第12話 高柳の過去
高柳龍二郎は、しばらく黙っていた。
やがて、遠くを見るような目で口を開く。
「……あの時、俺は“天才”だとか言われてた」
風が吹き、屋上の柵が小さく鳴る。
「でもな、肩が弱かった。
だから“弱肩”っとも呼ばれていた」
高橋雪夜は、何も言わずに聞いていた。
「最後の大会の前、監督が言ったんだ。
『高柳を二塁で使う』って」
高柳の声が、わずかに揺れる。
「……嬉しかったよ。
初めて、レギュラーになれたからな」
だが、と続けて高柳は拳を握りしめた。
「それで、二塁のレギュラーだった奴が控えになった。
そいつ……俺を、恨んでいたらしい」
沈黙が落ちる。
「不良に頼んで……俺を襲わせた」
淡々と語られる言葉が、かえって重かった。
「帰り道だ。
後ろから殴られて、押さえつけられて……
肩を、徹底的に痛めつけられた」
高柳は、右肩に触れた。
「病院で手術を受けた。
でも、医者に言われたよ。
『元には戻らない』ってな」
雪夜の喉が、わずかに鳴る。
「だから、野球部を辞めた。
野球も、辞めた」
高柳は一度、目を閉じた。
「……病院で目を覚ました時、妹が泣いていたんだ。
それを見て……もう、野球はやらないって決めた」
「……そんなことに、なっていたのか」
雪夜が、ようやく言葉を絞り出す。
「あれ以来だ」
高柳は言った。
「俺は野球をやらないと決めた。
あんな思い、二度としたくない。
妹を……泣かせたくないから」
そして、低く言い切る。
「分かったら、もう俺を誘うな」
雪夜は、首を振った。
「……分からないよ」
静かな声だった。
「いや……分かりたくない」
「……なんだと」
「君は、野球が好きだろ」
「……好きじゃねぇよ」
「嘘だ」
雪夜は、はっきりと言った。
「なんで、そう思う」
「君の鍛えられたその身体と、手を見れば分かる」
雪夜は、高柳の手を見た。
「その豆……素振りでできたものだろ」
高柳は、目を逸らす。
「……見てたのかよ」
「豆ができるほど振り込んでる」
雪夜は続ける。
「それは、野球が好きな証拠だ。
違うかい?」
「……だが、俺は野球はもうしないって決めたんだ」
高柳は声を荒らげた。
「もう諦めろよ、高橋」
「……どうしても、駄目かな」
「俺はな」
高柳の声が、かすれる。
「お前に頼まれるほどの男じゃない。
たいしたことのない奴なんだよ……だから……」
「自分に嘘をついて、どうするんだよ」
雪夜は、強く言った。
「……なんだと」
「本当は野球が好きなのに、
自分に嘘をついて、素振りで誤魔化して」
一歩、前に出る。
「自分に正直になりなよ」
そして、静かに続けた。
「僕たちは……君に怪我をさせた人達とは違う。
それだけは、信じてほしい」
「……高橋……」
「それと」
雪夜は、深く頭を下げた。
「あの時、助けきれなくて……すまなかった」
そう言い残し、雪夜は屋上を後にした。
残された高柳は、動かなかった。
「……高橋……」
呟きながら、柵の向こうを見る。
視線の先には、グラウンド――
野球部の姿があった。
「……俺だって……本当は……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
屋上には、ただ風の音だけが残っていた。




