打線を簡単には寄せつけなかった。
城南ヶ丘戦で投げ勝ち、自らホームランを放って試合を決めた投手。
世代ナンバー4。
その実力は、この試合でも十分に示されていた。
草助が抑える。
桜川も抑える。
どちらの打線も、得点を奪えない。
スコアボードには、ゼロが並び続けていた。
序盤が終わる。
中盤が終わる。
終盤に入っても、試合は動かなかった。
部室で見ていた東鶴間の選手たちも、息を呑んでいた。
佐藤秋一郎と一ノ瀬京次郎の試合とは、また違う投手戦だった。
圧倒的な剛速球。
変幻自在のスライダー。
そういった派手さだけではない。
草助と桜川の試合は、一球ごとに打者のタイミングを狂わせ、わずかな隙を探り合うような試合だった。
九回表。
春日野学園高校の攻撃。
ここまで無得点。
だが、ついに試合が動こうとしていた。
ワンアウト。
ランナー三塁。
打席には三番、鈴木草助。
左打席に入った草助は、静かにバットを構えた。
マウンドの桜川守は、一度ロージンに手を伸ばす。
この場面。
敬遠も選択肢にあった。
一点を争う試合。
打席には、春日野学園の中心選手であり、ここまで投げ続けている鈴木草助。
無理に勝負する必要はない。
だが、中月大学付属高校の監督は勝負を選んだ。
桜川はそのサインを受け取り、静かに頷く。
勝負。
逃げない。
桜川守は、ストレートを投げ込んだ。
草助は、その球を待っていたかのようにバットを出す。
鋭い打球音。
打球は外野へ上がった。
外野手が落下点に入る。
捕球。
だが、三塁ランナーはタッチアップの構えを見せていた。
送球がホームへ返る。
春日野学園の三塁ランナーが、本塁へ滑り込む。
判定は――。
「セーフ!」
ついに均衡が崩れた。
春日野学園高校、先制。
スコアは1対0。
たった一点。
だが、この試合において、その一点はあまりにも重かった。
九回裏。
中月大学付属高校、最後の攻撃。
マウンドには鈴木草助。
全国大会決勝まで、あとスリーアウト。
中月打線も必死だった。
桜川守を援護するためにも、ここで追いつかなければならない。
だが、草助は崩れなかった。
左サイドハンドから繰り出されるストレート。
カーブ。
スクリュー。
最後まで、草助の球は打者の芯を外し続けた。
一人目を打ち取る。
二人目を打ち取る。
そして、最後の打者。
草助は静かにサインに頷き、腕を振った。
打球は内野へ転がる。
処理。
一塁送球。
アウト。
試合終了。
春日野学園高校、1対0で勝利。
鈴木草助は中月大学付属高校を完封し、全国大会決勝へと駒を進めた。
これで、決勝のカードが決まった。
東栄高校対春日野学園高校。
佐藤秋一郎と鈴木草助。
世代ナンバー1と世代ナンバー3が、全国の頂点をかけて戦うことになった。
部室の中は、静まり返っていた。
東鶴間高校野球部の面々は、テレビ画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
「なんだったんだ……あのストレート」
誰かが呟いた。
「球速は135キロなのに、それよりも速く見えた……」
「あれが……世代ナンバー3の鈴木草助か……」
全国には、いろいろな投手がいる。
佐藤秋一郎のような、すべてを兼ね備えた本物の天才。
一ノ瀬京次郎のような、三種類のスライダーを操る怪物。
桜川守のような、速球と高速シンカーで相手をねじ伏せる右腕。
そして、鈴木草助のような、球速以上の伸びと角度で打者を封じる左のサイドハンド。
東鶴間の選手たちは、また一つ全国の壁を見せつけられた。
試合が終わり、六条遊人が立ち上がった。
「僕……雪夜と真衣ちゃんを呼んでくるよ」
そう言って、六条は部室を出ていった。
高柳龍二郎は、テレビ画面に映る鈴木草助を見つめていた。
「左のサイドハンド……」
低い声で呟く。
「そして、雪夜を侮辱した男か……」
その声には、静かな怒りが混じっていた。
鈴木草助がどれほどすごい投手なのかは分かった。
全国大会準決勝で完封する実力。
世代ナンバー3と呼ばれるだけの力。
それは認めるしかない。
だが、それと雪夜を傷つけた過去は別だった。
龍二郎は拳を軽く握った。
やがて、六条遊人が高橋雪夜と夏目真衣を連れて戻ってきた。
雪夜は部室に入ると、テレビ画面を一度だけ見た。
そこには、春日野学園高校の勝利を伝える表示が出ていた。
東栄高校対春日野学園高校。
全国大会決勝。
雪夜は何も言わなかった。
ただ、静かに目を伏せた。
その日の練習は、そこで終わることになった。
部員たちは、それぞれの思いを抱えたまま帰り支度を始める。
全国の頂点まで、あと一試合。
佐藤秋一郎と鈴木草助。
かつて雪夜と同じチームにいた二人が、全国大会決勝で戦う。
そして――。
全国大会決勝の日が、近づこうとしていた。




