第10話 姫は愛称
シルヴィアが魔女に言われた薪を抱え家に戻って来ると、早速ダイアナの怒声が飛んできた。
「姫さん、あんた、仕事が遅いね。いったいどこの地の果てまで薪拾いに行って来たのかい? あたしは隣の納屋から取って来いって言った筈なんだけどね」
大声で吠えたてるダイアナは、豊かな黒髪を緩やかに纏め上げ玉のような汗をかきながら、かまどの上にある鍋の中を雄々しくかき回していた。
ダイアナの横では同じく汗びっしょりのネリーが、色とりどりの野菜を一心不乱に切り分けている。
彼女達の側には遅れて起きて来たらしい少年と青年の二人組が、食卓の上に食器の用意まで始めていた。
「え? わた、わた……し……は……」
シルヴィアは呆気に取られて、入り口のところで茫然と立ち尽くす。
彼女がのんびり物思いに耽っているうち、母屋の方では食事の支度が進んでいたらしい。
「いいから、それを早くお貸し」
ダイアナは肩を怒らせ近づいて来ると、シルヴィアの手から薪を奪い取り、かまどの中へと放り込んだ。
「全く、火力が足りないから頼んだってのに、子供でももう少し使えるよ」
小馬鹿にされて、さすがのシルヴィアも我に返る。
「は、はあ〜? お前は何を言ってるの?」
「あー、はいはい。邪魔になるから、食事が出来上がるまであんたは隅の方にでも立っといておくれね」
しつこく自分を馬鹿にしてくるダイアナに、シルヴィアはやっとの思いで怒りを抑えるしかなかった。
***
「美味しい! 美味しいですわ、ダイアナさん。最高ですう〜」
ネリーの興奮した大声を聞いて、妖艶な美女は満足げにニヤリと笑った。
調理の最中、あれほど汗で乱れていた姿も、いつの間にか元の美貌を取り戻している。シルヴィアは忌々しくなって、フンと鼻を鳴らしてやった。
「当然だね。よく分かってるじゃないか、娘っ子」
「もう嫌ですわ、娘っ子だなんて。わたしには、ネリーって名前がちゃんとあるんですよ」
上機嫌のネリーはご丁寧にも振り返り、不快感真っ只中のーーそれでなくても苦い面相であるーーシルヴィアにまで、同意を求めるよう話しかけてきた。
「ねぇ、姫様もそう思いますでしょう?」
シルヴィアは仏頂面のまま、テーブルの上を見下ろした。
食卓の上には、出来上がったばかりの朝食が並んでいる。
ダイアナが汗水たらして作った魚と根菜のスープ。
柔らかくとろとろになるまで煮込まれた白身魚と甘いもは、口の中に入れるとふわりとほぐれてとけていく。
ネリーの力作、色味も鮮やかな朝取り野菜の新鮮サラダ。
しゃきしゃきとした食感と、瑞々しい味わいが抜群の一品だ。サラダにかけてある妙に後を引く調味料は、ネリーと気弱な青年ヨハンとの合作だった。
皿に盛られたパンはシルヴィア達を起こす前、魔女がかまどに入れて焼いていたもの。色はいまいちだが、香ばしい匂いをたて食欲をそそっている。
魔女秘蔵のワインに搾りたての果汁を揃えたら、なかなかの食卓が出来上がっていた。
いや、充分だと言った方がいいかもしれない。
「普通じゃないかしら」
だが、腹立ちが収まりきらないシルヴィアには、素直に誉める気などさらさらなかった。
何だ、こんなもの。どこにでもある田舎の、垢抜けない食事の一つに過ぎないじゃないか。こんなものを有り難がって食べるなど、姫である自分には似つかわしくない。
「確かにこんな鄙びたところでは、まあまあとも言えるかもしれない出来だけれど……。でも、美味かと問われたら平々凡々と答えるしかないわね」
「何だって? だったら食うんじゃないよ。一番の役立たずが!」
怒ったダイアナが立ち上がって、シルヴィアに食ってかかる。
シルヴィアも大きな音を立てテーブルに手を突き、ダイアナと同じ目線になるべく腰を上げた。
「言わせてもらえば、お前は魔女でしょう。料理なんて魔法でポンと出したらいいじゃないの。それとも出来ないのかしら?」
「あのね、姫さん。魔法は怠け者の夢を叶える、便利な道具じゃないんだよ。自分の力で出来ることは自分でする、当たり前のことじゃないか。役立たずは役立たずなりに働いてもらわないと、働かざる者食うべからず。この世はそう出来てるんだよ!」
「何ですって、役立たずはわたくしだけではないじゃない。忘れたとは言わせないわよ。もう一人、態度だけは生意気な、使えない子供がいるでしょう。ほら、あそこに」
シルヴィアが騒ぎを無視して食事を続ける少年を指さすと、ダイアナは腕を組んで尊大に言い放った。
「ジャーミンはいいんだよ、ジャーミンは」
「はあ? どういうことよ、それ?」
「ジャーミンは、何もしなくてもいいんだよ。特別なの、特別。あんたとは違うって言ってんだよ」
「ま、まあ〜」
激しくなる言い争いに、ネリーとヨハンが止める手立ても見つけられずおろおろとしてる中、一同を黙らせる、妙に迫力のある声が聞こえてきた。
「なあ、ババア」
とたんにダイアナが表情と声を変える。
「な、何だい、ジャーミン」
魔女はシルヴィアをフンと鼻で笑って、モグモグとパンを食べる金髪の少年に笑顔を向けた。
「何か用かい、あたしのジャーミン?」
少年は返事もしないで食事を続けている。
置いてけぼりのシルヴィアは、馬鹿らしくなって椅子に腰かけた。
対面でいまだ立ちっぱなしのダイアナは、シルヴィアから見れば身の程を弁えない少年に、甘ったるい声のご機嫌取りをやめようともしない。凄い力関係だ。
「あのね、ジャーミン。ババアはやめておくれっていつも言ってるだろ、いけずだね〜」
そんな魔女の無意味なアピールは、どうやら相手には一切届いていないようで、少年は手近な布で口を拭うと会話を再開した。
「あのさ、姫さんて、どういうこと?」
「えっ?」
「えっ?」
ダイアナは質問した少年にではなく、偶然にも一緒に声を出したシルヴィアに視線を向けてきた。
シルヴィアも青い顔をして、ダイアナと見つめ合う。いや、見つめ合うなどという生易しいものではない、凝視だ。
(わ、わたくしったら、この子供がいる前でつい、いつもの調子で話していたわ)
顔が恐ろしい老婆であるにも関わらず、だ。
「なあ、姫さんてさ、その婆さんのことだろ? いったいどういうことだよ。その婆さんはお姫様なわけ?」
あどけない顔に溢れる好奇心を覗かせ、少年は追及をやめない。
このままだんまりを決め込むわけにもいかず、ダイアナは酷くうろたえながらも渋々説明をしようとした。
「あ、あのね、ジャーミン。姫さんていうのは……」
「うん」
「えっと、姫さんていうのはね……ええと……」
魔女が珍しく蚊の鳴くような声を今にも煙へと変えようとしていた時、突然重苦しい空気を破って、場違いなほどに明るい声が割り込んできた。
「ジャーミンさん、『姫様』というのはわたしの祖母の愛称のことですわ」
少年ーージャーミンは、声を出したネリーへと丸い目を向ける。
「祖母?」
「ええ、わたしの祖母シル……フェのことです」
(は、はあ? 何を言う気なのよ、ネリー)
『姫様、わたしに全てお任せください』
ネリーは少年には聞こえない声でシルヴィアにこそこそと囁くと、困惑して挙動不審状態の彼女にすり寄り、朗らかに笑って続けた。
「わたしの祖母は、こう見えて高貴な生まれなのですが、現在は家が傾きわたし達家族は皆働いて生活の糧を得ております。わたしも去るお城に務めているのですが、引退した祖母だけは昔の癖がぬけなくて、こうして時々口癖となって、かつての自分が出てしまうのですわ。その度にわたし達は、祖母を『姫様』と呼んでからかってまいりました。こんな顔をしてますのに祖母ときたら、『姫様』と呼ばれてたいそう喜ぶんですの。そういう訳で、いつしか『姫様』が祖母の愛称となってしまった次第ですわ」
「ふ……ん」
朗々と演説を終えたネリーを胡乱げに見返していた少年は、不満を滲ませて呟いた。
「変なあだ名だね、なんだかとってつけたような理由だ」
鋭い嫌みを繰り出すジャーミンに対し、ネリーは少しもへこたれない。
「全くですわ、でも本当のことですの。おかしく聞こえるでしょうけど人間慣れというものは、なかなか直せるものではありません」
ネリーの悦に入った顔が、シルヴィアの視界にも入ってくる。
『姫様、わたし、やりましたわ。うるさい子供を丸め込んで撃退致しました。誉めてください』
その顔はそう言っていた。
(ネリーときたら、わたくしを何だと思ってるのかしら。からかったとか、こんな顔とか……)
人知れず羞恥に震えて隣の侍女を睨みつけるシルヴィアだったが、少年が「婆さん、俺も姫さんて呼んだ方がいいのか」と聞いてくると肝を冷やして首を縮めた。
「べ、別に何でもいいよ。勝手におし」
「じゃ、姫さんだ」
どこか皮肉げな笑みで口を閉じる少年と、したり顔で笑い合う魔女やネリーに腹を立てるも、現在の彼女には何の反論も出来はしない。
悔しいけれどネブレシアの宝珠、大陸一の美姫シルヴィアは、田舎娘のいささか頭の方が残念な祖母、と、そう結論づけられてしまったのである。
(もう、許さないんですからね。ネリーも、それからダイアナも。覚えておいて)
一人で憤慨してみたところで、シルヴィアにとって何の事態の好転にも繋がらなかったのであった。
***
朝食後、やっぱりシルヴィアは片付けをする面々に邪魔者扱いをされ、酷く簡単な掃除をするための水汲みという雑用を押しつけられた。
朝食前と、朝食後。簡単とは言え、お姫様育ちには意外と重労働の仕事である。
他の面子は楽しそうに、食べたあとの皿洗いなどをやっている。ネリーなどはヨハンという青年に、洗ったあとの片付け場所を尋ねつつ薄く頬を染めていた。華やかな笑い声は、外にいるシルヴィアにまで聞こえてくるようだった。
シルヴィアは眉間に皺を寄せて、母屋の気配から耳を塞いだ。
彼女はふうふうと荒い息を吐き、足元をふらつかせながら水の入った大きな桶を運ぶ。
(なんで、わたくしがこんなことをしなくちゃならないの?)
森の木々を自由に羽ばたく鳥達に胸の中で問い質しても、勿論答えは返ってこない。
シルヴィアはふうと大きく息をついて、足を止めた。
城でも、侍女を助けて雑事をこなしてきた彼女ではあったが、立場の上では敬われるべき王女である。力仕事は当然彼女の役割ではなかった。それなのに、ここではーー。
シルヴィアは悔しくなって、知らず涙が浮かぶのを止められなかった。
(泣いては駄目。王女はいつでも毅然としていなくては)
そう、自分は誇り高きネブレシアの宝珠なのである。
彼女はなけなしのプライドをかき寄せて、再び歩き出そうとした、その時。
「手伝おうか、姫さん」
影が差して、シルヴィアの前に華奢な少年が立ち塞がった。
顔を上げると、彼女と同じく除け者にされたであろうジャーミンが、こちらに向かって白い手を出しているではないか。
「いいわよ、これはわたしの仕事だから」
シルヴィアは恥ずかしくなって、ムキになり少年を追い越して歩き出す。
いくらなんでも、自分よりひ弱そうな子供に押しつける気にはなれない。
「無理すんなよ」
ジャーミンは彼女を追いかけてきて、無理やり桶を奪っていった。
「お、お前……」
子供とは思えない素早さと力強さで、彼は桶を軽々と持ち上げて笑う。
「俺、男だよ。こんなものなんて、全然たいしたことはないけど?」
「そ、そう、……かい」
シルヴィアは呆気にとられて立ち止まった。ここへ来て初めて優しくされたような、そんな気にすらなっていた。
ジャーミンは子供らしい残酷さと図々しさを持って、ダイアナを遠慮もなく非難する。
「それよりババアもおかしなことを言うよな。いくら働かざる者食うべからずと言っても、こんな年寄りをこき使うなんてさ」
その中には当然のように、シルヴィアへのキツい一言も含まれていた。
(こ、この子供! わ、わたくしは年寄りではないわよっ!)
シルヴィアは怒りを抑えて、やっとの思いで飲み込んだ。
「ま、全く……だよねぇ……」
「これからは困ったことがあったら何でも俺に言ってくれ。ババアにはっきり注意をしてやるからな」
少年は彼女の腹立ちに少しも気づかないで、屈託なく笑っていた。
「あ、ありがとう、だよ……」
(意外といい子なのかしら。口が悪すぎるのが玉にきずだけど……)
ジャーミンはシルヴィアを木陰で休ませてくれてから、野生の動物のような身のこなしで、何度も井戸と家を往復して仕事をやり遂げてくれた。
昨夜眠れずにいたシルヴィアは、いつしか涼しい木の下で、じわじわと忍び寄る睡魔におかされていく。
抗いがたい誘惑にまけてしまい、彼女が気持ちのよい睡眠に全身を委ねていると、耳元で耳障りな騒音が安眠を邪魔してきた。
「ん、んん……な、な何なのよ、いったい……」
最初は曖昧な音の詰め合わせでしかなかったものが、耳のすぐ側で鼓膜を破りかねない大音声となってシルヴィアを攻撃してくる。
「いい加減に起きな、姫さん! あたしの目を盗んで堂々とサボるとはいい度胸じゃないか」
シルヴィアがハッと目を開けると、悪魔の化身かと見紛うばかりのダイアナが、ぴくぴくと痙攣するこめかみに手を当てて、寝起きの彼女を凄みのある笑顔で見下ろしていた。




