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第235話 新主将

 東鶴間高校野球部の新しいキャプテンを決める投票が終わった。


 部室の中には、どこか落ち着かない空気が流れていた。


 集計をしていたのは、マネージャーの夏目真衣だった。


 真衣は一枚ずつ紙を確認し、票数を数えていく。


 その間、高橋雪夜は静かに座っていた。


(まあ、僕は作戦参謀だから、投票されないだろう……)


 キャプテンはチームをまとめる存在。


 自分はあくまで作戦を考える側。


 そう思っていた。


 真衣は集計を終えると、紙を置いた。


「えっと……発表します」


 部室の視線が真衣へ集まる。


「高柳龍二郎君……一票」


 その瞬間、高柳龍二郎は眉をひそめた。


「誰だ、俺に一票入れた変わり者は」


 部室に少しだけ笑いが起きる。


 だが投票は無記名だった。


 名乗る者はいなかった。


 真衣は続ける。


「六条遊人君……三票」


 六条遊人は小さく息を吐いた。


「僕は、三票か……」


 少し安心したような声だった。


 しかし、その瞬間、雪夜の胸に嫌な予感が走った。


(……待って)


 高柳が一票。


 六条が三票。


 投票者は十四人。


 残りは――。


 真衣は少しだけ間を置いてから、最後の名前を読み上げた。


「……高橋雪夜君……十票」


 部室が静まり返った。


 雪夜は思わず立ち上がる。


「いやいや、僕は作戦参謀だよ」


 声が上ずっていた。


「僕がキャプテンになったら、誰が作戦参謀をするの?」


 その言葉に、何人かが苦笑した。


 だが、九条咲だけは笑わなかった。


 咲は静かに雪夜を見る。


「……雪夜」


「はい……」


「逃げないでくれ」


 その一言に、雪夜は言葉を失った。


 咲は続ける。


「みんなが選んだんだよ。お前のことを」


 雪夜は首を横に振る。


「僕は……キャプテンに向いていません」


 胸の奥から、ずっと残っていた劣等感が顔を出す。


「肩が弱いし、何の取り柄もありません……」


 かつて、肩が弱いことで傷ついた。


 捕手としての自信を失った。


 野球から逃げたこともあった。


 そんな自分が、チームを導くキャプテンになれるとは思えなかった。


 だが、咲は雪夜の言葉を受け止めたうえで、はっきりと言った。


「肩が弱いからなんだ」


 雪夜は顔を上げる。


「それも分かった上で、みんなはお前を選んだんだよ」


「でも……僕より、六条遊人君の方が向いていると思って……」


「みんなは、雪夜しかいないから選んだんじゃない」


 咲は一歩、雪夜へ近づく。


「雪夜がいいんだ」


 その言葉が、雪夜の胸に重く響いた。


「こんな……肩が弱い僕が……」


 まだ雪夜は迷っていた。


 すると、咲はホワイトボードの前へ向かった。


 そこには票数が書かれている。


 高柳龍二郎、一票。


 六条遊人、三票。


 高橋雪夜、十票。


 咲はペンを取り、雪夜の票数を書き換えた。


 十票から、十三票へ。


 部室がざわついた。


 雪夜も、驚いて咲を見る。


「監督……?」


 咲はホワイトボードを見たまま言った。


「これは……引退した進藤竜也、田中三郎、中山太郎の票だ」


 雪夜の目が大きく開かれる。


「……先輩たちが……僕に……」


 咲は頷いた。


「もし雪夜がキャプテンに選ばれて、それでも気持ちが揺れるならば、雪夜に伝えてほしいと頼まれたんだ」


 進藤竜也。


 田中三郎。


 中山太郎。


 三人の三年生たちが、自分を選んでくれていた。


 それを知った瞬間、雪夜の胸の奥が熱くなった。


 中学時代、肩が弱いことで傷ついた。


 自分には価値がないと思った。


 野球をやめたこともあった。


 人を導くような人間ではないと思っていた。


 けれど、今。


 この部室にいる仲間たちが、自分を選んでくれた。


 引退した三年生たちまで、自分に想いを託してくれた。


 なら――。


 雪夜は悩んだ。


 何度も迷った。


 それでも、逃げるわけにはいかないと思った。


 雪夜はゆっくりと顔を上げる。


「……僕は、自分に自信がありません」


 部室の全員が、雪夜を見ていた。


「肩も弱いし、目立つ選手ではありません」


 雪夜は一度、言葉を切った。


 そして、静かに続ける。


「それでもいいと言ってくれるなら……キャプテンになります」


 その瞬間、部室に拍手が起きた。


 最初は小さく。


 やがて大きく。


 高柳龍二郎も手を叩いていた。


 六条遊人も、安心したように笑っていた。


 新井元気は「雪夜なら大丈夫だよ」と声を上げた。


 一年生たちも、マネージャーたちも、雪夜へ拍手を送っていた。


 雪夜は少し照れくさそうにしながらも、深く頭を下げた。


「みんな……これからキャプテンとして、頑張っていきます」


 そして、はっきりと言った。


「よろしくお願いします」


 拍手はさらに大きくなった。


 こうして、高橋雪夜は東鶴間高校野球部の新しいキャプテンとなった。


 だが――。


 雪夜は顔を上げると、すぐに言った。


「と……いうわけで、副キャプテンを決めようと思います」


 部室の空気が止まった。


「……えっ?」


 野球部の面々が、そろって雪夜を見る。


 二年生たちは、同時に去年のことを思い出していた。


 進藤竜也がキャプテンに決まった時も、すぐにこう言ったのだ。


 副キャプテンを決めようと思います、と。


 高柳が呆れたように言う。


「いや、去年と同じじゃないか」


 六条も苦笑する。


「そこまで引き継がなくてもいいんだけどね」


 部室に、久しぶりに明るい笑いが起きた。


 三年生が引退し、重かった空気の中で決まった新キャプテン。


 その始まりは、少し不安で、少し頼りなくて。


 けれど、確かに東鶴間高校野球部らしいものだった。

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