9.感染
うねった長く紅い髪、紅い瞳の生物が至近距離で私を睨んでいる。
緑色の肌は鱗状に見える。爬虫類と人間の中間のような肢体で手足は3本指、鋭い鉤爪を持っている。
M字開脚のような体勢から私に急に飛びつくように近寄って来たので驚いた。
なんて睫毛が長いのだろう、バサバサとした立派な睫毛だなあと感嘆してしまった。
人間に例えたら、野性的で肉食系の女性。アクが強い存在感のある人。中性的ではなくて雌雄があるなら雌だと思う。
でも、優しさや温かみではなくて冷たさだけを感じた。
雌なのだけれど、母性のようなものをまるで感じない荒々しい個体だ······
と思ったところで目が覚めた。
なんだ、夢だったのか。
「気がつかれましたか?」
ホッとしたような表情のアデュがいた。
「私、いつ眠ったのかな?」
自分でベッドに入った記憶がなかった。
「あなたは緑鱗病に感染したようです」
「えっ···」
ひよ子豆を収穫中に倒れて、二日目にようやく目覚めたらしい。
緑鱗病は月の民を存亡の危機に導いた、あの疫病の名前だ。
地球では製品の型番のような略式記号で呼ばれているけど、月での名前の方が的確な感じがする。
月には人がいないから、これは私が地球で感染して潜伏期間に持って来てしまったということよね?
ウイルスの逆輸入。感染る人もいないけど。
「特効薬ではありませんが、こちらをお飲み下さい。あなたの症状では死亡の心配はありません」
熱がある自覚はないけれど、身体の節々が痛かった。ゆっくり身体を起こすと、煎じ薬のような茶色い飲み物を渡された。
「これは何のお茶?」
「免疫を強化する薬茶です。抗菌作用が高い植物の根が原料です」
「·····ありがとう」
喉は渇いていたけれど、一口飲んで噎せた。苦いとか不味いのではなくて、味が全くわからないのに入っていかない。口から溢れて寝間着を汚してしまった。
「ご、ごめんね···」
「飲みにくいですか?」
寝間着を着ているのって、アデュが着替えさせてくれたということよね?
だって彼しかいないのだし。しかも下着を着けていない感じがしてもの凄く焦った。
······これは、裸体を見られてしまったのよね?
寝間着はとても軽く滑らかであるけれど、肌が透けて見えそうな薄い生地だった。薬茶を溢して濡れたところがやたら気になってしまった。
「手間を取らせてごめ···」
アデュは薬茶の入った容器に口をつけると、私の頭を力強く固定してそのまま口移しで飲ませてきた。
私は呆然とした。抗う余裕もなかった。
······わ、私のファーストキスなんだけど?!
それもアンドロイドとのキス。
しかもロマンチック要素、ゼロ!
アデュは平然とした顔で、濡れた口許を拭いもせずに、私が薬茶を全量飲んだかということばかりを気にしていた。
これはきっとキスではなくて「流し込み」という作業なのだ。
医療行為の範疇、世話人としての任務だから恥ずかしくなど全く無いのだろう。
アンドロイドとはそういうものなのだ。
「着替えをお持ちします」
彼はいつも通りの微笑を浮かべて去って行った。
······次は絶対に、意地でも自力で飲もう。
***
発疹は収まって来た。高熱も出てはいないので、軽い症状のようだ。
水疱瘡に似た症状で、重症な場合末期には緑色の膿が出る。皮膚は激しく乾燥しささくれのように捲れ、そこに膿が広がると緑の鱗のような感じになる。これは地球で蔓延している疫病と同じだ。
私はふと先ほどの夢を思い出した。
あれはもしかしたら緑鱗病のウイルスだったのかな?
女性への感染率と死亡率が高いのは、ウイルスが女性のような性質、ウイルスにも雌雄があって、雌だから女性に感染しやすいとか?
馬鹿げた解釈に過ぎないけれど、あの冷たい感じが、そんなイメージを与えた。
そういえば、地球では出産、妊娠経験がある人の方が死亡率も高いらしい。だからなのか十代は他の年代と比べて死亡率も低いのよね。
「月でもそのようでした」
「本当?じゃあもしかしたら地球でも雄変は起こるのかな?」
「私は専門家では無いのでなんとも···」
「そうだよね、私も素人だからわからない」
私のチートって、月ではほぼ役に立っていない。
──なんて自分は無力なのだろう。
責任の大きさに打ちのめされてしまいそうだ。
こんなに弱々な王でいいの?
もっと賢くて有能な人を王にして欲しい。私、学級委員すらやったことないのに、いきなり国作りみたいな、星を守るなんて大仕事をやる羽目になったのよ·····。
自分では無理だからといって放り出すこともできない。
家に帰りたい。でも、朏家は私の本当の家ではない。ああ、まー君に会いたいよ。
美月達にも会えなくなってしまう。大学にももう戻れない······。
伊織さんや豪さんにも······。
あっ、大月君に頼まれていたの、すっかり忘れてしまっていた。豪さんに連絡する筈だったのに······、ごめんね大月君。
地球での記憶が一気に押し寄せて来て、ブワリと涙が溢れた。
「どこかまだ痛みますか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと地球のことを思い出しただけ」
「······地球に帰りたいですか?」
「やるべきことをやらなくちゃ、帰れないよ。······それに、私のホームは月だから」
月に行きたいなんて夢見ていた頃が懐かしい。
月にいる私が今夢見るのは、地球なのだった。




