見つめるカマキリ
「店内には二人いた」
突然静かなカフェの中で、声が鳴り響いた。
奥のテーブルに一人で座っていたのはケアのされていない汚い髭と、くちゃくちゃな髪をしたおじさんだった。
緑色のボロいジャケットを着ていて、まだ湯気の出ている暖かいコーヒーを飲んでいる。
「店内には、二人いた。店員と、おばさんだ」
「…」
俺は立ち上がり、カウンターに背中をつけた。
アシナガさんは地面から少しずつ離れていく。膝をつけて、地面に手を付けて、少しずつ、ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がっていく。
「目撃者はいないはずだった。彼女はコーヒーを手に取り、駅へ向かい、新宿へ着く。いつものバーのトイレでボトルを開け、一口だけ飲み、彼に会う。それが彼女に決められていた最後の予定だった」
「な、な、なに言ってんだこいつゥッ!?」
ロミオが声を上げておじさんに指を指した。
「…ハチッ! 言っとくけどあんたのせいだからね!? 私たちが巻き込まれたの!」
ジュリエットも彼に続く。
しかし男はかまわない態度でコーヒーをゆっくりと飲んでいる。
「俺? コーヒー飲みたかっただけなのに…」
「お前のせいだ! ハチッ! お前がいつも俺たちを変なところに――」
「変だって? 八君がね…」
おじさんがコーヒーをテーブルに置くと、ハンカチをジャケットのポケットから取り出して口元を優しく拭いた。
「東京にはいろんなトラブルメーカーがいるが、ここまでラッキーでいて、ラッキーじゃないトラブルメーカーは初めてだ。八君」
アシナガさんは言葉を失い、両手を合わせて口元に置いている。
目を閉じ、つぶやいてるのが聞こえる。
店内は、いつものバイト先と変わらない風景なのに、空気だけはまるで奥から冷たい風が吹いているようだ。
妙に肌寒く、どこか引っかかる。
俺でもわかる。このおじさんはそこらへんで見かけるような人じゃない。
どれだけ東京を歩いても、こんな人には出会えない。
周りの空気までひんやりと冷たくするような、捕食者の目をした人間には。
身震いが、する。
「ここまで不運な一日、昨日ぶりだッ! ハチこの糞野郎目ッ!」
「そろそろ叫ぶのも大概にしてくれないかな。ありがとう」
おじさんはそう言って立ち上がる。
「おいしいコーヒーだ。東京にはいろんなカフェ店があるが、私はここが一番好きだと言っても過言ではない。でも君はそんな美しく、そして静かなところを死体と、嫌な思い出で汚してしまった」
「な、何を――」
「目撃者は、いないはずだった。誰の記憶にも残らず終わるはずだった」
ロミオは歯を鳴らして、拳を握っている。
ジュリエットはそんな、今にでも突撃しようとする彼の腕を握っていた。
この状況は、彼らの言う通り、俺のせいなのだろうか。
「八君…あとそこの二人。誰かに一言でも今日起こったことを他言してみてほしい、試すことは必ず新しい結果へと人を導く。その場合、君たちは新しい選択をすることも、その後に新しい結果を見ることも、明日を目の当たりにすることもなくなる。私はこれで失礼させていただくよ、とても美味いコーヒーだった」




