ただの貴族へ
ヴナトールは先程までの怒りを忘れたかのように、ただ呆然としていた。爵位の剥奪は重罪に対しての罰だ。まさか自身がそれを科せられるとは思っていなかったのだ。歴史上の人物のように国の危機に活躍したはずの自分に、何故そのようなことが。そう考えていた。
確かに歴史上の人物でそういった者もいた。ただ、彼が活躍したのは国の存亡の危機だった。テンプトタールが包囲されるような一大事だったのだ。謹慎へ至る罪も非常に軽い。無いと言ってもいい。王の不興を買ったと思い、自主的にしていただけなのだ。
今回は被害が出ているとはいえ、ただの国境付近での小競り合いに過ぎない。元々剥奪予定だったのだから、勝手な出奔をすれば小競り合い程度の戦場で活躍したところで、常識では罰は免れないのだ。もっとも、そこまで考えられないからこそ出奔したのだろうが。
所属しているリッグエフタ領では一応、功績と相殺するつもりはあった。活躍の規模が小さいとはいえ、英雄ではあるのだ。ただ、元々の罪が多すぎたせいで厳罰が確定していた。本来は爵位剥奪の上で投獄だった。
それを領地同士の話し合いの末、騎士爵を残してそのまま戦場にいてもらう形で調整し、相殺されるのは投獄の部分とされた。ただ、反乱でも起こされてはたまらない。故に本人にも知らせず、公には発表しないまま内密に進められた。
ヴナトールが自身を男爵だと名乗っても、誰もそれを咎めなかったのはそれが理由だ。情報漏えいを防ぐため騎士には知らせなかったのも大きい。
そうとは知らないヴナトールの頭の中がまとまらない。思考が回復する間を与えず、さらにスクッドシグが続ける。
「では、もう一度お伺いしましょう。何故、弟子の名前を知りたいのですか?何故、赤髪の狩猟者の名前は聞かないのですか?何故、探していたのに、死んでいたことには興味が無いのですか?」
ギリリとギルド内に音が響く。歯ぎしりだ。スクッドシグの言葉に我に返ったヴナトールが立てた音だ。
「そのような話は聞いていない!でっち上げだ!」
「領主様の命を受けた衛兵の私が嘘をついている、とおっしゃるのですね?」
「そのうようなことはっ・・・!いつだ!?いつそのようなことになった?!」
「あなたが出奔したその日です。」
「なっ・・・!?」
半年前に戦争へ参加するべく、謹慎していた自宅を出た日から男爵ではなくなっていた。その事実にヴナトールが驚愕のあまり再び固まる。
「しかし、“卿”を付けずにお呼びしていて、普通にご返事なされていたのに、まさか知らないとは思いませんでした。名乗ったときは冗談かと思っていましたが。」
スクッドシグはわざとらしく、頭に手を当てて首を横に振る。男爵以上の相手には“卿”をつけて呼ぶのが礼儀だ。そこに気付いて無かったのかと嘲笑しているような言葉は非常に貴族らしい。遠回しでいながら心を抉る相手への強烈な嫌味だった。多少は貴族に慣れているはずのチェーブですら、今の状況を忘れて嫌そうな顔をしてしまう。
「うへぇ・・・。きっついな・・・。」
思わず漏れたチェーブの呟きにスクッドシグがウィンクで返す。真実を知らないとはいえ、ヴナトールがタータを手に掛けたのだと、スクッドシグは確信していた。とはいえ立場上、仇を討つことも訴えることも出来ない。本人にとっては軽い意趣返しのつもりなのだ。それを受けたチェーブはどういう意味か測りかねていたのだが。
「だからといって・・・私は騎士だ。私事にまで口出しされる謂れはない!」
剥奪を聞いてなお、質問に答えることを拒否しようとヴナトールは叫んだ。爵位の剥奪は家の没落を意味するのだが、それよりも目の前の質問を回避することのほうが彼の中では重要なのだろう。しかし、それも叶わない。
「あなたは騎士爵もありません。そちらも剥奪されています。」
「グゥッ・・・いつだっ!?」
「そちらは5日前です。この領地に入ったときには騎士では無かった、ということですね。」
領主同士の話し合いにより、ヴナトールの騎士爵はグルードクラー公爵領に入った時点で剥奪される、とされていた。それがちょうど5日前になる。
ヴナトールは貴族らしくない憤怒の表情へと変わった。そして下を向き両拳をキツく握りしめ、プルプルと震え始める。しかしスクッドシグの言葉がさらに追い打ちをかける。
「そうそう、もしかしたらお気付きでないかもしれませんので、念の為に申し上げておきます。こちらの階級章を見ていただければ分かるように、私は準男爵を賜っております。」
指さした左胸には黄銅の紋章があった。街で見かける衛兵ならば盾の後ろに1本の槍があるものだが、スクッドシグのそれは槍が3本に増えている。さらに盾には花が描かれ、明らかに普通の衛兵とは格が違うと分かる物だった。
准男爵は、跡継ぎになれず家も興せなかった爵位無しの貴族の中で、埋もれてしまうには惜しい実力を持つ者に与えられる爵位だ。男爵よりも下だが騎士よりも上の身分になる。人数は少ないが個人の実力を評価された爵位ということで、男爵よりも扱いが良い場合は多い。
「つまり私はずっと無礼を受けていたということですね。他にも同じ目に合っていた人もいるようですが。」
スクッドシグの言葉は平坦で、そこに怒りも憤りも見えない。しかし、男爵でもなく騎士でもないヴナトールのこれまでの態度は、もちろん侮辱罪にもあたる。本人もそれを分かっているのか、肩を落とし殺気も怒気も霧散した。
「ではもう1度質問です。何故、弟子の名前を知りたいのですか?何故、赤髪の狩猟者の名前は聞かないのですか?何故、探していたのに、死んでいたことには興味が無いのですか?」
全く変わらない調子でスクッドシグが3度目の質問をした。ただし、今回は1つ付け足された。
「3度の質問に答えられない場合は・・・ご存知ですよね?」
「1つ質問をしたい。ここには立会人はいないのか?」
意味のわからない質問だった。決闘や弁論、契約の場ではないのだ。立会人などいるはずがない。だがその質問でチェーブの勘が警笛を鳴らし始めた。何かが起こる、と。スクッドシグは不審に思いながらもサーコートの中に手を入れてから答える。
「私だけでいいと思いますが・・・。よくわかりませんが今、仲間を呼びました。すぐに来るでしょう。とりあえず外に出ましょうか。」
「ああ、分かった。」
それまでの勢いが嘘のように、静かになったヴナトールが先を歩く。スクッドシグがそれに続こうとしたときに、チェーブが手振りで引き止めた。
チェーブは自身の背中を指さした後に、手甲をした左手を叩く。表情は今にも悪いことが起きそうと言わんばかりに切羽詰まっている。その顔を見て、スクッドシグは無言のままうなずき、背中の円盾を左腕に装備する。
さらにチェーブはテーブルの方にも視線を飛ばす。そこには自分を抱えるように震えているタータがいた。視線に気付くと、震える人差し指を口の前に持ってきた。黙っていろ、ということだ。チェーブはうなずき、視線をヴナトールの背中へと戻した。
そのとき、外に向かっていたヴナトールは、扉にたどり着く直前で横に跳んだ。着地した場所にはギルド試験に使われる、古びた戦鎚が鎮座していた。




