第241話 東鶴間、二年生の想い
高橋雪夜が新キャプテンとなり、東鶴間高校野球部は少しずつ前へ進もうとしていた。
三年生はもういない。
進藤竜也も、田中三郎も、中山太郎も、グラウンドには立っていない。
その事実は、練習中の空気をどこか変えていた。
全体練習を終えたあと、部員たちはそれぞれ個別メニューに取り組んでいた。
高柳龍二郎は、黙々と素振りをしていた。
一振り。
また一振り。
無駄な動きはない。
ただ、目の前にいるはずのない投手を思い浮かべ、バットを振る。
東栄高校の佐藤秋一郎。
元桜桜花高校の斉藤秀一。
そして、城南ヶ丘学園高校の桐原礼二。
県内でも屈指の投手たち。
その球を、頭の中で何度も想定する。
速球。
変化球。
決め球。
勝負どころの一球。
それらを、確実に仕留められる打者になるために。
高柳龍二郎は、今日も黙々とバットを振り続けていた。
高橋雪夜は、マネージャーの夏目真衣、小山唯、そして監督の九条咲と共に、部員たちの個別メニューを考えていた。
誰に何が足りないのか。
誰をどこで伸ばすべきなのか。
来年、城南ヶ丘と桜桜花に勝つためには、何が必要なのか。
雪夜はキャプテンとして、それを考えなければならなかった。
だが、考えるだけでは終わらない。
時間を見つけては、素振りをする。
守備練習もする。
そして、捕手の練習もしていた。
来年、新しく捕手が入部するとは限らない。
誰も入ってこなかった場合、自分が正捕手になるしかない。
肩が弱い。
それは、今でも雪夜の中に残る弱点だった。
正捕手になれば、相手は確実にそこを突いてくる。
盗塁。
バント。
エンドラン。
足を使った揺さぶり。
強豪校なら、見逃してくれるはずがない。
ならば、どうすればいいのか。
どうすれば、点を取られないのか。
どうすれば、肩の弱さを補えるのか。
雪夜は考え続けていた。
キャプテンとして。
そして、正捕手になるかもしれない選手として。
もう、逃げるわけにはいかなかった。
天宮真十郎は、グラウンドの外を走っていた。
一定のリズムで、黙々と足を動かす。
二試合に一回は投げられるほど、体力は戻ってきていた。
だが、それだけでは足りない。
来年は、東鶴間のエースとして投げなければならない。
場合によっては、連投することもあるかもしれない。
疲れたから投げられない。
そう言っている余裕はない。
田中三郎は引退した。
もう、三年生の投手に頼ることはできない。
東鶴間のエースは、自分なのだ。
その責任を、天宮は感じていた。
だから、走る。
投げるために。
勝つために。
最後の夏に、後悔を残さないために。
新井元気は、打撃練習を中心に取り組んでいた。
明るい声を出すこともある。
いつものように、周りを和ませることもある。
だが、バットを握る元気の表情は真剣だった。
準々決勝。
城南ヶ丘学園高校戦。
桐原礼二との四打席。
すべて、アウトにされた。
三番打者である自分が、ノーヒットで終わった。
その事実が、元気の中に重く残っていた。
礼二の球はすごかった。
それは分かっている。
だが、打てなかった理由をそれだけで終わらせたくはなかった。
来年、桐原礼二はいない。
それでも、強い投手はまだたくさんいる。
東栄高校の佐藤秋一郎。
桜桜花高校の金村歳郎。
そして、新しく現れるであろう強敵たち。
その投手たちを打ち崩さなければ、城南ヶ丘にも桜桜花にも勝てない。
元気はバットを振る。
一球でも多く。
一振りでも強く。
来年は、三番打者として必ず打つ。
その思いで、素振りを繰り返していた。
六条遊人は、守備練習に加えて、打撃練習にも力を入れていた。
守備には自信がある。
肩もある。
ショートとして、チームを守る力は持っている。
だが、打撃力が足りない。
それは、自分でも分かっていた。
だから六条は、打てるショートたちを思い浮かべていた。
桜桜花高校の市原圭一。
城南ヶ丘学園高校の六本遊希。
二人とも、簡単にはアウトにならない。
粘り打ち。
カット打ち。
相手投手に球数を投げさせ、嫌な打者として打席に立ち続ける。
しかも、ただ粘るだけではない。
必要な場面では、きちんと打つ。
市原圭一も、六本遊希も、打てるショートだった。
それに比べて、自分はどうか。
守れる。
だが、打てない。
その差を、六条は痛いほど感じていた。
だからこそ、練習する。
ファウルで粘る。
際どい球を見極める。
簡単には三振しない。
少しでも、市原や六本に近づくために。
副キャプテンとして、雪夜を支えるために。
六条遊人は、今日もバットを振り続けていた。
こうして、東鶴間高校野球部の二年生たちは、それぞれの課題と向き合っていた。
来年が最後になる。
もう、次はない。
進藤竜也たち三年生から託された願い。
城南ヶ丘と桜桜花に勝ってほしい。
その言葉は、今も二年生たちの胸に残っていた。
高柳龍二郎は、強敵を仕留める打者になるために。
高橋雪夜は、キャプテンとして、そして正捕手になる覚悟を持つために。
天宮真十郎は、東鶴間のエースとして投げ抜くために。
新井元気は、三番打者として強敵を打つために。
六条遊人は、守れるだけではなく、打てるショートになるために。
それぞれが、それぞれの場所で練習を続けていた。
まだ、城南ヶ丘にも桜桜花にも届かない。
だが、届かないまま終わるつもりはなかった。
東鶴間高校野球部の新しい一年が、静かに動き出していた。




