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英雄ヴナトール

「そろそろ、ですかね。」


 チェーブはタータの視線に気づき、スクッドシグにそれとなく促した。狩りでもそうだが、事前の心構えがあるかどうかで結果は大きく変わる。心にも準備が必要なのだ。


「ん、ちょっと待ってね・・・。ああ、来たようだね。」

「分かるんです?」

「仲間から合図が来た。そういう魔道具だよ。西からだね。」

「西の貴族街にいるって聞いてたのに速いですよね。」

「走ってきたんだろうね。魔法を使った騎士なら馬車よりもずっと速いから。緊急時以外は禁止されてるんだけど、ずいぶんと好き放題やってるようだ。」


 スクッドシグは語気を強めた。他領の貴族であれば、その領地のルールを尊重するのが常識であり、最低限のマナーでもある。それが王国法に定められてるともなれば、マナー以前の問題だ。


 魔力を使った身体の強化は、王国法の元に軍事機密とされるものだ。もちろん緊急時には使って良いことになっているが、ただの移動で使うなどあってはならない。ヴナトールの行動は街の治安を預かる者として、この国に仕える貴族として、許しがたいものだった。


「あの人はどうやら、自分が特別扱いされて当然だ、と思ってるようだね。」

「そこまで、ですか?」

「ああ。色々と聞いてるからね。とりあえず私はここに立って、あの人の言動に細かく注意を入れよう。こちらに敵意が向けば、君は安全になるだろうしね。」

「大・・・丈夫ですか?」

「こう見えて貴族なんだよ?大丈夫さ。それに爵位は」


 その時バンッ、と勢いよくドアが開いて会話が止まる。入り口に仁王立ちしている男は間違いなく、昨日ギルドに来たヴナトール本人だった。


 ゆるくウェーブした黄色味の強い金髪は肩ほどの長さだ。少しタレ気味の深い碧色の目に、釣り上がった眉とキツく結ばれた口元は、怒りを抑えているのが見て取れる。街に出るときは貴族にとって当たり前の外套もしていない。汚れることに頓着していないのか、身につける手間すら惜しんだのか。


 飾り羽の付いた黒い幅広の帽子をかぶっているが、羽は本来の位置から少し傾いている。上着はボタンが大きく多く、折り返しの大きな袖口をしており、随所に細かな刺繍が施された貴族然としたものだ。それが、街の砂埃を浴びたせいで少しくすんでいた。


 身長は高めで、痩せてはいるがよく鍛えられているのが分かる。立ち姿にブレがなく、しっかりと芯が通っているのだ。肩からの剣帯にレイピアを下げたその様はまさに、物語の主人公のように見えた。


 だが、何故かそこには狂気が見え隠れしていた。怒気が溢れている。殺気が漏れている。チェーブはゴクリと唾を飲み込み、できるだけ何時も通りに相手を出迎える。


「いらっしゃい。狩猟者ギルドにどんなご用件で?」

「キサマ、私に嘘をついたな?」

「これはヴナトール殿。こちらに何か御用がおありで?」


 今にも斬りかからんと一歩目を踏み出したヴナトールだが、牽制するような言葉に歩みを止め、そちらを睨むように顔を向ける。


「誰だ。」

「これは申し訳ありません、名乗るのが遅れました。私はスクッドシグ・ポリーツィア。チェスラッツ男爵の元、この街の治安を預かるものの1人でございます。」

「衛兵風情が声を掛けるな。取り込み中だ。」

「つまり、治安において領主様の代理である衛兵には語る舌は持たない、と?」

「クッ・・・。」


 領主に喧嘩を売るのか?という問だ。ヴナトールの眉間に皺が刻まれる。さすがに公爵である領主が関わる事案であれば、無視は出来ないようだ。


「これは失礼した。私はサフィーシング・ネブン・ヴナトール男爵だ。この男の嘘を、罪に問うために来た。侮辱罪に当たるからだ。」


 ヴナトールは、形だけは慇懃に理由を述べた。その言葉を聞いてチェーブは、ウースもこうして捕まったのだろうと察した。使えば逆に恥とされる侮辱罪すら、なんのためらいもなく口にしている。


「左様ですか。チェーブ、君は嘘を言ったのかな?」

「いえいえいえ!嘘なんて言ってませんよ。ちゃんと答えましたって。」

「言い逃れとはよい度胸だ。」


 ヴナトールがカウンターへと歩み出すが、そこにスクッドシグが質問を重ねた。


「どんな質問を受けたのかな?」

「赤髪の大男の狩猟者がいるか?ってご質問でしたよ。そんなやついませんから嘘じゃないですって。」

「戯けたことを。この街には赤髪で巨漢の狩猟者がいると聞いたぞ。」

「ふむ、確かに嘘ではありませんね。ヴナトール殿、あなたの勘違いか情報源が間違っているのでしょう。」

「・・・なんだと?」


 ヴナトールの足が止まる。視線を少し下へ向け、何かを思い出そうとしているようだ。そこにスクッドシグが声を掛ける。


「何故その赤髪の大男を探しているのか、理由をお話いただけますか?」

「断る。話す義務は無い。」

「そう・・・ですか。階級章で分かっておいでだと思いますが、私は部隊長です。つまり、あなたは王国法を無視するということですね。」


 スクッドシグの語気が強まった。ただの衛兵からの質問であれば、貴族なら答える必要はない。ただしそれが部隊長になれば、拒否できるのは内政に深く関わる子爵以上に限られる。男爵以下は答える義務を追うのだ。


「キサマッ・・・。」

「私はここで起きたことを全て、領主様に報告するように命を受けております。もう一度お伺いしましょう。何故その赤髪の大男を探しているのですか?」


 スクッドシグはさらに問う。ここで同じ態度を取れば、階級章を見ていなかったという言い訳は立たない。もっとも、見ていない時点ですでに貴族として、そして騎士として不適合だと思われるのだが。


 一方、チェーブは頭を抱えていた。自分がそんなお偉いさんにタメ口を聞いて、飲み屋でシモネタ談義や裸芸を教えたり、他にもワインを酢にすり替えたり、ピクルスを丸かじりさせたり、2人で女給に声をかけて盛大にフラれたりと無礼なことを多々やっていたのだ。


「シグさん、そんなに偉かったのか・・・。」

「ごめんね、黙ってて。」


 小声で呟いたチェーブに、スクッドシグは小声でウィンクしながら答える。少し寂しげな声色なのは、これまでの関係が崩れてしまうことを分かっているからだろうか。


「・・・とある悪人を探している。その悪人に繋がるかもしれんのが、赤髪の巨漢の狩猟者だ。」


 ヴナトールは少し考えた後、そう答えた。


「その悪人とはどのような人ですか?」

「私事だ。言う必要はない。」


 貴族らしく回避する定番の方法だ。衛兵の部隊長といえど、私事の詳細を根掘り葉掘りと聞くことは出来ない。強制的に聞けるのはより上の爵位を持つものになる。もっとも、犯罪に関わってると思われる相手にしかやらないことだが。


「そうだ、こう聞けば良かったか。最近、いや、2年前あたりで死んだ、赤髪で巨漢の狩猟者は居たか?」


 ヴナトールはチェーブへと視線を移し、そう質問した。少し得意げな声だ。これにはさすがに答えなければならない。言わなければこの貴族は平気で侮辱罪で訴えてくるだろう。チェーブは仕方なく答える。


「赤銅色の髪の狩猟者ならいましたよ。」

「死んだと言い切れる理由は?」

「・・・弟子が目撃しましたし、血塗れのタグもありましたから。」


 お前が殺したんだろう、と言いたい思いをぐっと堪えながら答えた。するとヴナトールは部屋中に殺気と怒気を放ちながら、怒りに歪んだ表情になっていた。


「おのれ、やはり居たのかっ!弟子の名前は!?今どこにいる!?。」


 ヴナトールがカウンターへと詰め寄りチェーブを問い詰めると、スクッドシグがすかさず問いかけた。


「ヴナトール殿、何故、弟子の名前を知りたいのですか?」

「私事だ!答える義務はない!」

「いいえ、あなたは答える義務があります。何故赤髪の狩猟者の名前は聞かないのですか?探していたのに、死んでいたことには興味が無いのですか?」

「私事だと言ってる!下っ端風情が口を出すな!」


 怒りの形相で視線と共に殺気を向けるヴナトールとは対照的に、スクッドシグは冷静に言葉を返す。


「聞き逃したのかもしれませんが、もう一度いいましょう。よく聞いてください。あなたには答える義務があります。」

「俺は男爵だぞっ!キサマのような衛兵ごときに私事を語る必要はない!」

「なるほど、そこからですか。まさかご存じないとは。」


 スクッドシグはわざとらしく蔑むような態度で、呆れてものも言えないとばかり左手で顔を覆う。ヴナトールはその侮辱に対して我慢がならず、左手をレイピアの鞘へ伸ばしながらスクッドシグの方に身体を向けた。


 詰め寄られていたチェーブは助かったと思いつつも、明らかな挑発に戦々恐々としていた。自分を助けるために、あのような態度を取ったのだと分かっている。だがスクッドシグの次の言葉で場の空気は止まった。


「ヴナトール殿。あなたは男爵ではありません。あなたの爵位はすでに剥奪されております。」


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