『追憶file.桐島ジョージ⑴─掘り出し物─』
──五月下旬 午後二時頃。
最高気温は三十度近くまで上がり、初夏の訪れを感じさせる陽気だった。
この日、相津と心春は【Zero】オフィスで使う日用品の買い出しのため、ショッピングモールを訪れていた。
「すみません、相津さん。買い出しに付き合っていただいて……」
荷物を抱えた心春が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にするな。俺も今日は手が空いてたし、一人じゃ荷物を運ぶのも大変だろ」
相津は肩をすくめて笑った。
「ありがとうございます!」
心春も嬉しそうに笑みを返す。
普段から尊敬している相津と二人きりで出かけられたことが、少しだけ嬉しかった。
──ショッピングモール内 カフェ。
買い物を終えた二人は、ひと息つこうとカフェへ立ち寄った。
「はぇ〜……。
今日は五月とは思えないくらい暑いですね」
心春はハンカチで顔をあおぎながら、小さく息をつく。
「そうだな。少し前まで寒かったのに、最近は春が終わるのもあっという間だ」
相津は頷きながらメニューへ目を落とした。
「俺はアイスコーヒーにするけど、心春は?」
「わたしはアイスティーと……モンブランケーキにします!」
少し迷った末に、心春は嬉しそうに注文する。
(またケーキか……)
相津は心の中で苦笑しながら、店員へ注文を伝えた。
しはらくして飲み物とケーキが運ばれてくる。
相津はアイスコーヒーを一口飲み、心春は幸せそうな表情でモンブランを頬張っていた。
「そういえば相津さん」
口の中のケーキを飲み込むと、心春が顔を上げる。
「この前、【Zero】のみなさんで写真を撮ったじゃないですか」
「その時にふと思ったんですけど、一番最初に【Zero】へ入ったのって、誰だったんですか?」
「わたしが配属された時には、もう皆さん揃っていましたし……」
「入隊した順番や経緯って、あまり知らないんですよね」
相津はコーヒーで喉を潤し、静かに問い返した。
「【Zero】が柏木と俺の二人で発足したことは知ってるか?」
「はい」
「柏木さんと相津さんが立ち上げメンバーだったことは聞いています」
相津は椅子の背にもたれ、窓の外へ視線を向ける。
ショーウィンドウの向こうでは、大勢の人々が行き交っていた。
その景色を眺めながら、どこか懐かしそうに口を開く。
「──最初の一人目は、ジョージだ」
相津は遠い日を思い返すように、小さく微笑んだ。
◆
──約四年前──
柏木と相津が【Zero】を発足させてから、およそ半年。
活動は軌道に乗り始めていたものの、二人だけでは圧倒的に人手が足りなかった。
そこで二人は、現場で即戦力となる仲間を探し始めていた。
──【Zero】オフィス。
「あー……また断られちまったよ」
柏木は大きく伸びをしながら、天井を見上げた。
その表情には隠しきれない疲労と落胆がにじんでいる。
「新しい部署だし、まだメンバーは俺たち二人だけだからな」
相津はコーヒーを淹れると、一杯を柏木へ差し出した。
「いくらお前が警視長でも、そう簡単には了承してもらえないさ」
「それは分かってるんだけどなぁ……」
柏木はコーヒーを受け取り、一口飲む。
「仮に本人が来たいって言っても、その上司が簡単に手放すわけないしな……」
「俺だって立場が逆なら、優秀な部下は絶対に渡さねぇよ」
苦笑しながら肩をすくめる。
「だからって権力で無理やり異動させても、仲間として信頼関係なんて築けないしな」
ため息が漏れた。
「はぁ……」
「どっかに警察関係者じゃなくて、武器の扱いに長けてて、身体能力も抜群な奴、転がってねぇかなぁ」
「そんな奴がいたら、まず逮捕だろ」
相津は即座にツッコミを入れ、コーヒーを口へ運ぶ。
その時だった。
コンコン。
オフィスの扉が控えめにノックされる。
「失礼します」
聞き慣れない男の声が響いた。
「柏木警視長、相津警視。
突然のお願いで恐縮ですが、お二人のお力をお借りしたく参りました」
「どうか、ご協力いただけないでしょうか」
二人は顔を見合わせる。
心当たりはない。
だが、その真剣な声色に、柏木は静かに立ち上がった。
「……とりあえず、中へどうぞ」
そう促すと、来訪者は一礼し、静かにオフィスへ足を踏み入れた。
──警察庁本庁舎 取調室へ向かう廊下。
三人は生活安全局地域課の課長に案内され、取調室へ向かっていた。
課長が協力を求めてきた理由は、あまりにも信じ難い事件だった。
巡回中の警察官が、一般人とヤクザの揉め事に遭遇した。
止めに入ったものの、地面に倒れていたのは一般人ではなく、ヤクザの組員十人。
しかも全員、一人の男に返り討ちにされたという。
到底信じられる内容ではない。
そのため、男が虚偽の供述をしていないか確認してほしい──それが今回の協力要請だった。
課長を先頭に、三人は取調室へ入る。
そこには身長一九〇センチはあろうかという、筋骨隆々の大男が座っていた。
椅子に深く腰掛け、大きく脚を開きながら前のめりになるその姿には、まるで威圧感しかなかった。
──取調室。
「だから何度も言ってるだろ!」
大男はうんざりしたように机を叩いた。
「街を歩いてたら、あいつらの一人と肩がぶつかった。それで難癖つけられて、『付いてこい』って路地裏に連れて行かれたんだ」
「そしたら十人くらいに囲まれて、いきなり殴りかかってきやがったんだって!」
「それで返り討ちにした結果、必要以上に相手をボコボコにしてしまった……という訳だな?」
担当刑事が淡々と確認する。
「おい、その言い方は悪意しかねぇだろ!」
「俺は被害者だぞ?
あんなのちょっと小突いただけじゃねぇか!」
「……小突いただけ、ねぇ」
柏木は報告書へ目を落とした。
ヤクザの組員十人は全員命に別状こそないものの、骨折などの重傷を負い、病院へ搬送されている。
"小突いただけ"で済む内容ではなかった。
一通り事情聴取を終え、課長が口を開く。
「事情はおおむね把握した」
「だが今日は帰せない。相手方の供述を確認し、内容が一致してから釈放になる」
「マジかよ……」
大男は頭をかきながら立ち上がる。
「まあ別にいいけどさ。腹減ったし、飯だけはたくさん頼むぜ」
留置場へ案内されるため歩き出した、その時だった。
廊下の壁にもたれていた相津と、大男の視線が交わる。
「……お前」
相津が静かに口を開く。
「いったい何者だ?」
一瞬だけ沈黙が流れた。
やがて大男は肩をすくめて笑った。
「……何言ってんだ。
俺はただの善良な一国民だ」
そう言い残し、大男は留置場へと連れて行かれた。
──【Zero】オフィス。
「本日はご協力いただき、ありがとうございました」
地域課の課長は深く頭を下げた。
「いかがでしたでしょうか?」
その問いに、腕を組んでいた相津が静かに口を開く。
「嘘はついていない」
短く言い切る。
「体温、視線、仕草──どれを見ても不自然な反応はなかった。少なくとも、あいつは嘘をつくのが得意なタイプじゃない」
「そこは見たまんまだな」
柏木が苦笑混じりに相づちを打つ。
課長は安堵したように息をついた。
「ありがとうございます」
「それでは予定通り、相手方の事情聴取が終わり次第、釈放することにいたします」
敬礼を残し、課長は部屋を後にした。
扉が閉まる。
静寂が戻ると、柏木は煙草を取り出し、給湯室へ向かった。
「──で?」
ライターで火を点けながら振り返る。
「本当は何が引っ掛かった?」
相津は「やっぱり気付いていたか」とでも言いたげに、小さく笑った。
「まず、病院からの診断書だ」
「ヤクザ十人全員が骨折していた。
だが、血管や内臓への致命傷は一切ない」
柏木は煙を吐きながら頷く。
「なるほど。
ただのケンカ自慢や格闘家じゃ、そう都合よくはできねぇな。偶然にしては出来すぎてる……」
「ああ」
相津も頷く。
「"返り討ち"というより、"無力化"という表現の方が正しい」
少し間を置き、さらに続ける。
「それと事情聴取中、あいつは終始ふてぶてしい態度ではあったが……」
「一度も椅子の背もたれに深く体を預けなかった」
柏木の表情が変わる。
「……いつでも動ける姿勢か」
「ああ。
おそらく俺の視線にも気付いて警戒していた」
「まるで軍人だな」
相津は静かに頷いた。
「さらに、最後の返答だ」
──『俺はただの善良な一国民だ』
「嘘ではない。
だが、本当のことも話していない」
柏木は少し考え込み、やがて口を開いた。
「そうか……。
普通なら"市民"とか"一般人"って言うよな」
「俺たちは仕事柄『国民』って言葉を日常的に使うから違和感がなかったが、一般人が自分を『国民』と表現することは、ほとんどない」
コーヒーを淹れ、相津へ手渡す。
相津は一口で飲み干すと、口元に笑みを浮かべた。
「まだ全て推測だが──」
柏木を見る。
「あいつは、俺たちが探していた人材かもしれない」
二人の視線が交わる。
柏木は楽しそうに笑った。
「はっはっはっ。
そういうことなら、素性調査は俺に任せろ」
煙草を灰皿に押し付ける。
「勾留期間も、調査が終わるまで延ばせるよう手を回しておく」
「ああ、頼んだ」
二人は思わぬ形で舞い込んできた"掘り出し物"に、小さく笑みを交わした。
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