静かなカマキリ
今、東京で殺し屋がいるらしい。ロミオとジュリエットが騒いでいた。
ソファーのクッションを外して部屋の隅に家を建てた。
片手にはフォークをもって、もう片手にはフライパンを握っていた。
「扉を開けろッ! 開けやがれヤァッ!」
「開けない! 開けないもん! ロミオも言ってたじゃないか、殺し屋に狙われるぞ! 気をつけな!」
扉をドコドコ叩いて中に入り込もうとしていたのはジュリエットと抱き着いたロミオだった。
覗き穴から見えたんだ、ずぶ濡れのロミオと自分からくっつくジュリエットが。
「川に落としやがってッ! あのあと清掃員に刺され――」
「ワニね! ワニ!」
「ワニじゃァねえ! ふざけてんのかッ! それでな、背中刺されたんだよあのクソ棒でなッ! オイハチ出て来いヤァッ!」
「やだ!」
「背中穴だらけなんだよテメェのせいでよォッ! 一つだけだったらまだよかったのに穴だらけなんだよォッ! チーズなんだよォッ!」
俺は自分の作った小さなお家からでて、扉を開けた。
ドコっと扉を叩いていたロミオも俺の顔を見た瞬間にとまった。宙に浮いたロミオの手を、人差し指でそっと横へどかしてから、
「チーズみして」
と一言言った。
「あんたに見せられるチーズはすでに腐った豆腐の臭いしたババアのパンツに生えたチーズくらいしかないわッ! ネ! マイダーリンッ!?」
「まぁまぁマイハニー、そこまで言わなくても、ネ?」
なんなんだこいつら、ワニに食べられてもまだ懲りないのか。
「ハチ? 聞きなさいよ、よぉく聞きなさいよハチ君。私のマイダーリンにまた指一つ触れるもんならアスファルト舐めることになるわよ」
「俺じゃないよ、落としたのはセミじゃん」
「じゃあ潔く”セミ”ってやつの家を教えるんだな、お前は俺たちのふたりのホステージだこのやろゥッ!」
「そうよそうよッ!」
夏なのに二人ともずっとくっついてるのかな。逆にさむいかもしれないから、セミが彼を川に落としたとき確かに嫌だったのかもしれない。
「セミは俺の実家にいるよ!」
「家族の一員か。聞いたかマイハニー?」
「ええマイダーリン!」
…
そういえばなんだかまた喉が渇いてきたなぁ、脱水症状起こすかもしれないし何とかしなきゃなぁ。
「お、オイ? ハチ? 何するんだ?」
俺が扉を抑えながら後ろを見ているとロミオが話しかけてきた。
「いや、リュックどこに置いたかなぁって」
「…出かけるのか? あぁ、俺たちにセミの家へ案内してくれるんだな! あぁりがとうハチ君よォ!」
「ええ、ええ! マイダーリン、この人意外と仲間のこと糞も思ってないわ!」
「そうだなマイハニー! 糞野郎でラッキーだ!」
そうだ、リュックはソファーの上に…
「ねえロミオ」
「どうしたんだハチ君」
「ちょっと玄関抑えてて」
「蚊が入るぞ?」
「すぐ出るからさ、奥にあるリュックだけ取りたいんだ」
「あ、あぁ」
彼は扉を押さえつけてくれた。
俺はその間に家の中に入ってリュックをとり、背負って、玄関にまたやってきた。
「…それだけでいいのか? ていうかそのリュックの中には何が入ってるんだ?」
「秘密」
俺はそう言ってロミオの横を通り、二人の真ん中に立った。
「カギ閉めるから一回さ、ちょっとどいてくれない?」
「あぁ、ごめん」
「ごめんねー」
二人は素直に謝ってどいてから、俺が鍵をぽっけに入れるのを確認するとすぐに道路に出た。
しばらく人通りの多い川のある道路を平和に歩いていると、後ろに変なカップルが付いてきていることも忘れそうになった。
仲良く手をつないで歩く二人の前にいると、嫌でもいちゃつきが聞こえてくる。
「家に帰ったらふたりですごそうねぇん」
とか…
「大好きだよマイラブチュッチュ」
とか……
うんざりと言う言葉を使いたくはなかったけど、正直に言うとハート形のゲロを吐きそうになる。
「オイハチ!」
「なんだよぉ…もぉ」
「こっちは駅方面じゃないのか? お前の兄弟は下北沢に住んでないのか?」
「いや、住んでるんだけどね。よかったらみんなで俺のバイト先に…」
俺がそういうと突然ロミオとジュリエットが足を止めた。
「セミの家に行かないのか?」
「そうよ、セミの家はどうしたのよ?」
「喉が渇いちゃってさ、コーヒーでも…」
「いらねぇよ口説く気かッ!? こっちはカップルだぞ持ち帰ろうとすんなよッ!」
「私いろいろとなんか精神的にさわられた気分。警察に相談しようかな」
「いやそういうわけじゃなくてさぁ…」
その後彼らを何とか説得して俺のバイト先にやってきた。
二人ともいやいやな感じで、俺も面倒くさい。
始まったばかりの一日がすでに疲労感でいっぱいだ。
「おいハチ、ここのコーヒーは毒入りじゃないだろうなぁ?」
ガラスの自動ドアを超えようとしたときに質問されたが、それよりも目に入ってきたのはアシナガさんだった。
「つっかれたよぉぉぉぉもぉっぉぉぉぉぉぉ!!!」
入り口近くの地面で寝っ転がってあちこち回りながら叫び、ポンポンと床を叩く。
「いやだいやだいやだいやだぁぁぁぁ!!!」
お店を出ようとするお客さんがいてもアシナガさんのせいで外へ出れなくなっている。
「クスリか? クスリだな」
「クスリなの? クスリかもだわ」
「クスリじゃない。アシナガさんだ」
「オッ!? ハチ!? ハチシフト入ってたんだな!? なぁ俺帰るからあいつの会計やってくれよぉ~」
俺の脚にしがみつきながら涙目でねだって、カウンターに指を向けた。
そこにはボブカットのおばさんが片手に驚くほど小さなバッグ。
ケツ丸ごと見えるような短いヒョウ柄のスカート。
ナイフで顔を深めに刺されても全く動揺しないくらい濃いメイク。
海外の金持ちの女性が整形で失敗したような図太く赤い唇。
「なんだあれ化け物かッ!?」
ロミオが口をふさぎながら後ずさりしようとする。
ジュリエットは彼の腕をつかんだ。
「私が見たからにはあんたも見るわよ。これは人間じゃない、深海の珍獣かもしれないわ」
おばさんはカウンターに手を置きながら、こっちに変な視線を向けてくる。
「こんにちは! ハチです」
手を振って彼女に挨拶をした。
「…あのねぇん、あたしは一日中暇なわけじゃないの。これから彼氏と会いに新宿いくんだからさっさと珈琲がほしいぃんの」
「…オウェエェエエッ」」
口に手を当てたまま床を見つめるロミオが声を出した。
「ちょっとダーリン!」
「何を頼みましたか?」
俺は微笑みながら彼女に聞くと
「そこの失神しそうになってるお友達にきけばいいんじゃぁないん?」
そういわれて俺は下を向く。
「こいつ史上最悪のおばさんだぞハチッ! カフェンダー歴5年のお前が手に負えるかどうか…」
「史上最悪のおばさん?! アシナガさんさぁ、確かにこの人不細工だけど――」
「えぇん?!」
おばさんが急に声出してきた。
とにかく、これ以上喋るのはよくないと思ったのでカウンターを乗り越えてキッチンに入った。
「あれ、アシナガさん以外今日誰もいないの?」
「店長以外全員高校生で夏休み入ってるせいで旅行に出かけてる」
「へえ…で、おばさんが頼んだコーヒーは何ですか?」
話を戻しておばさんに目を向ける。
「私牛乳アレルギーだから、牛乳が入ってないカフェラテが欲しいわ」
「豆乳ってことでしょうかね」
「豆乳も無理なの、前もお下痢になっちゃって、新しく買ったピンクのおパンティーが茶色に変色しちゃったのよぉん」
「ブフォッ!」
今度はジュリエットが笑い始めた。
「みんな馬鹿にしちゃいけないよ、ジュリエットもロミオもアシナガさんもガクガクになるくらいの下痢になったことあるでしょ? 人生で少なくとも一回はさ」
眉間にしわを寄り、全員に指を向けて言った。
「…インド料理食ったならまだしもよォ――」
ロミオが何かを言っていると、おばさんが突然床に倒れ込んだ。
「ギャアアアアアアアッ!!!」
アシナガさんは近くに倒れたおばさんに驚いたのか、それとも恐怖したのか、顔を蹴りつけてトイレに逃げて行った。
「ちょ…」
「え?」
ロミオと、ジュリエットが真剣な顔になっておばさんを見ている。
床には落ちた衝撃からバッグは開き、中の化粧品が床に散らばっていた。
そして彼女の手元には市販の水のペットボトルが握られ、ドバドバと水があふれていた。
キャップが飛んでしまった。
「ロミオが話してる間に水を飲んだのよ、そしたら急に…!」
ジュリエットがガラスに背中を押しつけながら倒れたおばさんからできるだけ遠ざかろうとする。
「おばさんだからきっと何か健康上の問題がもともと…」
俺がカウンターからホールにでて、倒れたおばさんを助けようとしたとき、彼女の腕に触れた。
何も動きがない。
彼女の顔を見る。
目は開いたままだった。




