第224話 東鶴間と城南ヶ丘
試合後。
帰り支度を終えた東鶴間高校野球部の面々は、バスへ向かって歩いていた。
誰も大きな声を出さなかった。
荷物を持つ手は重く、足取りもいつもより遅い。
七回コールド負け。
準々決勝敗退。
三年生の夏の終わり。
その現実を、それぞれが胸の中で受け止めようとしていた。
球場をあとにしようとした、その時だった。
東鶴間高校野球部の前に、城南ヶ丘学園高校野球部の選手たちが現れた。
勝った者たちと、負けた者たち。
両校は、静かにすれ違っていく。
城南ヶ丘の選手たちは、まだ勝利の余韻を残していた。
東鶴間の選手たちは、言葉少なに歩いていた。
その中で、滝橋蓮次郎だけは、東鶴間の列を見つめていた。
(雪夜……)
視線の先に、高橋雪夜がいる。
試合では、投げ合うことも、打席で向き合うこともなかった。
自分はブルペンで肩を作った。
雪夜は打席で何度も結果を残した。
それでも、二人が直接ぶつかる場面は訪れなかった。
そんな滝橋の様子を、若田部安高が横目で見ていた。
「……滝橋」
若田部は小さく声をかける。
「言いたいことがあるなら、言ってこいよ」
滝橋は戸惑ったように若田部を見た。
「でも……うちが勝ったのに、話しかけるなんて……」
勝った側から、負けた側に声をかける。
それが相手を傷つけるのではないか。
滝橋はそう思っていた。
すると、近くにいた桐原礼二が静かに言った。
「……話せる時に、話した方がいいぞ、蓮次郎」
礼二の声は落ち着いていた。
だが、その言葉には重みがあった。
次に会えるとは限らない。
話したいと思った時に、話しておかなければならない。
礼二はそれを知っているようだった。
若田部と礼二。
二人に背中を押され、滝橋は小さく息を吸った。
そして、東鶴間の列に向かって声をかけた。
「雪夜」
その声に、高橋雪夜は足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、滝橋蓮次郎だった。
「……蓮次郎……」
雪夜は、その名前を口にした。
懐かしさ。
気まずさ。
そして、試合で届かなかった悔しさ。
いくつもの感情が、雪夜の胸に重なる。
滝橋は少しだけ迷ってから言った。
「少しだけ……話せないかな」
雪夜は黙って滝橋を見た。
城南ヶ丘に負けた直後だった。
自分たちの夏は終わり、相手は次へ進む。
そんな状況で、すぐに言葉を返せるほど、雪夜の心は整理されていなかった。
それでも、滝橋の表情を見て、雪夜は小さく頷いた。
「……少しだけなら」
滝橋は安堵したように息を吐いた。
両校の選手たちは、それぞれのバスで待機することになった。
高柳龍二郎は少し心配そうに雪夜を見たが、何も言わなかった。
新井元気も、小山唯も、遠くから二人を見守っていた。
城南ヶ丘側では、若田部と礼二が静かに滝橋の背中を見ていた。
勝者と敗者。
投げることのなかった投手と、打席で待っていた打者。
小学生の頃、同じバッテリーを組んでいた二人。
交わらなかった二人の時間が、試合後の球場の外で、ようやく動き出そうとしていた。




