第102話 雪夜の昔語
東鶴間高校野球部は、その日も練習を行っていた。
だが、季節はすでに秋を過ぎ、冬へと移り変わっていた。
空気は冷たく、白い息が自然と漏れる。
雪が降る日も増えていた。
グラウンドに雪が積もれば、外での練習は出来ない。
その日は、特に雪が深かった。
足を踏み入れれば、靴が沈むほどに。
「今日はここまでにするぞ」
監督の九条咲の声が響き、練習は早めに切り上げられた。
部員たちは、それぞれ帰り支度を始める。
寒さから逃げるように、足早に校舎を後にしていった。
――だが。
高橋雪夜だけは、部室に残っていた。
机に向かい、ノートを開いている。
そこには、個別練習のメニューが細かく書き込まれていた。
だが――
ペンは、途中で止まっていた。
視線も、文字を追ってはいない。
窓の外。
静かに降り続ける雪を、見つめていた。
「……」
思い出したくないものほど、鮮明に蘇る。
雪の日は、決まってそうだった。
「……雪夜」
不意に、声がした。
振り向くと、部室の入り口に高柳龍二郎が立っていた。
「まだ残っていたのか」
雪夜は、少しだけ驚いたように笑った。
「龍二郎……うん」
そして、視線を外へ戻す。
「雪が降っていると、嫌なことを思い出して……ちょっとね」
高柳は、雪夜の顔を見た。
「……だから、そんな暗い顔をしていたのか」
雪夜は、小さく肩をすくめた。
「まあ……そういうことだね」
高柳は、それ以上踏み込まなかった。
「……言えないことなら、無理には聞かないが」
その言い方は、いつも通りだった。
だが――
雪夜は、少しだけ迷ってから言った。
「実は……失恋の話なんだ」
高柳は、一瞬だけ目を見開いた。
雪夜が、自分からそういう話をするとは思っていなかった。
だが、すぐに表情を戻す。
「……ちょっと、待ってろ」
そう言って、部室の外へ視線を向けた。
廊下、階段、気配。
誰もいないことを確認する。
「今は人がいないが……どこで誰が聞いているか分からないからな」
その慎重さに、雪夜は少しだけ笑った。
「そうだね……聞かれるとマズイ人がいるから、なおさらだね」
高柳は、ゆっくりと振り返った。
「……雪夜は、誰かに話したいのか」
その問いは、真っ直ぐだった。
雪夜は、少しだけ目を伏せた。
「……そうかもね」
雪の降る音を、聞いているようだった。
「このモヤモヤ……雪を見るたびに、思い出すんだよ」
高柳は、少しだけ考えた。
そして言った。
「お前がいいなら……話を聞いてもいいが」
雪夜は、苦笑した。
「……長くなるよ」
「長くなるなら――」
高柳は、あっさりと言った。
「家に来るか」
雪夜は、驚いたように顔を上げた。
「……龍二郎の家族に、迷惑かかると思うから……」
だが、高柳は首を振った。
「むしろ、両親は驚くと思うぞ」
少しだけ口元を緩める。
「俺が親友を連れてくることはないと思っているからな」
そして、淡々と続ける。
「家族がどう驚くか、興味がある」
雪夜は、思わず小さく笑った。
「……本当に、いいのかい」
高柳は、当たり前のように言った。
「お前が良ければ、今から帰るけど」
その言葉に、迷いはなかった。
雪夜は、少しだけ考えた。
そして――
「……じゃあ、お邪魔しようかな」
そう答えた。
高柳は、軽く頷いた。
二人は、部室を後にした。
外に出ると、雪はまだ降り続いていた。
静かな夜だった。
白く染まる帰り道を、二人は並んで歩き出す。
この先で語られる話が――
二人の関係を、さらに深く変えていくことになるとは。
まだ、誰も知らなかった。




