6.月の花園
気がつくと、草花の香りが鼻腔をくすぐり、鳥達が囀ずっている花園にいた。
ここは多分ポータルを抜けて到着した月なのだろう。
目覚めた時、一瞬天国なのかと思ってしまった。
装備が無くても呼吸は正常にできるようだ。
あまりにも心地が良くて、この花園に蕩けてしまいそう。
まさに楽園のような場所。
幸せな夢を見て、私は泣いていたみたいだ。夢の内容は曖昧で思い出せないけど、訳もなく満たされていた。
多幸感というのは、こんな感覚を言うのだろうか。このままずっと寝そべっていたくて堪らない。
「わっ」
白いのっぺらぼうの式神さんが私の顔を覗き込んで来なければ、再び眠ってしまっていたかもしれない。
······花、花園?!月なのに?
私はやっと起き上がった。微睡みの誘惑に後ろ髪を引かれながら。
地表の建物ではないことはなんとなく想像がつく。月の内部、地下なのかもしれない。
ポータルの出口がここなのだろうか。
「目が覚めましたか」
亜月君がやって来た。眉間がまだじんじんしている。
亜月君がいるということは、やはりここは本当に月なのだろう。
そういえばあの水晶はどこに行ったのだろうか。
手元になかったので、自分の寝ていた付近を探しても見当たらない。
「それならここです」
亜月君が水晶をこちらに見せた。
「ここに長く留まるのは良くない。行きましょう」
「月に、花園なんてあるのね」
「ここは墓場ですよ」
「ええっ?」
亜月君が青い小さなユリのような花を手折って私に見せた。
「他の星から持ち込まれた種が芽吹いて自然にこうなりました。この花は幻覚を見せたり、不自然な多幸感でやる気を失せさせて動物や人間の行動を阻害します。この花園に留まり続ければ最終的に死に至ります」
見た目はどんなに可憐でも毒性の強い花はある。そういう女の人もいるわよね。
「それなら、なぜ刈り取らないの?」
「侵入者避けになりますから」
「他の星から侵入者が来るということ?」
「そうです」
彼は足元にあった朽ちた金属の塊を拾い上げて私に寄越した。
何の部品かわからなかったけれど、イタリア製という記載があった。地球人がこのポータルを通って来た証拠だ。
「ポータルの門番とかはいないの?他の月の人達はどこにいるの?」
「いませんよ。月の民で生きているのはあなただけです」
「······え?」
「いくつかあったポータルも全て封鎖しました。残っているのは、もうここだけです」
「······父に会わせるって言っていたよね?」
「こちらです」
彼は私の手を取ると瞬間移動で鈍く煌めく鉱物でできた扉の前まで連れてきた。
静かに開かれた部屋に入ると、私は息を飲んだ。
「······お、お母さん?どうしてお母さんが······」
「サヨコではありません。この方は亡き王の奥方様です」
目の前の氷柱に安置されていたのは、母に生き写しの女性だった。
この部屋は高貴な方々の霊廟のようだ。
「その隣が、あなた様の実のお父上です」
二人とも目が閉じられていたから、瞳が何色かはわからない。色白の細身の体躯と腰まで届く長く淡い金髪を持っていた。私とは違って彫りが深い。
私はこの生物学上の父とは似ていない。そして母小夜子とも育ての親である朏奏太とも私は似ていなかった。
本当の父との対面は驚きばかりで感動や感激などは全く起きない。自分が朏の父の子ではなかったことがショックでしかない。
弟の益男とも血の繋がりが無いのだということは受け入れ難かった。
「······まさか、母は月の人だったの?」
「いいえ。サヨコは父上の子種を宿した地球人です」
「······宿したって、どうやって?」
「受胎させるためにこちらに連れて来たのです」
そ、そんなの、所謂アブダクションとか言うのと同じじゃないの?
しかもそれで産まれたのが私ってこと?
「母は同意したの?母本人は知っていたの?」
「······こちらで受胎した記憶は無い筈です」
「酷い!何でそんなことを···!どうして母を選んだの?何で母じゃないといけなかったの!?」
「当時の月の巫女に、地球の女と子を成せば月の民の未来は安泰であるという神託を受けたようです」
「国や母の名前までその神託で指定されたの?」
「いえ、幾人か試した中で無事着床したのはサヨコだけだったようです」
幾人かだなんて······、どれだけ被害者がいるの?
母小夜子は私を出産する時、難産で死にかかったという。あまりの辛さに殺してくれと叫んだらしい。それで懲りてもう二度と出産はしないと、跡取りを作るのを頑なに拒んだと聞いている。
それで夫婦関係がギクシャクしてしまい、母は不倫をするようになったらしい。
まさか月の人間から托卵されていたなんて夢にも思わなかっただろう。母だけでなく父にとってもあまりにも理不尽で不憫だ。
なぜ母達が犠牲にならないといけないのか。
私は怒りとおぞましさで震えた。
「サヨコが亡き奥方様に似ていたからだと。奥方様は妊娠中に亡くなられたと聞いています。王として世継ぎがどうしても必要だったのでしょう」
「ポータルで移動できるぐらいの科学技術があるなら、クローンとかでもできたでしょ?」
「······私の認識外です。前任から引き継いだ時は、既にあなたが産まれていましたから」
「······王はいつ亡くなったの?」
「あなたが無事産まれたのを確認してから間もなくです」
私に強い憎しみと怒りを抱かせた人物、この責任を払わせたくてしょうがない人物はもうとっくにこの世にはいなかった。
責任を取らずに死ぬなんて、残された者に丸投げで逝くなんて卑怯過ぎる。
───何という勝手な糞親父!
希少な血統を残したいなら、そういう人こそ事前にリスクヘッジしなさいよ、ポンコツ王!!
地球人に迷惑かけるな!
今まで一度も口にしたことの無い暴言が自分の中で渦巻いている。
怒りの矛先を向ける相手がこの世に不在というのは、こんなにも苦しいものなのね。
殺意がわくほどの、制御できなくなりそうなこの感情をどうしたらなだめられるのだろうか。
もし生物学上の父が存命だったら、掴みかかって殴り倒していたかもしれない。
私の怒りの沸点は案外低いものなのだと初めて自覚した。




