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一段落

 チェスラッツ男爵は衛兵の詰め所と同じ建物の1室で、午後1つの鐘を聞きながら執務机に向かっていた。警邏を担当する衛兵の取りまとめ役である彼は、2日前の騒動で大忙しでロクに眠れていない。目の下にはクマが出来、表情も疲れ果てた力のないものになっている。


 ドアのノックが聞こえた。チェスラッツ男爵は軽く頬をこすり、すぐに貴族らしい凛とした表情になる。


「失礼します。スクットシグ・オブロナ・ポリーツィア参上いたしました。」

「来たか、入れ。」


 ドアを開け、兜を小脇にスクッドシグが入室した。呼び出したのはチェスラッツ男爵自身だ。自分が知り得た情報をこの真面目な男には渡しておくべきだ、と判断しての行動だ。


「チェスラッツ卿、何かあったのですか?」

「うむ、衝立をいいか?」


 スクッドシグは頷いて、入り口から机の上が直接見えないよう設置された防音の衝立に触れる。周りの音が聞こえなくなり、静寂が訪れた。


「君は知っておいた方がいいと思ってな。」

「もしや、先日の脱獄(ヴナトール)の件でしょうか?」

「そうだ。他言無用で頼む。出来るか?」

「もちろんです。」


 チェスラッツ男爵が念を押すように訪ねると、スクッドシグは真っ直ぐに目を見て頷いた。それを見て満足気に頷き返し話し始める。先日橋を突破した馬車の件だった。本来は衛兵まで降りてくることの無い情報だ。


「噂では聞いていると思うが、例の馬車は囮だった。」

「やはりそうでしたか。残念です。」

「実行させたのは君を襲ったジュダール・プロスト・オフィヴェルズ。逃走の用意をしていたのはディーラル・スクラヴ。監獄に入れられていた、子供を売っていたギルド職員だ。」

「捕らえられていたのに逃走の用意が出来たのですか?」

「我々が捕まえる前にすでに逃げる準備をしていたのだ。おそらくはどこかの貴族か下働き経由で情報を得たのだろう。馬車や倉庫はすでに用意されていた。まさに逃げる予定日のその日に捕まえたようだ。」

「逃走する直前だったのですね。」

「逃げる前に捕まえられたのが僥倖だったのだな。だが、無駄になるはずだったそれらの用意がそのまま再利用された。」

「貴族だけでは難しそうですが・・・外にも協力者が?」

「潜伏していた手下が2人。隠し財産や偽造用の書類を使って暗躍していたようだな。」


 デューラルが捕まったのはまさに、逃げ出す予定のその日だった。あと鐘1つ、いや半分もあれば街を出ていただろう。


「そして共謀者があらかた分かった。貴族はジュダールを含めて6人だ。其の者らのうち3人が牢獄に繋がれたディーラルに接触した記録もある。」

「名前は?」

「まだ言えん。ほとんど他領の者ばかりで裏を取っている最中だ。」


 チェスラッツ男爵は首を振る。自領の者であれば話は簡単だが、他領の者であればその領地との兼ね合いも出てくる。断言した後から間違っていることが分かれば、領地間での問題にもなり得るのだ。


「ただ、主犯はこの領地の者だ。トゥナローシュ・ティネリ・ゼロット。騎士だ。」

「ゼロット?たしか取り潰されたモーマイト男爵家の縁故でしたか。」

「そうだ。モーマイト夫人がゼロット家の一人娘だ。つまり彼はモーマイト家の元継嗣になるな。」


 モーマイト男爵家は夫婦揃って派手好きで浪費家だった。そして金に困り、横領と着服、商人と癒着して人身売買に手を出し、最後には処刑された。家そのものも取り潰され、生き残った血族も多額の罰金を払わされた。爵位を無くした家もある。


 しかしトゥナローシュは親に似ず、とても優秀だと評判だったため難を逃れた。ちょうど今の領主が子供を保護するために、様々な施策をし始めた時期だ。優秀であるなら子供まで処断する必要はない、と母方の実家に出されたのだ。もっとも継承権も認められていないため、彼の代で断絶するのだが。


「ゼロット家は彼と祖父の2人だけだった。その祖父も騒動の3日前に亡くなっている。だが・・・。」


 チェスラッツ男爵が少し言いよどみ、深く息を吸ってから低い声で言った。


「実際には殺されていた。」

「なっ・・・いまさら誰に?利する者がいるとは思えませんが。」

「トゥナローシュ本人だろう。首を強く絞めた跡があった。病床にあるとはいえ意識もあり、まだ歩き回れたそうだ。下働きの者達では出来まい。」


 スクッドシグが息を呑む。権力を奪いあう上位貴族はともかく、下位の貴族が親族を手に掛けることはまずない。派閥争いの末端に位置する彼らは、一族を増やして各派閥に分かれた方が血を繋げるからだ。


「葬儀の準備にかこつけて、逃亡の準備を進めていたようだ。彼の家が信仰しているエウカ派は葬儀に手間と時間がかかるから怪しまれない。そして埋葬のとき、棺に祖父とヴナトールを入れて墓まで運んでいる。」

「全く無関係の他家の亡骸と共にとは・・・なんという・・・あり得ない・・・。」


 この国では宗教も宗派も複数あるが、どれも遺体は丁重に扱う。たとえ死罪となった犯罪者でもだ。全くの他人を同じ棺に入れるなど死者への冒涜どころではない。ましてや実行したのが親族というのだから、倫理のタガが外れたその行為にスクッドシグは恐怖のあまり青ざめた。


「信じたくない気持ちは私も同じだが見た者がいるのだ。」

「目撃されたのですか?」

「勉強熱心な墓守が見ていた。珍しいエウカ派を学ぼうと、盗み見していたらしい。最初はそういう作法があるのかと思っていそうだ。たまたま墓参りに行った我が家の下働きの者がそれを聞いてな。怪しいと報告してきたのだ。出棺を目撃した門番や他の貴族はその葬儀に興味すら無かったのだがな。」


 チェスラッツ男爵は苦笑気味に呆れるように言った。相互監視はどの身分に置いても、不正摘発や治安維持の基本だ。しかし没落貴族という利のない相手には、注意を払うことすらしない。それは相互監視の限界でもあるのだろう。


「3日前から予定されていた埋葬では無理もないですが・・・。追跡は?」

「しているが難しいな。すでに2日経っている。」

「関所は間に合わなそうですね。」

「ああ。各関所へ騎士を行かせてるが無理だろう。」

「騎士は許可なく領地外まで追えませんしね・・・。」


 遊歴や旅の貴族ならともかく、職責のある貴族が領地を勝手に超えることは許されていない。各領地ごとに様々なルールがあるのだ。それに干渉できる権力を持つ貴族に好き勝手に出入りされてはたまらない。王族ですら前触れを出すのが常識だ。謹慎中のはずが遊歴だと言い張り、他領への介入を平気でやっていたヴナトールが異常なのだ。


「せめて目的地が分かれば・・・。同行者は?」

「詳しくは話せないが、よりによって英雄の罪状を伝えていない領地の出身ばかりだ。」

「授与式まで発表を渋ったのが仇になるのですか。」

「そうだ。どの領地も知らぬままに受け入れ、そのまま送り出すだろう。」


 チェスラッツ男爵は下を向き、頭を抱えるように両手で髪を後ろに撫で付けながら、軽く息を吐いた。もうこの領地だけでは収集できなくなってしまっている。色々と公表しなかったことが重く響いていた。


「何故黙っていたのか、と追求されることになるだろうな。」

「予め公表されていれば対応できた、とも言うでしょうね。」

「まったく、公子殿も厄介な判断をしたものだ。」

「公子様の?開戦から領主代行をされているのは聞いていましたが、重要な判断は公爵様だと聞いていたのですが。」

「大した事ではない、とご自身で決めて報告しなかったそうだ。」

「そう、ですか。」


 2人は同時に深いため息をつく。防音の衝立があるとはいえ、さすがに公爵家の批判は不味い。ただ思っていることが同じなのはお互いに分かっていた。分かっていても何も言えないのだが。


「さて、今のところはこれぐらいだ。また言えることが出来れば伝えよう。」

「ありがとうございます。しかし私にここまで教えてしまっても大丈夫なのですか?」

「なに、君さえ口を噤んでいれば問題ない。それよりもだ。」


 チェスラッツ男爵が少し姿勢を崩し、背もたれに寄りかかる。陰鬱な話はここまで、ということだ。スクッドシグもそれを察して、少し柔和な表情へと変わる。


「街に出た魔獣を退治してくれた狩猟者がいたな?街を預かる者の一人として礼をしたいのだが。」

「本人たちは困るかもしれません。狩猟者は権威を苦手としていますから。」


 チェーブらのことを思い遠回しに断る。礼をするから来い、と言われて喜ぶのは商人や下働きぐらいのものだ。ただ、それはチェスラッツ男爵も分かっている。


「いや、労いの言葉だけではないんだ。今回はギルド経由でないから報酬も出ていないだろう?私個人の金になるから大した額ではないが、渡しておこうかと思ったのだ。」

「なるほど、分かりました。それでしたら話を通してみましょう。」

「頼む。」

「私からも少し出させていただいでもよろしいでしょうか?」

「それは・・・出来れば頼む。」


 チェスラッツ男爵の声には心からの感謝の意が入っていた。男気のある上司だが恐妻家で有名なのだ。夫人は才女でもあり、普通は家令に一任する家の財政を自分で握っている。妻に報告せずに動かせる金額はあまり多くない。


「ただ2人しか呼べませんがご了承ください。」

「報告では3人だったが、怪我でもしたのか?」

「西に用件があるそうで1人、今日街を出たのです。戻ってくるそうですが、しばらくかかるかと。」

「そうか。帰ってきたときは知らせるように、ギルドに言っておいてくれ。その者にはその時、改めて礼をしよう。」

「分かりました。そのように伝えておきます。」


 スクッドシグは慇懃に礼をする。弟子を見送って落ち込んでいるだろうチェーブをどう慰めようかと考えながら。


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