第156話
春の風がグラウンドを抜けていく。
掛け声、ボールの音、スパイクの土を蹴る音――
東鶴間高校野球部は今日も活気に満ちていた。
ベンチ横では、3人になったマネージャーたちが選手のサポートをしながら、時折笑い声を交えつつ、仲良く作業を進めていた。
その近くで、九条咲監督もメモを片手に様子を見守る。
やがて、話題は自然と“恋バナ”へ。
冬美がペットボトルを並べながら、小山唯に聞いた。
「唯さん、新井さんの……どこが好きなんですか?」
唯は照れたように笑い、空を見上げた。
「う〜ん……馬鹿で、天然で、可愛いところかな」
「へぇ~……そうなんですか」
冬美は優しく相槌を打つ。
唯は続けた。
「それにね、元ちゃん……私のことをずっと一途に想ってくれるの。そういうところも、好きかな」
その言葉に、冬美の胸がチクリと痛んだ。
──数カ月前、雪夜が唯に片思いしていた過去を、高柳家で聞いたばかりだった。
“雪夜さんの気持ちは、もう吹っ切れたんだろうか”
そんな複雑な思いが胸をよぎる。
唯はふと微笑み、今度は冬美に問いかけた。
「冬美ちゃんは、どんな人が好きなの?」
冬美は頬を赤くしながら、少し考えて言う。
「私は……兄さんより凄い人がいいかなって……思っています」
唯は素直に頷いた。
「確かに、龍二郎君は凄いよね。運動神経も良いし、優しいし」
その後ろで聞いていた、
夏目真衣と九条咲監督は、心の中で同じ感想を抱いていた。
(そんな男、この世にいないだろうな……)
二人は目を合わせて小さく笑う。
唯は今度は真衣の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、真衣ちゃんは? 気になる人……いるの?」
真衣はペンを握ったまま、視線をそらした。
「えっと……いることはいるけど……」
唯はさらに身を寄せる。
「もしかして……野球部の人?」
「うん……遊人君と……雪夜君が気になるの」
唯は思わず声を漏らした。
「遊人君って……六条君のこと?」
真衣は小さく頷いた。
「うん。幼馴染なんだけど……結婚するなら、遊人君だと思っていたから」
「そこまで考えてるの……?」
唯は驚きながらも、どこか嬉しそうだった。
真衣は少し困ったように続けた。
「でも……雪夜君のことも気になるの。この気持ち……自分でもよく分からないの」
唯は息をのむ。
「それって……恋してる、とか?」
真衣は首を横に振った。
「私は雪夜君の……ファンみたいな気持ち。だから、ますます分からなくなってるの」
唯は優しく言った。
「そっか……」
真衣はそっとお願いした。
「このこと、みんなには言わないでね」
唯は胸に手を当て、真剣な顔で頷く。
「言わないよ。人が嫌がること、したくないから」
そんな二人のやり取りを聞きながら、九条咲監督は静かに水筒のフタを閉めた。
(……真衣も、雪夜のことを気にしているのね)
予想していたこととはいえ、胸の奥がじんわりと締めつけられた。
自分の教え子への気持ちは、
“指導者としての愛情”なのか、
それとも、それ以上なのか。
その答えをまだ、咲自身も知らなかった。
グラウンドから聞こえる雪夜の声が、風に乗って耳に届く。
(……私は、どうしたいのだろうか)
咲は胸の奥の小さな痛みに、そっと手を当てた。




