20.もう月には行かない
追われている身では、家には帰れない。家族を危険に晒すことになるから。
伊織さん達をこれ以上は頼れないし巻き込めない。
警察が私を守ってくれるとは限らない。子供の私が言うことなど信じてもらえないかもしれない。
自国の政治家や上級国民を優先することもあるのだから、一国民よりも月の王族を擁護する可能性の方が高い。
取り敢えず、初めて伊織さん達と熊討伐に赴いた山麓に逃げ込んだ。人を巻き込まないためだ。
以前とは違い、禿げ山ができていた。広葉樹の森も育っている。
禿げ山は熊の住み処と人里を隔てる緩衝地帯だ。これがあると熊の害は減らせる。
アデュほどの戦闘能力をファラーは引き継いでいないようだ。アデュのままだったら三日月でも敵わなかったかもしれない。
攻撃する三日月の姿を認識できないファラーはそれでも引き下がらない。
人間には、アンドロイドが見えない敵と戦っている様子は滑稽に映るだろう。
三日月の攻撃を避けきれずに倒れたファラーが草をなぎ倒してゆく。折れた草の香りが立ち込めている。
戦闘用アンドロイドではないファラーはどこまで持つだろうか。
姿が見えない分有利な三日月にだって限界はある筈。
どうしてこんなことになってしまったの?
私が月の時を巻き戻したから?
それならば、私が責任を払わないとならないのよね。
三日月がファラーに今勝っても、それで終わりではないとしたら······。
私がいるから追って来るなら、私がいなくなればいいのよね?
ああ、それだとまた同じだ。
結局いつもこのパターンなのね。
私って何のために生まれて来ているのだろう。
今度こそは、できるだけ長く生きようと思っていたのに。
前だって、消えたかったわけではないのに······。
「私は、死んでも月には行かないから!!無理に連れて行くなら、私、自分で死ぬよ!」
私の絶叫に一瞬二人は動きを止めた。
「私が勝ちますゆえ、乙女様にそんなことはさせませぬ!」
戦いを再開した三日月を見守る私の背後に、瞬間移動で誰かがやって来た。悲鳴をあげようとする私を大きな手が遮った。
「しっ!遅くなって済まなかった」
「······豪さん!?どうして?」
「君には借りがあるからね」
借り?······もしかして、それはお祖母様のこと?
「君のアンドロイドを仕留めてもいいかい?」
「······はい」
「疲労困憊の式神も解放してやらないとな」
「はい!」
豪さんが放ったライフルの銃弾がファラーの両足に命中し、その場に崩れるように倒れた。
両肩にも撃ち込まれ、ファラーは身動きできなくなった。
「助太刀、痛み入ります」
式神さんは肩で息をしていた。
「豪さん、お願いがあります。彼の喉を撃って欲しいんです」
ファラーが回収されたら、いずれまた再生されるかもしれないけれど、アデュの声帯は二度と使用して欲しくない。
「了解」
豪さんは撃ち抜いた後、マタギの七つ道具のひとつと言われている特殊な鉈、鉈に似た山刀のナガサという猟具で喉を抉った。
ファラーの首はだらりと胴から垂れ下がった。
豪さんとその場を速やかに離れた次の瞬間、ファラーは爆発した。
式神さんが結界を張ってくれたので私達は無傷だった。
自爆ではなくて、遠隔操作で爆破されたと後で知った。
三日月が消火した後、私達は山を去った。
山麓での爆発はその夜のニュースにも翌日以降のニュースでも報道されることは一切なかった。
豪さんの発砲は、マタギの鹿狩りという名目で済まされた。彼は言い訳用に周到に鹿を狩ってあった。
その後キサラギ殿下からの打診は無く、ネーナ王女らは予定を繰り上げて月への帰途についた。
***
「お兄様のせいでファラーを爆破することになったではありませんか!」
「お前が余計なことをするからだ!」
「お兄様が愚図だからですよ。会いたければ会えば良かったのに。本当に情けないですわ」
「だからって、彼女を誘拐しろだなんて言っていないだろう!?そのことで戦争にでもなったらどうするつもりだ」
「そんなの、バレなければいいじゃないですか」
ネーナは、自分の意向に添うようにファラーの思考と行動を制御していた。
「ふざけるな!お前のせいで地球へ出禁になるところだったのだぞ。おまけに彼女に月など二度と行かない、月なんか大嫌いだ、死んでも行かない、月など助けなければ良かったとまで叫ばせたんだからな!」
月へ朏乙女を公式に招待する案もこれで消えた。
キサラギは幼い乙女の悲痛な叫びに胸を引き裂かれていた。
ファラーとのやり取りを傍受し全て聞かされていたのだ。
銃弾を撃ち込まれたファラーを遠隔で起爆スイッチを押したのはネーナ自身だった。
アンドロイドの故障による爆発という体で、残骸は回収済みではあるが、揉み消すのに苦慮させられたのはキサラギだった。
乙女がオットメーの生まれ変わりだと知ったのは、地球訪問の直前に降りた神殿の巫女の神託を告げられたからだ。
神託は、オットメーが地球に転生しているということ以外に、彼女に干渉せず見守ること、地球とは友好を保つべしという内容だった。
神託が朏乙女との接触を禁じたために意気消沈した兄の代わりに、拉致しようとしたのは、月の救世主の生まれ変わりがどんな女なのか見てみたかったからだ。
朏乙女は、チートも持たないただの平凡な子供に過ぎなかった。
それでも自分と同じく特殊な能力は持たないのに、どうやら見えない守護者に厳重に護られているということが癪にさわった。
そんな彼女を月で自分の傍におきながら、たっぷりといたぶってやりたくて仕方なかったのだ。
それがまさかあんなことになるなんて。
神託に背いた王女は月の神の逆鱗に触れたことにまだ気がついていなかった。




