第228話 進藤、田中、中山の引退式
県大会準々決勝。
城南ヶ丘学園高校に敗れた東鶴間高校野球部。
それから数日後。
東鶴間高校のグラウンドでは、進藤竜也、田中三郎、中山太郎の三人の引退式が始まろうとしていた。
二年生と一年生は、静かに三年生たちの前に並んでいた。
誰も、軽い言葉を口にしなかった。
それだけ、この時間が特別なものだと分かっていたからだ。
キャプテンの進藤竜也が、一歩前に出る。
「みんな……」
進藤はゆっくりと口を開いた。
「今日で、僕たち三年生は、引退することになった」
二年生と一年生は、黙って聞いていた。
高橋雪夜も。
高柳龍二郎も。
新井元気も。
天宮真十郎も。
浮田総二たち一年生も。
誰一人として、目を逸らさなかった。
進藤はグラウンドを見渡す。
ここで何度も練習した。
何度も負けた。
何度も悔しい思いをした。
それでも、ここで野球を続けてきた。
「思えば……一昨年まで、万年一回戦負けだった僕たちが、去年は四回戦まで進めた」
進藤は少しだけ笑った。
「そして今年は……準々決勝まで来れた」
それは、東鶴間高校野球部にとって、大きな前進だった。
弱小と呼ばれていたチームが、県大会ベスト8まで進んだ。
誰にも胸を張れる結果だった。
「そう思うと、幸せな高校野球人生だったと思う……」
そう言った進藤の目から、涙がこぼれた。
進藤は慌てて顔を伏せる。
「……ごめん」
声が震えていた。
「泣きたくなかったけど……」
進藤は唇を噛んだ。
「本当は……悔しいです」
その言葉に、二年生と一年生の表情が揺れた。
「準々決勝まで来れたのに……七回コールドで負けたのが……悔しいです」
進藤の涙は止まらなかった。
キャプテンとして、最後まで強くあろうとしていた。
後輩たちの前で、笑って終わろうとしていた。
それでも、悔しさは隠せなかった。
「おい、進藤……泣くなよ」
田中三郎がそう言った。
だが、その田中の目にも涙が流れていた。
「俺だって……悔しいよ」
田中は拳を握りしめる。
城南ヶ丘戦で打たれた。
何点も取られた。
最後まで投げ切ることはできなかった。
それでも、田中は三年間、東鶴間の投手として投げてきた。
だからこそ、悔しかった。
中山太郎も、涙を流していた。
「みんな……ごめん」
中山の声は震えていた。
「俺がよくなかったから……七回コールドで負けさせて……」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
中山が一番苦しんでいたことを、みんな分かっていた。
捕手として打たれた。
走られた。
揺さぶられた。
正捕手として最後までマスクを被り、最後まで城南ヶ丘を止めることができなかった。
その悔しさが、中山の涙になっていた。
それは、三年間、野球に人生を捧げてきたからこそ流れる涙だった。
進藤は涙を拭い、九条咲の方を向いた。
「監督」
咲は静かに三年生たちを見ていた。
「こんな僕たちと戦ってくれて……ありがとうございました」
進藤が頭を下げる。
田中も、中山も、それに続いた。
三人の三年生が、監督の九条咲へ深く頭を下げた。
咲は一瞬、言葉を失った。
そして、苦しそうに言う。
「私の方こそ……勝たせてやれなくて……すまなかった」
その言葉に、進藤はすぐに顔を上げた。
「謝らないでください」
進藤は涙を浮かべたまま、はっきりと言った。
「僕たちは、監督についていったことを……後悔はしていません」
田中も頷く。
中山も涙を拭いながら、咲を見ていた。
進藤は続ける。
「むしろ、感謝しています」
咲の目が揺れた。
「……私の方こそ」
咲は声を震わせる。
「お前たちと一緒にいられて……よかったと思っている」
その言葉に、三年生たちはまた涙を流した。
勝てなかった。
全国大会には届かなかった。
準決勝にも行けなかった。
それでも、この時間だけは、確かに彼らのものだった。
進藤は、二年生と一年生の方を向いた。
「二年生、一年生のみんな」
後輩たちは、静かに進藤を見る。
「こんな僕が言うのもなんだけど……来年……出来ればでいいんだ」
進藤は少しだけ息を吸った。
「来年は、城南ヶ丘と桜桜花に勝ってほしい」
その言葉に、何人かの後輩が涙を流した。
去年は、桜桜花高校に敗れた。
今年は、城南ヶ丘学園高校に敗れた。
二年連続で、強豪校の壁に跳ね返された。
その悔しさは、三年生だけのものではなかった。
雪夜は拳を握りしめていた。
高柳龍二郎は、黙って進藤を見つめていた。
新井元気は涙をこらえきれず、顔を伏せていた。
天宮真十郎も、悔しそうに唇を噛んでいた。
進藤は、後輩たちへ静かに言う。
「この願いは……僕と田中と中山の想いです」
二年生と一年生は、何も言えなかった。
返事をしなければならない。
そう思っても、声が出なかった。
今日が三年生の最後だと思うと、ただ悲しかった。
もう、進藤と一緒に守ることはない。
田中の投げる球を、公式戦で見ることはない。
中山がマスクを被る姿も、これで最後だった。
その現実が、後輩たちの胸を締めつけていた。
進藤は涙を拭いながら、最後に言った。
「僕たちは……東鶴間高校野球部のみんなと野球が出来て……幸せでした」
その言葉を聞いた瞬間、グラウンドに涙が広がった。
泣いている者。
俯いている者。
歯を食いしばっている者。
それぞれが、三年生との別れを受け止めていた。
こうして、進藤竜也、田中三郎、中山太郎の引退式は終わろうとしていた。
だが、この時はまだ誰も気づいていなかった。
去年と同じく、今年も次のキャプテンを決めなければならないことを。
この野球部を次に導く者を。
進藤たちの想いを受け継ぎ、城南ヶ丘と桜桜花に挑む者を。
のちに、決めなければならなかった。




