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牢獄

 領城にある牢獄はかつてこの国が興った頃にはよく使われ、今では廃れてしまっている石造りの地下牢だ。外に繋がる明り取りの窓は上下に狭い。脱獄をさせないためだ。薄くか細い光は、薄暗い通路と空き牢だらけの空間をわずかに照らしている。さながら廃墟のように見える。


「フッ、フッ、フッ、フッ。」


 規則正しい息遣いが聞こえる。それに合わせて、ジャラジャラと鎖が動く音も響く。牢獄の1室で男が発した音だ。彼は窓の縁に指をかけ、右腕一本で懸垂をしていた。半年前の戦争における英雄にして数多の罪を持つ犯罪者、ヴナトールだ。


 上半身は薄汚れたシャツしか着ていない。捕まってから上着と魔道具は取り上げられてそのままだ。しかし鍛え上げられた腕と肩周りの躍動は、シャツの上からでもよく分かる。背も高い方なのだから体重もあるだろう。それを片腕の指だけで持ち上げる力は驚くべきものだ。


 狂気に育まれた不屈の精神は、投獄され鎖に繋がれてなお、折れていない。隙きあらば逃げられるように、心も体も準備をしているのだ。諦める、ということは死ぬ寸前まで、いや、死んでしまっても無いのだろう。ギラギラとした目には微塵も後悔や懺悔の念が感じられない。


 首と右腕は枷をされて鎖で繋がれているため、肘を真っ直ぐには伸ばせない。体を下げるのも途中までだ。だが最もキツイ体勢のはずがまったくブレていない。そして肘を起点にまた体を上げる。それをすでに何十回も繰り返している。



「フゥウウウ。」


 どのぐらい繰り返したのだろうか。息を長く吐いてから懸垂を終えた。床への着地に合わせてまたジャラッと鎖が鳴る。左足は添え木を当てられ使えないため、右足だけでの着地だ。しかし鎖以外はほとんど音を立てずバランスを崩すこともなかった。下半身も体幹もしっかりと鍛えられているのだ。


 着地したヴナトールはそのまましゃがみ、床に転がっている松葉杖を拾う。右足しか使えないため与えられたものだ。しかし杖をつくことなく立ち上がり、片足のまますり足の要領で器用に向きを変える。見据えるのは壁、いや、何も無い空間だ。


 松葉杖の足先を持ち、大きくゆっくりと上へ持ち上げゆっくりと振り下ろす。肘を伸ばせないため窮屈そうだ。しばらく繰り返した後は振り上げの位置を変えた。今度は右上からだ。同じくゆっくりとした動作で斜めに振ることを繰り返す。そのまま右から左、右下から左上、下から上へと角度を変えていく。まるで円を描くように振り始めと振り終わりの位置を変えながら、何度も何度も繰り返えす。


 丈夫な木で出来ているとはいえ剣に比べれば軽い。筋肉を鍛える鍛錬としては物足りない。しかし飽くこともなく動作は繰り返される。今どう動けるのかを確認しているのだろう。少しづつ身体の向きや足の向き、膝の曲げ具合が変わっている。


 全くブレない芯の通ったその動きには、窮屈そうな姿勢にも関わらず、何故か得も言われぬ美しさがあった。無駄が落とされ洗練されたものに宿る特有の美だ。何年も弛まぬ研鑽を経て初めてたどり着けるような、そういう類の所作がそう思わせるのだろう。


 ヴナトールは騎士を志したその日から、素振りにしろ実戦にしろ剣を振るわない日は無かった。毎日毎日、周りや自身に何があろうとも剣を振る。昨日の自分より強く、速く、上手く。並の精神力では不可能な、呆れるほどの繰り返し。ただひたすらに没頭して剣を振り続けてきた。


 ただ、それを止めた時期がある。戦争が終わってからギルドでの乱闘までの間だ。全く振らなかったわけではない。ただ、回数は明らかに少なくなっていた。特に心が十分でなかった。無心になることもなく、雑念のまま剣を振ってしまっていた。その懈怠(けたい)の期間を取り戻すかのように今は振るい続けている。


 松葉杖を振り下ろす速度が少しづつ上がる。動きに風切り音が混ざりだした。さらに速度は上がっていく。首と右腕をつなぐ鎖は踊るように跳ねる。そのときガシャン、と遠くで閂が外れる音がした。牢獄と地上を繋ぐ扉からだ。ギィと蝶番の軋む音が聞こえる。分厚い鉄製の扉が開いた音だ。誰かがこの地下牢へ入ってきたようだ。


 やがてコツコツと靴音が複数聞こえた。足音からすると3人だ。その音は耳に届いているはずだが、ヴナトールは聞こえないかのようにただ松葉杖を振り続けている。すでに速度は実戦のそれだ。振り方も形にとらわれくなり、虚空に想定した敵へ向けたものとなっていた。


 足音が止まる。牢の前には3人、いずれも若者だ。服装から騎士だろう。3人ともがヴナトールの松葉杖による剣舞に全員が見入っていた。風切り音と鎖の音と息遣いだけが、牢獄に響いていた。


 どれほど経っただろうか。ヴナトールは突きを放つ。虚空の敵を貫き、壁に達した杖は乾いた音を立てた。それを最後にゆっくりと姿勢を戻し、右腕で普通に松葉杖をついて牢の格子へと向き直る。


「何か用か?」


 無心の剣舞で心が落ち着いたのだろうか。ヴナトールは狩猟者ギルドでは見せなかった貴族らしい、感情を抑えたよく通る声で質問をした。表情も落ち着いている。この姿だけを見れば誰も、数々の罪を犯した犯罪者だとは思わないだろう。


 やってきた3人は戦場で部下だった者たちだ。ヴナトールは彼らと共に幾度も死線をくぐり抜けてきた。全員が強者だ。部隊を任されたときは強引に引き抜き、自分の傘下に入れていた。後ろを任せられるほどに信頼が置ける連中だった。中央のリーダー格であろう青年が口を開く。


「隊長。いったい何があったのですか?」


 なんとか聞き取れる程度の小さい声だ。扉のところに居る守衛に聞こえないようにだろう。だが、声色に焦りと憤りが含まれていた。ヴナトールも声を抑えて答える。


「言えることはない。」

「こんな・・・こんなとこに閉じ込められて。隊長は英雄なんですよ?」

「上はなんと言ってる?」

「隊長が過去に罪を犯していたと。そしてこの街でも繰り返そうとしていたと。」

「上がそう言うのならそうなのだろう。私はそう言われぬよう国のために戦ったのだがな。」


 事実を述べただけのような、諦めにも似た言葉だ。真実を知るものにとっては、さも自分は不遇だと言わんばかりに聞こえるのだが、若者たちはそれを知らない。授与式が終わるまでは発表が控えられているのだ。


 3人とも納得がいかない表情で奥歯を噛みしめる。強く握りしめられた拳は音が出そうなほど力が入っていた。彼らには英雄が、その功績を妬んだ者達に貶められたとしか思えないのだ。


「弁明は・・・されないのですか?」

「全てを嘘だと否定されれば、言えることは何もない。」

「何故ですか!あれほどの戦果を上げながら!」


 別の1人が思わず叫んだ。実際に戦場での活躍を目の当たりにしているのだ。襲い来る剣戟の中で舞うように戦うヴナトールの姿を。どれほど劣勢でも躊躇なく進み打ち払う英雄の背中を。


「戦果も再調査だと聞いている。私は何も成していないことになるのだ。」

「そんな・・・。最前線で誰よりも危険な目に会っていたのですよ!国のために尽くした隊長の功績を!無かったことにしようとしているんですか!」

「ここにいる限り私に出来ることはない。言えることはない。帰れ。」

「ッ?!・・・分かり・・・ました。」


 3人はヴナトールの言葉を聞いて口を噤む。騎士爵の自分たちではどうしようもないとは分かっていた。ここに居てはどうしようもないと本人も分かっている。それでも英雄を救うならば、方法は限られてくる。


「必ずお救いします。どんなことをしてでも。」

「窮屈だとは思いますがしばらくお待ち下さい。」

「またお会いしましょう。」


 3人は小さいながらも、決意の籠もった硬い声でそう告げる。そして指先を揃えた右手を、左肩の鎖骨に添える。騎士の敬礼だ。3人とも同時に敬礼を解くと訓練や式典のようにきれいに揃って振り返り、そのまま真っ直ぐに入り口の鉄扉へと歩いていく。彼らの背中を見ながらヴナトールは思った。


「(諦めずに剣を振るい続ければ、やはり道は開けるのだな。)」


 騎士物語でも上位の者に不興を買うのは定番だ。怪我をすることも、誤解されることも、そして投獄や追放という不遇から名誉を挽回することも。彼の中での自分の物語は、まだ中盤に差し掛かったところだった。


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