10.三日月
帰宅途中の車内で、フッツリと式神の気配は途切れた。
「······乙女ちゃん?」
先程元気な彼女の姿を見たばかりなのに。
ざわざわと胸騒ぎがする。
伊織は乙女の自宅にも式神を放った。彼女はまだ帰宅していない。
メールへの返信も来ない。圏外にいるという表示に変化は無い。
式神に拘束されていたあのストーカーにはそこまでの危険性は感じない。
何が起きているのか。
人ではない者の仕業か?
彼女の護衛用につけた式神の元の名は三日月。
朏乙女にぴったりだと思ったからだ。
その三日月の気配を辿ってみると、霊峰富士の麓の風穴付近で途絶えていた。
ポータルらしき箇所は封鎖されている。
二人分の足跡が、湿った土に残っていた。一人で行ったわけではないということか。
まさか······、ここからあちらへ飛んだのか?
伊織はポータルに足を踏み入れることを躊躇う自分に苦笑した。
独身時代ならば好奇心や冒険心から即飛び込んでいただろう。家を継ぎ妻を持つ身では慎重にならざるを得ないのだ。
「フッ、式神はちゃんとついて行けるものなのだな」
薄暗い風穴に携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。
「須磨ちゃんか」
「探している女の子は、多分、今は月にいると思うわ」
「······は?!」
つい最近入籍したばかりの妻須磨子は千里眼の異能を持っている。
明石須磨子は伊織の幼馴染みで子供の頃からの家同士で取り決められた許嫁だった。
「月、か。何でまた······」
「帰還、帰郷っていう感じかなぁ」
須磨子は間延びした声で答えた。
「······帰郷って、かぐや姫でもあるまいし」
「ええ~、そうなんじゃないの?私はそんな感じがするけどぉ」
いつか月へ行く、移住するなら月がいいって言ってはいたが······。
では、もう一人は誰なのか?
「一人で帰ったわけじゃないわ。お迎えが来たのよ。アンドロイドみたいだけどぉ、大丈夫よ」
「アンドロイド!?」
「人ではないけど、人間とそんなに変わらない感じね。それに割りとイケメンよ」
伊織は盛大な溜め息を吐いた。
「······そうか。取り敢えず、戻るよ」
「は~い、待ってるねぇ」
須磨子の言う通り本当に帰郷であれば、 三日月がついていればなんとかなるだろう。
***
宮野豪はその日帰宅すると、目の前の光景に自分の目を疑った。
「ば······婆ちゃん?」
半年前から寝たきりの要介護者となっていた祖母がキッチンに立っていたからだ。
「お帰り」
茹でているのは祖父の好物の空豆のようだ。
「······起きて大丈夫なのか?」
豪はまだ信じられずにいる。
「さっきね、金色の女神様に治してもらったんだよ」
「······えっ?」
怪しい宗教の勧誘でも受けたのかと心配になった。近頃はそんな勧誘と詐欺被害が増えているからだ。
それとも、ヘルパーの女性の姿を寝惚けて見間違えでもしたのだろうか?
「ほんわか、ジワッと、体全体が急に温かくなって、天国にいるのかと思うぐらいにええ気持ちになって、ぐっすり寝てしまったんだわ。そんでさっき目が覚めたらこの通りさ」
「······女神っていうのは?」
「金ぴかに輝いた女神さんが、眠っていた婆さんの前に立ってたんだわ。なんか、前よりも若返ったみたいだベ?」
既に晩酌をはじめていた祖父宮野昴が満足げに笑った。
「後はお前の嫁っ子だけだな」
「またそんなことを」
「ハッハッハッ。百花の全快祝いだ、お前も今夜は付き合え」
「······わかったよ」
「ほれ」
豪は御機嫌な祖父に催促され銚子を傾けた。
祖母だけでなく、祖父も肌艶が良くなっているように見えるのは気のせいかと思ったが、それは喜びと安堵のせいかもしれない。
祖母が回復したのは奇跡的なことだ。
もしかしたら、あの娘が······?
豪は乙女の顔を思い浮かべた。
その時、伊織からのメールが届いた。
「一応知らせておく。乙女ちゃんは月からの迎えが来て、月に帰ったみたいだ」
***
「あの日朏乙女さんと別れた後、あなたはどちらにいましたか?」
幾日も自宅に戻らない朏乙女の家族から捜索願が出されたことで、如月の下宿先の部屋に警察がやって来たのだ。
「ぼ、僕は知りません!僕はあの日彼女にキレられて逃げ帰っただけです。それ以来会っていません」
「大学の同級生からは朏さんにストーカーのように付きまとっていたと聞いていますが」
「そっ、それは······、好きだったから追いかけてはいました。でもそれ以外は何もしていません、嘘じゃない、信じて下さい!」
如月は必死の形相で訴えた。
これ以上追求されて部屋の奥まで踏み込まれるのは避けたかったからだ。奥にはこれまで収集した朏乙女コレクションが置いてある。それを警察に押収されてはたまらない。
「では、君は朏さんは今誰と一緒だと思いますか?心当たりは?」
如月はあの日乙女が電話していた知り合いらしき男が浮かんだが、どこの誰かも知らないため、苦し紛れに答えた。
「·······マタギ、マタギの男ですよ。熊討伐で知り合った男です」
***
「熊討伐!?」
乙女の父朏奏太には寝耳に水だった。
自分の娘が熊討伐隊に参加していたことを全く知らなかったからだ。
高校の同級生の家に泊まることが増えたぐらいにしか思っていなかったのだ。
行方不明である心配よりも、親に内緒で何をやっているのだと、激しい怒りで震えた。
見ず知らずの若い男に紛れて泊まり込みの討伐など許し難いことこの上ない。
「ねぇね、ねぇたんは?」
「う、うん、きっともうすぐ帰ってくるわ」
義母一美も乙女からは何も聞かされておらず、驚きと共に落胆していた。
義娘が自分に懐いてくれていたと思っていたからだ。
「勝手なことばかりしおって!」
帰って来たら勘当だと、父奏太は憤怒でわなないていた。
──全く誰に似たのか、······小夜子か?
奔放な元妻、故人を苦々しくも思い浮かべた。
乙女は本当に自分の娘なのだろうか?
乙女の髪と目の色が変わってしまってからは、常に小夜子の不貞の子という疑念が燻っていた。
もういい、帰って来ないなら、どこへでも行けばいい。
月でも火星でも、勝手に行け。
自分の知らない男と一緒にいるかもしれない娘に、かつての妻小夜子をだぶらせて、奏太は憎しみに身を焦がしていた。




