第188話 城南ヶ丘野球部
桐原兄妹が東鶴間高校へ偵察に向かっている間、城南ヶ丘学園高校野球部はいつも通り練習を続けていた。
グラウンドには、ボールの音と掛け声が響いている。
その一角で、二番手投手の滝橋蓮次郎は投球練習をしていた。
捕手を務めているのは、若田部安高。
城南ヶ丘の正捕手である。
滝橋が投げたボールが、若田部のミットへ収まる。
だが――。
若田部は、わずかに眉をひそめた。
「どうした、滝橋」
「え?」
「今日はあまりいい球が来てないぞ」
その言葉に、滝橋は申し訳なさそうに肩を落とした。
「ごめん……若田部君」
若田部は軽く息を吐く。
そして、少し意地悪そうに言った。
「……そんなに、高橋雪夜に会いたかったのか?」
滝橋の肩が跳ねる。
「違うよ。そんなんじゃないよ」
「そんなに迷うなら、お前も偵察について行けばよかったのに」
若田部の言葉に、滝橋は視線を落とした。
「でも……」
小さく呟く。
「今さら雪夜に会っても……何を話したらいいのか、分からなくて」
若田部はミットを軽く叩いた。
「はぁ……小学生の時のチームメイトだったっけ?」
「うん」
滝橋は静かに頷く。
「雪夜がいなかったら……僕は野球をやめていたから」
その言葉に、若田部は少しだけ目を細めた。
からかうつもりだった。
だが、滝橋の声には冗談にできない重さがあった。
「そうか」
若田部はわざとらしく肩をすくめる。
「悪かったな。俺が愛しの雪夜君じゃなくて」
滝橋は慌てて首を横に振った。
「そんなことないよ。若田部君もいい捕手だから」
「“も”ってなんだよ」
若田部は苦笑する。
「まあ、いいか」
その時だった。
グラウンドの外から、桐原礼二と桐原礼里が戻ってきた。
偵察に行っていた二人の姿に、城南ヶ丘野球部の面々が集まってくる。
礼二は全員を見渡し、軽く頭を下げた。
「みんな、待たせてすまなかった」
若田部がすぐに聞く。
「礼二さん。偵察はどうだったんですか?」
礼二は少し考えるように間を置いた。
そして、口を開く。
「なんとか見てきた」
その場の空気が引き締まる。
「天宮真十郎は、投げられそうにない」
ざわり、と部員たちが反応した。
東鶴間のエース。
大王高校を相手に投げ抜いた投手。
その天宮が投げられない。
それは城南ヶ丘にとって、かなり大きな情報だった。
「これなら、俺たちが負けることはない」
礼二は静かに言った。
だが、その声に慢心はなかった。
ただ、冷静な分析としての言葉だった。
若田部は頷く。
「そうですか……」
すると礼二は、滝橋へ視線を向けた。
「それと……蓮次郎」
「はい?」
「雪夜は元気そうだったぞ」
滝橋の表情が、ふっと和らいだ。
「そうですか……それは良かったぁ……」
その反応を見た若田部が、すぐにからかう。
「良かったな、滝橋。愛しの雪夜君が元気そうで」
「そんなんじゃないよ」
滝橋は赤くなりながら否定する。
その様子に、周囲から小さな笑いが漏れた。
だが、礼二はすぐに空気を引き締めた。
「だが、油断はしない」
全員の視線が礼二へ向く。
「俺たちの目標は、去年のベスト8より上に行くことだ」
その言葉に、城南ヶ丘ナインの目つきが変わった。
「はいっ!」
力強い返事がグラウンドに響く。
東鶴間高校。
高橋雪夜。
新井元気。
小山唯。
そして、それぞれの過去。
多くの因縁を抱えながら、城南ヶ丘学園高校もまた、準々決勝へ向けて動き出していた。




