足止め
路地裏の奥、倉庫だった瓦礫の山を背にカッツが吠える。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
今度は叫んだだけで、襲いかからずに伏せたままだ。猫の本能で今の状況を喧嘩中だと思っているのかもしれない。ただ、毛は逆立っておらず、姿勢は狩りのそれだ。
「カッツは“成り立て”でもウルセーな。」
チェーブは1人、愚痴をこぼす。実際は戦々恐々としているが、表には一切出していない。相手の弱気を察知して襲うのが獣だ。まだ“成り立て”ならばその習性も残っているだろう。あくまで強気で当たらなければならない。
すり足でジワリと前に出てみるが動きはない。近付きすぎては避けれなくなるが、あまり離れては興味を他に向けるかもしれない。注意を引き続けなければ、路地を出てしまう可能性が高い。そうなれば街がどうなってしまうか分からない。チェーブの頬を冷や汗がつたう。
「チェーブさん!っておい、なんだこれ!?」
背後から声がかかった。ホーンドだ。少しそちらに気が逸れた瞬間、叫ばないままカッツが走り寄ってくる。チェーブは即座に斧を振り下ろすが、カッツは横に避けた。そのまま壁を蹴って後ろへと跳ねる。避けた後に続けて襲いかからなかったのは、ホーンドが目に止まり用心したからだろう。今は2人を交互に見ている。
「見てのとおり“成り立て”のカッツだ。」
「マジかよ、街中でなんて聞いたことないぜ。」
焦りの色が乗った声のホーンドが斧を手にする音がした。共闘するつもりだ。ベテランなだけに理由や原因よりも、今すべきことを優先したのだ。チェーブの後ろに陣取って、軽く左肩を回している。
「研ぎ上がりだってのに悪いな。」
「いい試し切りさ。そっちこそ狩り上がりで刃欠けとかしてないのか?」
「まだ10回も斬ってねーからイケるイケる。」
「さっき聞きそびれてたけどさ。」
「腕のぬいぐるみ?」
「そうそれそれ。」
「ウチの弟子のさ。預けられてそのまま。」
「無愛想だったけどやっぱり女の子ってことか。」
「そりゃどうかな。」
場を和ますためなのか、2人は雑談のような口調で会話する。命を賭けた場面でこそ平常心が重要なのは、狩猟者であれば誰でも知っている。どうやってその状態にするかは人によって千差万別だ。ホーンドもチェーブも、どうでもいい話や軽口を叩くことで心の硬さを取るタイプだ。
「なんでチェーブさんに預けたんだろうな。」
「さーな。死なないで返しに来いってことかもな。」
チェーブは軽い調子で言葉を返している。おかげでなんとか平常心を保っていはいるが、まだ硬さは抜けきれていない。このままでは不味いという予感が不安を煽っていた。
対するカッツは正面からでは無理だと学習したのか、今度は壁を蹴って右上から迫る。チェーブは後ろへ跳びながら体を捻り、着地と同時に打ち上げるように斧を叩き込む。だが、また躱された。後ろまで振り抜いた斧がホーンドを掠めた。
「あぶなっ!」
「すまねー。ちょっと狭すぎるなココ。」
「俺、下がってるわ。」
「あいよ。俺が抜かれたら仕留めてくれ。」
このままでは時間は稼げても、止め続けられないとチェーブは思っていた。先程から斧の間合いを把握したかのように避けられている。野生の本能がまだまだ残っているからだ。おそらくは上を飛び越えようとするだろう。だとすれば、その範囲外になるように壁を蹴って跳ぶ。こちらも飛び上がれば当てられはするだろうが、怪我をさせても止まらない可能性が高い。だが着地した瞬間は狙い目でもある。そこをホーンドに仕留めてもらう算段だ。ホーンドもそれをすぐに理解する。
「分かった。チェーブさんは怪我明けだろ。無理すんなよ?」
「なに、“たかがカッツ”さ。殺られはしねーよ。」
チェーブは後ろも振り返らずにいつもの調子で言った。昔からよく言っていた軽口だ。言う度にタータに溜息をつかれていたのを思い出し、思わず口角を上げる。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
「あー、ウッセー。」
昔を思い出したせいで恐怖心が和らいだのか、余計な力の抜けた声になっていた。体も心も硬さが抜けたのが分かった。そしてすり足ではあるが、ズイッと大きく前に出る。
カッツがまた忍び寄るかのように近付いてくる。今度は斧を大きく振り、わざと横に避けさせる。そして途中で強引に斧を止め、全身をひねって斧の腹をぶつけた。大したダメージにはなっていないが、壁に挟まれる形になったカッツは驚いたようで、慌てて下がりまた身構え直す。
「さすがにやるね。」
「これでも銅タグやってんだぜ。」
緊張していたさっきまでは分からなかったが、思ったよりもカッツが遅い。魔獣化が進めば避けるのもやっとのスピードになるが、今なら十分に撃退できる。後は動き回れないように、如何に足を斬り落とすかだ。
「もうちょい後ろに居てくれ。この跳びっぷりだと、川っぺりまで行っちまうかもしれねー。」
「分かった。」
ホーンドは路地を完全に出て、運河の近くまで下がる。猫としての本能が残っているいまならば、水は避けようとするはずだ。その手前、着地した瞬間を狙える場所に位置取った。
チェーブはジリジリと間合いを詰めていく。じっと見ていたカッツがふと上を見上げた。何をするのか察したチェーブはグッとしゃがみ込んで跳ぶ用意をする。
「そっち行くぜ!頼んだ!」
「任せとけ!」
カッツが跳ねた。左、右と壁を蹴って斧の間合いの上を跳ぶ。チェーブは素早く跳躍してさらに壁を蹴り上がり、下から斬撃を繰り出すが猫特有の体のひねりで狙いをズラされた。胴を狙った斧の軌道は後足へと吸い込まれ、思わず舌打ちしてしまう。
「ちいッ!」
それでも右の後ろ足を斬り飛ばし、カッツは壁に叩きつけられて出口付近に落下する。路地の出口付近に血しぶきが舞い、壁が赤く染まった。
「ホーンド!」
「オラァッ!!」
倒れたカッツにホーンドが飛びかかり斬撃を入れる。だが、まだ本能が残るせいか首への一撃を避け、左前足の先を断ち斬るに留まる。魔獣は血を垂れ流しながら無理矢理に跳ね、運河沿いの道へと転がり出た。
「避けやがった!」
「不味い!!」
「ジャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
魔獣は大きく吠えた。攻撃を避ける本能は残っているが、痛みを感じてはいない。足の傷口を地面に押し付けて体を起こした。ここで逃げ出されれば追いつけないかもしれない。しかし跳躍のために魔獣が身体を縮めたそのとき、風を切る音とともに魔獣の胴体に槍が刺さった。
「おお!」
ホーンドが思わず声を上げる。魔獣は胸のあたりを上から貫かれ、地面に縫い留められた。そして上から降ってきた影がすぐさま、魔獣の頭に槍をもう1本突き立てた。ボギィと柄の折れる音が響き、土埃が舞う。
「おお、やった!」
「クソっ、やっぱり折れちまった。」
魔獣が力なく倒れ伏したそこには、折れた槍の柄を片手にした、着地に失敗して尻もちを着いているタータがいた。




