アゲハカウンター
朝のうちにカフェのシフトを終わらせて、今日は友達とお出かけでに出ている。
家がゴミ屋敷だから片付けるためのホウキとか、そういうものをショッピングモールで買いに行くらしい。
だから、たった今混みあがった電車の中で腹を出したおじさんたちにつぶされかけている。
「ねえハチ、ごめんね」
「…いや大丈夫だよアゲハさん。家の掃除も手伝うって約束しちゃったし、これくらい…」
「そういえばガイガー君は一向に売れないんだよね、よかったら飼う? ハチ」
「今お金がないけど、多分セミに聞けば一部は払ってくれると思うんだ」
「セミさんね、前にも言ってたよね。ハチの弟君なんだっけ? 今インフルエンサーやってて有名なあのね」
「うん」
しばらく沈黙が続いた。電車の中ではおじさんの息する音とガシャンガシャンと揺れているはずの音がした。
でも押しつぶされすぎてつり革にもつかまらなくても立ってるだけで何も揺れを感じないし、何ならマッサージのように思えてきたのかもしれない。
「ねえハチ。この前起きたこと聞いてよ」
「うん、何?」
「前にねラーメン一気食い大会に出たんだけどね、二位になっちゃってさ。新聞見た?」
「新聞? たまに読むよ。前にお相撲さんの大きい人が失踪したって言ってたよね」
「その人が一位だよ」
「…」
アゲハさんってすごいなぁ、いろんな才能があって、しかもなぜか痩せてるし。運動と食事のバランスをどうにか保ててる人なのかな。
お相撲さんが消えたってどういうことなんだろう。
そう思って彼女の顔を見ると、彼女は俺を見つめながら軽く微笑んでいた。
「ねえハチ、失踪した力士さんどうなったと思う?」
「お相撲さんって大きすぎて多分普通の部屋に入れないし、レストランとか入りたくてもドア枠にはまらないから少なくとも…屋外にはいる」
「箱の中でおねんねかもよ」
彼女はまた俺を見て微笑んでいる。
「掃除手伝ってくれるよね?」
「うん。する。うん」
「えー東京のどっか駅に着きました。今降りろくださいハイ」
電車の中で放送が流れると、アゲハさんは俺をピンッと、何かに気づいたように俺を見た。
「ここだよハチ! 降りよう」
「うん」
二人でおじさんの大群を抜けてそのまま駅へ降りる。
道路に出て二人で並んで歩いていた。
くだり坂の長い道、車が通る道路の真ん中には草木がいっぱいあって緑大量!
歩道側には高く、そして長く並ぶ高級そうなお店たちがあった。
「お買い物は普段六本木でする派なんだけど、今日はシンプルなものが欲しいからここに来たわ。ねっハチ!」
「シンプル…? シンプルってなんだっけ、ここ高級そうだよ?」
「これが高級ならあんたは貧乏以下の人間じゃない何かね」
なんだか馬鹿にされたと思う。
「…それより、ハチ! 探すわよ」
「えっと、分かった」
ダダン、ダダダンダン。
「あぁ、ハチよ! 愛しきハチよ! 今日ここに来たのはほかでもない。ゴミ屋敷に住まうこの私、アゲハ姫の救出であるッ!」
アゲハさんってもっと落ち着いた雰囲気だったんだけど、あれってお店にいるときだけなのかな。それとも、俺とお出かけに出たことで浮かれてるのかな。
…二つ目だったらうれしいけど、あんまり信じ切らないほうが心臓に優しい気がする。
「ハチ、今日のお探し物はチェルノブイリすら余裕で通過できる服と、ホウキ、それと、おいしいクレープよ」
「クレープ…? 俺クレープ高いから買えないや」
「私がおごるよ」
「二つ欲しい」
ガイガー…放射線防護服…アゲハさんのお家…
まさか、アゲハさんの家ってめちゃくちゃにひどい状態なのかな。
ガイガー君がペットショップにいるのも、ガイガーカウンターっていう意味で放射線放ってるアゲハさんにつられてきたのかも。
ていうことは、アゲハカウンターをしなければならないんだ。
「アゲハさんのお家って、今どういう状態なの? 俺、話にしか聞いてないけど…ゴミ屋敷だってさっきから言ってるわけだし、だからどんな有様なのかなって」
「私の家? 少し説明しにくいんだけど、蒸し暑い部屋の中に閉じ込められたとしてさ、汗かくじゃん? そうすると臭くなるじゃないか、服も自分も。その汗かいた服を何度も何度も繰り返し洗わずに着ると首元から下へと黒くなっていくんだよね。私の部屋はまさにその服の状態だと思った方がいい」
「え、えぇ…」
少し気持ち悪いや、この人。
そして俺たちは長い商店街へ向かって歩いた。
途中で巨大なプラスチック製のテディベアを見付けてお店に寄ろうとしたけど、アゲハさんに止められてしまった。
時間を無駄にせず、そのまま掃除用品を買いに行ってさっさと帰ろう…
とのこと。
大きなテディベアだったのになぁ…
他にも子供アニメグッズショップ、鏡に囲まれた面白い階段、穴の開いた車の中に人がいて、中から料理を出してくるお店。
ほかにもほかにも…
「ハチ! 聞いてる!?」
「え、あ、ええ!?」
「ハチィ~!」
「あ、はいアゲハさん」
「これ、汚れ落とすスプレー。”ブチコロース”と”ガチシーネ”だったらどれのほうが落ちると思う? どれも除菌率99.9%だよ」
「どっちも買って合わせて187.9999にすればいい」
「いいね」
二人でつまらないスーパーのようなところで、外で人々がいろいろ見てるのに、中で除菌率とかスプレーとかホウキとかの話をしていた。
「話聞いてるハチ?」
「…」
「ハチ?」
「…」
「おいぶっ殺すぞハチ公ッ!」
「あ、はい」
「あんた約束したんだからそれ守らなきゃ紐で首絞めつけてバイクで引きずり回してやる。わかった?」
「えっと、うん。ちなみに途中で死んじゃったらどうなるの?」
「私の履歴に一人増えるだけだわ」
「へぇ…」
しばらくいろいろスーパーの中で見て回った。
できるだけ他のモノに気をとられないために頭の中で『掃除ッ! 掃除ッ!』とひたすら叫び続けた。
これでたぶん大丈夫でしょ…
あ、昔セミが好きだったガムだ…駄目だッ! だめだめ!
ふぅ~アッぶねぇ!
「ねえハチ、何してるの? 上ばっかり見つめて」
アゲハさんがスーパーの掃除用品コーナーを探している間に俺はポン酢の前で天井を眺めていたせいで、彼女に注意されてしまう。
「…アゲハさんってタバコ吸ってる?」
「吸ってないけど」
「じゃ、じゃあ天井は掃除しなくてもいいね へへへ…」
俺はごまかして違う廊下へととにかく向かった。
アゲハカウンター。これはアゲハさんの放射線を感知して直すという意味じゃない…
俺はアゲハカウンターをするんだ、しなければならないんだ。もう耐えられない。
まるで人質だ! 視線と言う名のナイフを彼女は俺に向けているッ!
だから決めたんだ…アゲハさんを、
カウンターする…!!
約3時間がたったころだった。
そとは夕日なりかけ。空がほぼオレンジ。
しかし俺たち二人はまだ外にいた。そしてクレープはまだ奢られていない。
アゲハカウンター大作戦は、今から始まる。
「アゲハさんって、家を掃除したいってなんで突然そう思ったの…? ゴミ屋敷にするくらいなんだから長い間放置してたってことでしょ?」
「うん。でもねハチ、いつまでも怠けるわけにもいかないの! いつか彼氏ができた時に彼を家に連れて行きたいって思っても、連れていけない…なんてことがないように今、今掃除するのよ」
彼氏ッ!? 彼氏か、彼氏ね。うん…そうだよな。
まだ大学生の女性だ、もちろん彼氏について考えるよね。
そうするとまず彼氏を欲しがる彼女の頭を変えなければならない。
たとえば
「アゲハさん、そういうのも含めてあなたを愛することができる男性じゃないと。だってテレビでもよく家を掃除してくれる業者さんのアレが出てくるでしょ? なのに半年後にはまたゴミ屋敷。これってね、掃除してどうにかなる問題じゃない。だれかと心を交わしてやっと変えることができる悪い習慣なんだ」
「…どういうこと?」
「…」
ファイナルブローを入れなければ…彼女は理解していない。
掃除を諦めさせなきゃ、俺はまた人質に取られて次のミスで殺される。
さっきの一言はたしかに少し俺から出た言葉にしては深すぎて理解できるはずのない話だった。
次はもっと、いつもの自分に似たことを言わなければ。
「つまり、アゲハさんは変わらなくてもいいんだ。わざわざ変に飾らなくてもアゲハさんのきったねえ…汚い。家を、受け入れてくれる男性が出てくるはずだよ。君の家も君の性格の一部なんだからさ! ね!」
「…私の家まだ見てないくせに」
してやられた。
「う、うん。まだ見てないけど、話しからしてね? 人間全員想像力とか脳とか多分あるし」
「…はぁ、ハチの言う通りかもしれない。もともとあんな汚い家一日で掃除できると思った私が馬鹿だった。付き合わせちゃってごめんね」
大 成 功 。
あの後俺は意地で彼女の家に連れていかれたが、外から見ても普通のピンク色のマンションで…
中に入っても、少なくとも自分の家のリビングより大きいリビングのど真ん中に洗濯物のTシャツが落ちているだけだった。
カーペットもピンク色で、非常に女子らしい部屋で、何も掃除が必要な個所はなかった。
俺は騙された。




